推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤が勅命により神武天皇の[皇后である媛蹈韛五十鈴姫命を祭神として奉斎したとされ<ref name="shishi1" />、奈良市最古の神社という<ref name="web" />。後に元正天皇によって本殿の右側には媛蹈韛五十鈴姫命の父神である狭井大神を、左側には母神である玉櫛姫命が祀られるようになった。
== 私的考察 ==
大和における佐保姫の本来の機能は、三輪山(おそらく本来の名は'''佐比売山'''あるいは'''三比売山''')の女神かつ三保川(大和川)の女神であり、かつ田の虫除けなどの厄除けの女神だったと考える。そして「母と二人の娘」という三女神の習合体でもあったと考えられる。大和を初期に開拓したのが物部氏系の氏族だったとすれば、広瀬大社の饒速日命が彼女の夫であり、父であったと考える。現在の祭神である'''若宇加能売命'''は娘神としての性質を強調している、といえる。現在の神名から、「母神」としての性質が強調されている女神を挙げるとすれば、村屋坐弥冨都比売神社の'''弥富都比売神'''なのではないだろうか。
== 参考文献 ==