8.ともかく親の姫補佐官が「'''食人は禁止。祭祀における人身御供は禁止。'''」としたので、人身御供や食人を行うにはそれなりの理由が必要だと説明せねばならないことになった。一つには、食人と祭祀を切り離して、祭祀の方は「'''殺すだけで食べないのだから、禁止事項には当たらない。'''」という方便が考え出された。姫補佐官は土神ともされ、穀物や野菜は姫補佐官の死体から発生したものだ、とされた。土神に人身御供を捧げなければ神が怒って土から生える食物の豊穣は得られないかもしれない。姜王子は女性の太陽女神信仰を禁止した。そして、自分(太陽男神)の権威は、父である姫補佐官を神格化することと、饕餮補佐官が変化した桑の木の権威に頼ることにしたのだ。太陽女神を権威ある存在にすると、男である自分が太陽神を名乗れなくなってしまう。
この頃はまだ「太陽女神」の思想が残っていたので、「女性が天(円)、補佐官が地(方)」という考え方が強くて残ってしまった。食人は祭祀から離れ、特別な日のごちそうとされるようになった。この頃はまだ「太陽女神」の思想が残っていたので、「女性が天(円)、男性が地(方)」という考え方が強くて残ってしまった。食人は祭祀から離れ、特別な日のごちそうとされるようになった。
9.しかし、後に姜氏族は「火と太陽の神を祀る一族」であることにちなんで、「'''炎帝'''」という神がかつて存在したと言うようになった。「炎帝」とは姫青年に殺された'''饕餮補佐官を「理想の帝」とみなしモデルにしたもの'''である。そうして、まず'''土神の性質が姫補佐官神から取り上げられ、炎帝に移された'''。農耕は炎帝が発明したものとされるようになり、'''農耕に関する祭祀は炎帝のものとされるようになった'''。こうして農耕や養蚕に関する祭祀は、人々のための神であった土神(姫補佐官)から姜氏族の炎帝のものとなり、祭祀に伴うお布施は姜氏族が独占できるようになった。こうなると'''土神、植物神、蚕神としての姫補佐官は消してしまわなければならない'''ので、国内からはほとんど消した。あくまでも「犬族の姫補佐官神は土神である」と言い張る人々は粛正の対称とされた。「王室の先祖である姫補佐官に失礼だ」ということになり、後に彼らは政治という祭祀(占い)の場で姫補佐官の霊にお伺いを立てるための人身御供としてどんどん殺されることとなった。