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古代の「自然認識者」『'''フィシオログス'''』はコウノトリをキリストの象徴として、またその行動を人間のなすべき態度の模範と捉え次のように語っている。コウノトリはからだの真ん中より上は白、下は暗い色であり、キリストも同じく万人の神として上であるものの時もあれば、一人の人間として下であるものの時もあった。「天のものをなおざりにせず、地のものを見ごろしにしなかった」--- コウノトリは雄と雌が同時に出かけることがない。雄が餌を探す間、雌は雛の世話をする。それを交代して巣を空けることがない。人は朝も夜も欠かさず祈りを行い、悪魔に負けてはならない。--- コウノトリが雛を育て上げて皆が跳べるようになり、時が来ると一斉に飛び立ち移動する。時が来ると元の地に戻り巣作りをし、雛を育てる。イエスキリストが昇天し、時至って再来し、「倒れたものを起こされる」のと同じだ<ref>オットー・ゼール『フィシオログス』(梶田昭訳、博品社1994)158-160頁。</ref>。
古代ギリシア・ローマ以降西欧においてコウノトリは≪敬愛≫あるいは≪貞節≫の象徴として取り上げられた。前者については、[[アリストテレス]]が、「コウノトリのひなは長じて親鳥を養い返すということは、この鳥について広く知られた話である」と記しているという古代ギリシア・ローマ以降西欧においてコウノトリは≪敬愛≫あるいは≪貞節≫の象徴として取り上げられた。前者については、アリストテレスが、「コウノトリのひなは長じて親鳥を養い返すということは、この鳥について広く知られた話である」と記しているという<ref>P.アンセル・ロビン『中世動物譚』(関本榮一・松田英一訳、博品社1993)67-69頁。</ref>。
===ドイツ===
コウノトリ(ドイツ語でStorch)は、「春アフリカを出発してドイツに渡り、夏の末に戻ってゆく」。「ドイツ人にいる間は、人間の住宅の屋根や、教会の塔に棲みついている」。「ドイツ人たちの眼前では、鳥の姿で現われるが、秋になると帰ってゆく」。彼らの遠い本拠地では、人間の姿に戻るとする俗信があったが、この俗信はすでに[[1214年]]の文書(Gervasius コウノトリ(ドイツ語でStorch)は、「春アフリカを出発してドイツに渡り、夏の末に戻ってゆく」。「ドイツ人にいる間は、人間の住宅の屋根や、教会の塔に棲みついている」。「ドイツ人たちの眼前では、鳥の姿で現われるが、秋になると帰ってゆく」。彼らの遠い本拠地では、人間の姿に戻るとする俗信があったが、この俗信はすでに1214年の文書(Gervasius von Tibury)に見られる。「人間に幸運をもたらし、稲妻や火事から、人間を庇護してくれるという信仰は、比較的新しく一般に拡がったものでる、といわれている」。コウノトリに弟・妹を連れてきて、と頼む童謡がある。[[アーデルベルト・フォン・シャミッソー]]の記述にあるように、コウノトリは飲み水の湧き出る井戸、泉、あるいは池から赤子を連れてくると信じられていたTibury)に見られる。「人間に幸運をもたらし、稲妻や火事から、人間を庇護してくれるという信仰は、比較的新しく一般に拡がったものでる、といわれている」。コウノトリに弟・妹を連れてきて、と頼む童謡がある。アーデルベルト・フォン・シャミッソーの記述にあるように、コウノトリは飲み水の湧き出る井戸、泉、あるいは池から赤子を連れてくると信じられていた<ref>西郷啓造『文学のふるさと ドイツ民族とその民間信仰』[[朝日出版社]]1971年、53頁。西郷啓造『文学のふるさと ドイツ民族とその民間信仰』朝日出版社1971年、53頁。</ref>。
ドイツ中世の最大の叙事詩人にして[[ミンネゼンガー]]たる[[ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ]]の歌には、自身をコウノトリと比べる滑稽な表現が見られる。「こうのとりは畑の種を食い荒らさぬという。/私も同じ、婦人方に粒ほどの損害も与えませぬ」。コウノトリは、蛙、蛇、トカゲなどの小動物しか食べないので畑に害を及ぼすことがないという常識が背景にあるからである<ref>[[伊東泰治]]・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子「ヴォルフラムの叙情詩-TageliederとWerbelieder-」〔[[名古屋大学]]総合言語センター『言語文化論集』第IV巻、第2号、1983年、179頁〕。ドイツ語原文では、 »Seht waz ein storch saeten schade: noch minre schaden hânt mîn diu wîp» Lachmann : Lieder 5,28.</ref>。同じヴォルルラムの十字軍文学の傑作『ヴィレハルム』(375詩節)では、主人公の軍と戦う異教徒軍の石弓隊の描写において、彼らは「いっせいに数多くのまっすぐな矢をつがえ、矢尻までいっぱいに引き絞って射た。すると弦は巣の中のこうのとりの鳴き声のような音を立てた」と語られている<ref>ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ『ヴィレハルム』第8巻([[伊東泰治]]・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子訳)〔名古屋大学教養部・名古屋大学語学センター 紀要C(外国語・外国文学)22輯 1978、132頁〕。</ref>。

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