差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
28 バイト追加 、 2022年3月6日 (日) 09:38
髭は男性らしさの象徴でもあるので、髭を切ることは須佐之男の男性としての機能の喪失(去勢)、地上追放は神としての処刑を暗喩しているように思える。日本神話の特徴は、殺された女神が「織女」と「大宜津比売」の二つに分けられており、織女が殺されても何も発生しないが、大宜津比売の方に、穀物と蚕への化生が纏められている。おそらく、元は「馬の皮が織女を殺して蚕が発生した話」と「須佐之男(冥界神)が大宜津比売を殺して穀物を得た話」の別々の2つの話があったのだろう、と思われるが、それが一つに纏められて、須佐之男と馬の皮が同一視されているのが日本神話といえる。須佐之男が「殺された河伯」の思想を日本に取り込んで生まれた神であるなら、須佐之男は河伯でもあるし、馬でもあるし、扶桑樹でもある、と暗に示されている、ともいえる。中国の神話でも、死んだ馬と扶桑樹は一体化し、乙女を人身御供に得て、蚕を生ましめている。
1.河伯が織女を人身御供に求める話{| class="wikitable"|-2.死んだ河伯(扶桑樹、死んだ馬)が乙女を人身御供に求め、蚕を生ましめる話|1|河伯が織女を人身御供に求める話|-|2|死んだ河伯(扶桑樹、死んだ馬)が乙女を人身御供に求め、蚕を生ましめる話}
と、「河伯の死」によって、2つの系統に「河伯の物語」が枝分かれしていくことが分かる。

案内メニュー