'''蛙饕餮'''
という合成神を作り出した。姫補佐官と饕餮補佐官を一つの神にまとめて「父神」と呼ぶことにしたのだ。そうして二人が「'''天の蛙饕餮神'''」となるようにしたのだ。そこまで極端にしなくても'''「2神」が日月を支えて天に並び立つ'''と考える人たちもいた。ちなみに蛙のことを中国では「蛙黽(あぼう)」というので、蛙饕餮のことを人々は「アペ父さん」と呼んでいた。こうして黄帝も炎帝も採用せず、「アペ父さん」を祀っていた人々は石家河文化へと移り、と考える人たちもいた。ちなみに蛙のことを中国では「蛙黽(あぼう)」というので、蛙饕餮のことを人々は「アペ父さん」と呼んでいた。こうして黄帝も炎帝も採用せず、「アペ父さん」を祀っていた人々は石家河文化へと移っていった。彼らは
「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」と考えた屈家嶺文化
から分かれていったのではないだろうか。「'''天の蛙饕餮神'''」は仰韶文化、縄文八ヶ岳の人々に信仰されたと思われ、彼らの土器に'''蛙人紋'''として残されていると思われる。として残されていると思われる。そして、この蛙饕餮の中には「姜王子('''祝融''')」の性質も混じっていたと思われる。何故かというと、人々が 「姜王子('''祝融''')は饕餮の生まれ変わりだ。」 と考えていたからだ。だから姜王子('''祝融''')と饕餮をまぜこぜにして語り継いでいた。甘基王(ガンジ王)やザグレウスとディオニューソスの神話にその考え方が見えるように思う。
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