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188 バイト追加 、 2022年3月2日 (水) 15:46
物語の後半部分が、「怪物を説得する」という形式に変えられていても、元は「怪物退治」の物語が変形したものといえるので、狭姫の伝説の後半部分は、いわゆる羿神話に近い物語である。
前半部分は、狭姫はホノニニギの命とも、少名毘古那神とも類似点がある。酒や霊薬と関係した、との逸話はないので、嫦娥的な性質を伴った女神であったかどうかは分からない。嫦娥が「罰を受ける女神」だったとするならば、狭姫の場合、嫦娥的なのは母親のオオゲツヒメの方だといえる。<ref>「オオゲツヒメと狭姫」のような母娘関係の類話に「[http://bellis.sakura.ne.jp/k/tegalog.cgi?postid=187 大王の三人の妻]」という物語がある。</ref>
おそらく、乙子狭姫の物語は、記紀神話に併せて、連続性、類似性があるように変えられているが、本来は別の物語であったので、独立して残されたのではないか、と思われる。記紀神話に採用されなかった理由は、「'''天から、オオゲツヒメから派生した穀物(特に稲)がもたらされる'''」というイベントはホノニニギの命の独占エピソードとするため、という政治的な理由で排除されたのではないか、と思う。

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