養父神社
養父神社(やぶじんじゃ)は、兵庫県養父市養父市場にある神社。但馬国三宮、式内社(名神大社2座、小社3座)で、旧社格は県社。
「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として知られる。養父市場は古くから但馬牛の牛市の中心地であり、現在でも近隣の大藪で但馬牛のせり市が開かれている。
祭神[編集]
現在の祭神は次の5座。
- 倉稲魂命
- 大己貴命
- 少彦名命
- 谿羽道主命
- 船帆足尼命 - 谿羽道主命の子孫で但馬国造の祖
江戸時代に編纂された地誌『但馬考』にはかつて弥高山の山頂にあったとされる上社に大己貴命、中腹の中社に倉稲魂命と少彦名命、現社地である下社に谿羽道主命を祀るとの記述がある。『特選神名牒』では大己貴命以外の4座を不詳としている。昭和3年(1928年)発行の『養父郡誌』では上社が保食神と五十猛神、中社が少彦名命、下社が谿羽道主命と船帆足尼命としている[1]。
歴史[編集]
崇神天皇30年創祀と伝えられ、天平9年(737年)の『但馬国税正帳』にも出石神社、粟鹿神社とともにその名が見える。
神階は承和12年(845年)に従五位下を授けられ(『続日本後紀』)、貞観11年(869年)に正五位下、同16年(874年)に正五位上まで昇叙した(『日本三代実録』)。『延喜式神名帳』には「夜夫坐神社五座(名神大二座小三座)」との記載がある[1]。
江戸時代には水谷山普賢寺が別当寺であった。
1814年(文化11年)には、伊能忠敬が測量に訪れている。
狼信仰[編集]
養父神社では、田畑を荒らす猪や鹿から作物を守る益獣として昔から狼を守り神にしている。
鎌倉時代、関東で2mを越える大きな白猪が暴れていた。将軍・源頼朝に白猪退治を命じられた朝倉高清は、但馬に戻り養父神社に7日間こもって祈願した。神前から霊力のある鏑矢を授かり、その矢で見事、白猪を退治した。この功績が認められ、高清は頼朝の家来として迎えられた[2]。
という伝承がある。
地名について[編集]
養父[編集]
奈良時代、天平9年(737)に書かれた『但馬国正税帳』には「養父郡養父神」の文字がある。養父神は養父神社のことである。また霊亀3年(717)以前に成立したという『播磨国風土記』には、「夜夫郡(やぶぐん)」という漢字で地名が表現されている。 つまり、養父や夜夫という漢字が使われていた[3]。
祭事[編集]
- 2月25日 春季大祭(祈年祭)
- 4月第3日曜日とその前日 お走り祭り - 養父市指定無形民俗文化財。
- 5月2日八十八夜祭
- 10月10日 秋季大祭(例祭)
文化財[編集]
兵庫県登録文化財[編集]
- 有形文化財
- 養父神社 5棟(建造物) - 2010年(平成22年)3月5日登録[4]。
- 本殿 - 江戸時代末期の造営。
- 拝殿 - 江戸時代末期の造営。
- 摂社山野口神社本殿 - 江戸時代末期の造営。
- 摂社五社神社本殿 - 江戸時代末期の造営。
- 養父神社 5棟(建造物) - 2010年(平成22年)3月5日登録[4]。
養父市指定文化財[編集]
- 有形文化財
- 石造宝篋印塔 - 1977年(昭和52年)5月18日指定[5]。
- 無形民俗文化財
- お走り祭り
周辺[編集]
- 大藪古墳群
参考文献[編集]
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 『日本の神々(7)山陰』331頁
- ↑ 狼の力で守った白猪退治伝説、伝統文化伝説伝承、但馬の百科事典(最終閲覧日:25-01-09)
- ↑ まちの文化財(96) 養父という地名、養父市HP(最終閲覧日:25-01-10)
- ↑ http://www.hyogo-c.ed.jp/~shabun-bo/gyouseisituhp/top/29kentouroku.pdf, 県登録文化財一覧, 兵庫県立教育研修所, 2020-01-13
- ↑ 石造宝篋印塔 説明板。