もちろん、神々の恩恵は無報酬で与えられるものではない。人々は太陽女神に捧げ物をしなければならなかっただろうし、時代が下れば太陽女神の息子である「天の神」にも捧げ物をしなければならなくなったと思われる。この「天神」が「河川の神」も兼ねていたのであれば、「'''河伯に花嫁と称して若い娘を生贄に捧げていた'''」という神話は非常に有名である。おそらく、これらの祭祀を行うのは、神々と人々との間を取り持つシャーマンであったかもしれない。また、アジアには「神の化身として生きた人間を'''現人神'''とみなして敬う」という風習があるため、最上位のシャーマンは祭祀も行うけれども、祭祀者というよりは「神そのもの」として君臨していた可能性があるように思う。人々は当然現人神やシャーマンにも、豊穣を得るための捧げ物をしなければならなかったと思われる。最上位の女性である現人神は太陽女神の化身とされた。そして、その息子達は天神の化身であり、かつ太陽女神の祭祀者であり、また太陽女神の指図によって行動を制御されてもいたのではないだろうか。要は天においては、太陽女神は「神々の統治者」であり天候を制御するが、地上において「太陽女神」の現人神は軍事行動・略奪行為を制御する神でもあり、人々は彼女とその同族に捧げ物をして災いを避けるか、奉仕を拒否して略奪・強奪を受けるかを選ばなければならなかったものと思われる。
そのため、この「天神」兼「河川神」を祀る祭祀者(シャーマン)は、上位の者は太陽女神とほぼ一対の存在として、その男性自身も「現人神」のようにみなされたであろう、と考えるが、下位の者は「太陽女神に力を与える生贄としての息子」とされて、人身御供にされてしまうということになったのではないだろうか。
また、この巨人は「世界を支える樹木」として「[[扶桑]]」、「[[建木]]」、「[[若木]]」といったいわゆる「世界樹」であったとも考える。
一方、伝承では、[[盤古]]が亡くなった後に、その体から山に化生した部分もある、とされている。よって、図1,2の「山」は[[盤古]]の体の一部が変化したものなのである。そして、図1,2と図4を見比べた場合、図4の方が増えている紋様があることが分かる。いわゆる「雲」と呼ばれている部分である。