『日本書紀』神代巻では、媛蹈鞴五十鈴媛命が大三輪神の子と記すとともに、[[事代主|事代主神]]が八尋熊鰐となって三島溝樴姫(玉櫛媛)のもとに通い、生まれた媛蹈鞴五十鈴媛命が神武天皇の后になったと記す。『日本書紀』神武天皇即位前庚申年8月16日条にも同様の記載があり、ここでは玉櫛媛は三島溝橛耳(溝咋耳命)の娘と記されている。
これらの文献を踏まえた上で、さらに溝喰神社の境内社には大物主神でなく事代主神が祀られていることから、事代主神を奉祀する地祇系の鴨氏と三島勢力との交流を指摘する説がある<ref name="神々">事代主は出雲の大国主の子として記述されるが、『日本の神々』では、一説として事代主は本来出雲系でなく鴨系だと指摘している。</ref>。周辺には[[三島鴨神社]]・[[鴨神社 (高槻市)|鴨神社]]といった神社や、鴨村・鴨林といった地名が残り、天神系か地祇系の鴨氏の勢力がうかがわれ、<sup>''要出典範囲(要出典範囲、2020年11月)''、2020年11月</sup>後世になってこの交流が記紀神話に再構成され、出雲系の神が上記の様に強調されたと考える説がある。
大阪府茨木市に三島溝咋耳一族を祀る溝喰神社がある。