* 美吉の猿土手
:: 現在の鳥取県米子市にある美吉では加茂川の土手が度々決壊して困っていたが、米子城で人柱を立てたところ石垣が崩れなくなったとの話を参考に人柱を立てることにした。翌朝'''一番に通りかかった者を人柱にする'''ことに決まり、翌朝最初に通りかかった'''猿回しの男を猿とともに土手に埋めて'''人柱としたので、猿土手と言われるようになったとの伝説があり、付近には猿土手橋が架かっている<ref group="私注">これは元は川の猿神に対する生贄の話だったものではないだろうか。作法が類似しているように思う。</ref>。
* [[大垣城]]: [[1595年]]([[文禄]]4年文禄4年)、[[天守]]を建造する際に、工事を見物していた[[山伏]]を捕らえて人柱にしたとの伝説がある。、天守を建造する際に、工事を見物していた山伏を捕らえて人柱にしたとの伝説がある。* [[丸亀城]] : [[1597年]]([[慶長]]2年慶長2年)、丸亀城築城の際に石垣の工事が難航したため、人柱にされた豆腐売りの伝説がある。* [[郡上八幡城]] :: [[慶長]]年間、城の改修工事を行ったが工事が難航したため、人柱を立てることとなり、領内神路村の百姓吉兵衛の17歳の娘、あるいは大和村の羽生家の娘などとされる「およし」が人柱として土中に埋められたという伝説が残る。城内にはおよしを祀った祠、及び石碑があり、城下の善光寺には「およし稲荷」がある。[[郡上おどり]]の期間中には、下殿町で「およし祭」という縁日おどりが行われている。また「人柱歴約400年の17歳」「およしちゃん」として観光キャラクター化もされている。慶長年間、城の改修工事を行ったが工事が難航したため、人柱を立てることとなり、領内神路村の百姓吉兵衛の17歳の娘、あるいは大和村の羽生家の娘などとされる「およし」が人柱として土中に埋められたという伝説が残る。城内にはおよしを祀った祠、及び石碑があり、城下の善光寺には「およし稲荷」がある。郡上おどりの期間中には、下殿町で「およし祭」という縁日おどりが行われている。また「人柱歴約400年の17歳」「およしちゃん」として観光キャラクター化もされている。* [[芋川用水]] :一説に[[江戸幕府]]開府と同じ[[1603年]]([[慶長]]8年)頃の伝説。「[[芋川用水#取り入れ口]]」を参照のこと。:一説に江戸幕府開府と同じ1603年(慶長8年)頃の伝説。* [[彦根城]] :: [[1603年]]([[慶長]]8年)。大津城天守を移築して天守台に据え付けようとした時に工事がたびたび失敗するので、工事関係者が人柱を要望。城主の[[井伊直継]]が拒否し押し問答となった。家臣の娘が人柱を志願したので、直継がごまかして娘を箱に入れて人柱にしたと表向きは工事関係者に通知し、実際には空き箱を埋めて工事を成功させた。娘は密かに逃したという(晋遊舎ムック「戦国武将と名城」などによる)。1603年(慶長8年)。大津城天守を移築して天守台に据え付けようとした時に工事がたびたび失敗するので、工事関係者が人柱を要望。城主の井伊直継が拒否し押し問答となった。家臣の娘が人柱を志願したので、直継がごまかして娘を箱に入れて人柱にしたと表向きは工事関係者に通知し、実際には空き箱を埋めて工事を成功させた。娘は密かに逃したという(晋遊舎ムック「戦国武将と名城」などによる)。
* {{Anchors|松江城}}[[松江城]] :[[1611年]]([[慶長]]16年)。[[盆踊り]]の輪から連れ去られた娘、および、[[虚無僧]]を人柱にしたという伝説がある。
* [[白河小峰城]]