* 彦根城
:: 1603年(慶長8年)。大津城天守を移築して天守台に据え付けようとした時に工事がたびたび失敗するので、工事関係者が人柱を要望。城主の井伊直継が拒否し押し問答となった。家臣の娘が人柱を志願したので、直継がごまかして娘を箱に入れて人柱にしたと表向きは工事関係者に通知し、実際には空き箱を埋めて工事を成功させた。娘は密かに逃したという(晋遊舎ムック「戦国武将と名城」などによる)。
* {{Anchors|松江城}}[[松江城]] :[[1611年]]([[慶長]]16年)。[[盆踊り]]の輪から連れ去られた娘、および、[[虚無僧]]を人柱にしたという伝説がある。:1611年(慶長16年)。盆踊りの輪から連れ去られた娘、および、虚無僧を人柱にしたという伝説がある。* [[白河小峰城]] :: [[1629年]]、[[丹羽長重]]によって改修された際、本丸の石垣の一部が何度も崩壊したため、作事奉行和知平左衛門の娘の「おとめ」が人柱にされ、おとめが埋められた場所には桜の木が植えられ「おとめ桜」と呼ばれるようになったという1629年、丹羽長重によって改修された際、本丸の石垣の一部が何度も崩壊したため、作事奉行和知平左衛門の娘の「おとめ」が人柱にされ、おとめが埋められた場所には桜の木が植えられ「おとめ桜」と呼ばれるようになったという<ref>[http://shirakawa315.com/sightseeing/post_43.html 白河観光協会ホームページ『おとめ桜』]</ref>。* [[福島橋 (徳島市)|福島橋]] :[[寛永]]時代([[1624年|1624]]福島橋:寛永時代(1624-[[1645年]]、[[江戸時代]]初期)。当該項目を参照のこと。1645年、江戸時代初期)。当該項目を参照のこと。* 服部大池:1645年(正保2年)に完成。[[服部大池]] :[[1645年]]([[正保]]2年)に完成。[[広島県]][[福山市]]にある[[ため池]]。堤建設の際に埋められた「お糸の人柱伝説」。広島県福山市にあるため池。堤建設の際に埋められた「お糸の人柱伝説」。* [[吉田新田]]
:: [[1659年|1659]]-[[1667年]]([[万治]]2年-[[寛文]]7年)間の伝説。埋め立て工事に際しての「お三(女子名)の人柱伝説」が有り、鎮守の[[日枝神社 (横浜市南区)|日枝神社]]は「お三の宮」と呼ばれる。
* [[竜ヶ池 (鈴鹿市)|竜ヶ池]] :[[1665年]]([[寛文]]5年)。現在の[[三重県]][[鈴鹿市]]にある池。人柱にされた娘「お竜」の名を池名に残す。