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847 バイト追加 、 2025年1月18日 (土)
=== 九州 ===
* イガイ牟田:福岡県大野城市牛頸、旧筑紫郡には女性が十六歳になると、「十六参り」と言って宝満山(ほうまんざん)の上宮にお参りして、良縁を願う風習があった。それに宝満山竈門神社(かまどじんじゃ)の祭神(さいじん)玉依姫命(たまよりひめのみとこ)は、水分(みまくり)の神なので水を治めるために、十六歳の少女を捧げるという伝説が考えられたと思われる。イガイ牟田:福岡県大野城市牛頸、旧筑紫郡には女性が十六歳になると、「十六参り」と言って宝満山(ほうまんざん)の上宮にお参りして、良縁を願う風習があった。それに宝満山竈門神社(かまどじんじゃ)の祭神玉依姫命(たまよりひめのみとこ)は、水分(みまくり)の神なので水を治めるために、十六歳の少女を捧げるという伝説があった。*: 昔、太宰府から早良糸島(さわらいとしま)方面に往来する人は、イガイ牟田の沼の北側を横切って花無尾の丘に上がっていたが、沼を横切る所だけはいくら土を盛って道普請(みちぶしん)をしても、すぐ沼の中にめり込んでしまい、村人も旅人も大変難渋(なんじゅう)していた。昔、太宰府から早良糸島(さわらいとしま)方面に往来する人は、イガイ牟田の沼の北側を横切って花無尾の丘に上がっていたが、沼を横切る所だけはいくら土を盛って道普請をしても、すぐ沼の中にめり込んでしまい、村人も旅人も大変難渋していた。道普請をしていると、十六歳の一人の巡礼の娘が通りかかり、身よりもいないから、と人柱を申し出た。村人は断ったが、娘は勝手に沼の中に入り、沈んでしまった。すると娘が通って行った跡だけ、みるみる水が乾いて一筋の道になった。村人達は涙を流して巡礼娘が沈んだあたりに向かって手を合わせ、早速そこに土を盛って突き固め、さらに土を盛って突き固めて、遂に立派な道ができ上がったという。その後村人たちは、この道を西の方に百メートル程行った所の花無尾の丘の道端にある六地蔵の傍らに祠をたて、巡礼娘への感謝の供養を怠らなかったという<ref>[https://www.city.onojo.fukuoka.jp/s077/030/010/070/010/2089.html 底なし沼の人柱(牛頸)]、大野城市HP(最終閲覧日:25-01-18)</ref>。
* 百太郎溝:熊本県球磨郡多良木町、あさぎり町、錦町に江戸時代に造られた、全長19キロの灌漑用用水路で、人柱になった人の名前に因む。慰霊碑の写真がある。
::伝説によれば、昔、この地方を流れる川の氾濫で、田畑が流される災害がたびたび起こり村人が困っていた。ある時、「裾に二本の線がはいった着物を着た人物を人柱に立てよ」という神のお告げがあった。その着物を着た人物、百太郎に白羽の矢が立った。轟音とともに、橋の柱にくくりつけられた百太郎の声が、一晩中、村に響き渡ったという。それからは、水害はぴたりとやんだ。<ref>[http://yumeko2.otemo-yan.net/e363932.html]肥後国くまもとの歴史 多良木町百太郎溝入口旧樋門2014年2月26日閲覧</ref>

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