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* 爺婆を焼いて食べる。
という意味である。この2つは起源がやや異なるように思う。「火によって世界を清める」という概念は「穢れを清める」でもよいし、「疫神と戦う」という意味でも良いと考える。朝鮮神話の三神婆が一番良い例だと思うが、この女神は天然痘大王と対峙する医薬神の性質を持っている。彼女たちは、火をもって世界を清める太陽女神だったのだと考える。とすれば、歳徳神も古い時代の「'''火による清めの性質'''」を持つ太陽女神だったのだと思う。」を持つ太陽女神だったのだと思う。密枝(ミジ)にも境界や共同体を清める、という意味がある。 一方、密枝(ミジ)では酒を伴う宴、舞踏といった「清め」だけではない面があり、それは「どんど焼き」で爺婆を焼いたり、餅を焼いて食べることと共通している。「どんど焼き」で爺婆を焼くのも一種の「再現劇」といえ、これは「'''爺婆を焼いて食べた疫神'''」を慰撫するためのものといえる。 だから、'''太陽女神に「火による清め」をお願いしている'''のだけれども、その一方で'''疫神の機嫌をとって太陽女神を焼いてしまい、疫神を太陽神として持ち上げる'''、という矛盾したことをしている祭祀が、「'''どんど焼き'''」でもあり、「'''密枝(ミジ)'''」でもあるといえる。 なので、歳徳神は「'''敬われる清めの女神(太陽女神)'''」でもあり、「'''恵方巻きにして食べられてしまう女神'''」でもあるということになる。この2つを合わせて、 '''女神に清めの仕事をやらせた上で、殺して食べると無病息災になる''' という神話に基づくのが「'''どんど焼き'''」でもある、といえる。よくよく'''自分勝手で、自分だけが良ければ、誰でもこき使ったあと殺してしまえばいい'''というのが日本の「'''どんど焼き'''」、疫神を一応もてなすけれども、その後村の外に捨ててしまう密枝(ミジ)は、'''良心的'''だ、と考える管理人である。
== 参考文献 ==

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