そして「キジも鳴かずば」では物語は建設工事の完遂で「めでたし、めでたし」で終わらず、更に追加された要素がある。
# 主人公である娘が父親を失ったショックで唖になる、という要素主人公である娘が父親を失ったショックで唖になる、という要素(受罰的要素)
# 主人公である娘がキジと一体化し、キジの死と共に彼女も姿を消す、という要素
# 主人公を殺すのが狩人である、という要素
である。
1の要素はローマ神話の[[ラールンダ]]の物語に似る。[[ラールンダ]]の物語は下位の女神であるラールンダが余計なおしゃべりをするので、下を切り落とされた上に殺された、という筋である。また、天若日子神話ではキジの女神が「余計なことをしゃべった」という理由で天若日子に殺されているので、女主人公のトーテムが「余計なことをしゃべる鳥」であるキジであること、「余計なことをしゃべった」女主人公が唖になることは一体となって、[[ラールンダ]]の物語から[[天若日子]]神話と「キジも鳴かずば」の両方に取り込まれた要素なのではないか、と個人的には考える。古代の日本は大陸より積極的に先進の文化と技術をを取り入れており、その中には原始キリスト教やローマ神話に関する知識もあったことと思われる。神話と「キジも鳴かずば」の両方に取り込まれた要素なのではないか、と個人的には考える。 2、3の要素は、突然登場した狩人が主人公の化身であるキジを殺すことで、主人公の死を暗示している。おしゃべりで罰を受けた女神が殺される点はギリシア神話のパーン、ローマ神話のメルクリウスの仕業とされる。「キジも鳴かずば」では狩人は主人公の夫とはされていないが、ギリシア神話のパーン、ローマ神話のメルクリウスがいわば「妻的な女性を殺す」神であることから、本来の神話では狩人は娘の夫であったことが推察される。記紀神話では[[鳴女]]の夫の存在は語られず、[[天若日子]]が冤罪的な罰として[[鳴女]]を射殺す形に変えられている。 4の要素は、「余計なことをしゃべらないように」という物語の教訓的な要素として、ギリシア神話、ローマ神話と共通するモチーフである。これはギリシア神話でもさほど古い概念ではないため、日本神話に取り込まれた経緯が興味深く感じる。 古代の日本は大陸より積極的に先進の文化と技術をを取り入れており、その中には原始キリスト教やローマ神話に関する知識もあったのではないかと思う。[[天若日子]]神話ではキジは[[天照大御神]]の使い、すなわちの使いとされているので、「キジも鳴かずば」においての女主人公とキジの死においても、太陽女神あるいは(かつ)職能神としての女神の権威を否定し、その地位を低下させる目的が暗喩されているのではないか、と考える。富山県南砺波市にある比賣神社では、キジを下光比売命の使いとしている。[[下光比売命]]は出雲系・賀茂系の神で高天原ではなく地上に住んでいる神といえる。太陽女神であるとしても、[[天照大御神]]よりも地位の低い「太陽女神」といえる。付近には長野県野尻から移住した氏族の建立した石武雄神社がある。石武雄とは、金刺氏の先祖である武五百建命のことと思われ、キジと下光比売命あるいは天照大御神とを結び付けてその権威を低下させようと試みたことに金刺氏が関与したのではないか、と管理人は推察する。すなわち、地方の民間伝承のみならず、記紀神話の内容にも影響を与え得るような立場に古代の金刺氏はいたのではないだろうか。 太陽女神の地位の序列としては * [[天照大御神]]の化身とも考えられるので、「キジも鳴かずば」での女主人公とキジの死は、太陽女神あるいは(かつ)職能神としての女神の権威を否定し、その地位を低下させる目的があったのではないか、と考える。富山県南砺波市にある比賣神社では、キジを下光比売命の使いとしている。付近には長野県野尻から移住した氏族の建立した石武雄神社がある。石武雄とは、金刺氏の先祖である武五百建命のことと思われ、キジと下光比売命あるいは天照大御神とを結び付けてその権威を低下させようと試みたことに金刺氏が関与したのではないか、と管理人は推察する。すなわち、地方の民間伝承のみならず、記紀神話の内容にも影響を与え得るような立場に古代の金刺氏はいたのではないだろうか。 > [[下光比売命]] > [[鳴女]] といえる。下位の女神ほど、人身御供、冤罪などで生命が奪われる可能性は高くなる。「キジも鳴かずば」で、物語の前半は'''人身御供を受ける側'''の性質が強い女主人公が、物語の後半では上位の神的存在である'''狩人'''に事実上殺されてしまう点は神話・信仰における「太陽女神」の地位の低下を目論む金刺氏の思想の変遷を見るようで興味深い。女主人公の不幸な変遷を、フランスの民間伝承である「赤ずきん」と比べれば、下位の女神を助けようとするのがフランスの「狩人」であって、古い時代の女神信仰と女神に対する敬意がより色濃く残っているのが「赤ずきん」であるといえると考える。古代における太陽女神の地位を低下させようという動きが東洋の方でより盛んであったことが窺える。
== 関連項目 ==