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== 『集史』における記述 ==
[[フレグ・ウルス]]において[[ラシードゥッディーン]]によって編纂された史書、『集史』も『元朝秘史』と同じようなボルテ・チノにまつわる伝承を記録しているが、『元朝秘史』の伝える伝承と異なる点も存在する。両者の最も大きな相違点は、『集史』がボルテ・チノをモンゴル部最初の始祖とせず、それより以前の「ネクズとキヤン」に纏わる伝承をからモンゴル族の起源を説明している所にある。フレグ・ウルスにおいてラシードゥッディーンによって編纂された史書、『集史』も『元朝秘史』と同じようなボルテ・チノにまつわる伝承を記録しているが、『元朝秘史』の伝える伝承と異なる点も存在する。両者の最も大きな相違点は、『集史』がボルテ・チノをモンゴル部最初の始祖とせず、それより以前の「ネクズとキヤン」に纏わる伝承をからモンゴル族の起源を説明している所にある。
「ネクズ・キヤン伝承」は「ボルテ・チノ伝承」と「男女が遠方よりブルカン・カルドゥンを訪れ、その子孫がモンゴル部族の始祖となった」とする点で共通しており、同じ始祖伝承から派生した逸話ではないかと考えられている。
なお、ネクズとキヤンとはモンゴル部に属する氏族集団の名称でもあり、12世紀末にモンゴル部で最も有力な集団こそがキヤト氏と、ネクズ氏から派生したタイチウト氏であった。ネクズ氏はチノス(狼)氏という別名も有しており、モンゴル部の始祖とされるBörte čino=NekuzとQo'ai maral=qiyanとは、12世紀末の有力集団タイチウト氏とキヤト氏の族霊(オンゴン)、すなわち狼と鹿をモチーフとするものではないかと推測されている<ref>村上1993,230-238頁</ref>。
 
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%8E ボルテ・チノ](最終閲覧日:22-11-21)
** 小澤重男『元朝秘史(上)』岩波書店、1997年(岩波文庫 青411-1)
** 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
** 村上正二訳注『モンゴル秘史 1巻』平凡社、1970年
** 村上正二訳注『モンゴル秘史 2巻』平凡社、1972年
** 村上正二訳注『モンゴル秘史 3巻』平凡社、1976年
** 村上正二『モンゴル帝国史研究』風間書房、1993年
== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
*小澤重男『元朝秘史(上)』岩波書店、1997年(岩波文庫 青411-1)
*志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
*村上正二訳注『モンゴル秘史 1巻』平凡社、1970年
*村上正二訳注『モンゴル秘史 2巻』平凡社、1972年
*村上正二訳注『モンゴル秘史 3巻』平凡社、1976年
*村上正二『モンゴル帝国史研究』風間書房、1993年
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[[Category:始祖神話]]
[[Category:モンゴル神話]]
[[Category:狼]]

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