石峁遺跡からは[[城背渓文化]]の「太陽神石刻」の時代からおなじみの「髪の毛がない(あるいは弁髪の)神像」の石刻が壁から見つかっている(図1)。そして[[大渓文化]]以降見られるように、「首のみ」の石刻である。その一方で、良渚文化より見られるようになった、後の時代の「[[饕餮]]紋」と呼ばれる獣様の石刻も多数認められる(図2)が、その多くも「首のみ」である。そして、「弁髪様」の石刻は小さく表現されるようになっているように思われる。よって、石峁遺跡は万里の長城付近という北方地域にありながら、遠く長江文明の影響も受けている文化といえる。ただし、良渚文化では王権を示す鉞に刻まれ「王権の象徴」と考えられる態様であった「前[[饕餮]]紋」は壁に刻まれ、'''城塞を守る神のような存在'''として現された可能性があるように思う。城塞を築くような大規模な工事を命令できるのは強い権力を持った王権者と思われるので、王の権威を現す紋様ではあるのかも知れないが、「前[[饕餮]]紋」の性格は良渚文化よりもやや変化しているし、拡張されている可能性もあるように思う。そして、「前[[饕餮]]紋」は「弁髪様」が次第に姿を消し、殷代の「[[饕餮]]紋」に近いものに置き換わりつつあるのではないか、という印象を受ける。
「首のみ」の神像は、多様であるが、全て同じ「一つのもの」あるいはせいぜい2,3種類のものを現しているのではないか、と考える。古代の世界の神話にはインド神話のプラウマーのように4つの顔を持つもの、日本の[[魏石鬼八面大王]]のように8つの顔を持つもの、ギリシャ神話のヒュドラーのように9頭、日本神話の八岐大蛇のように8頭といった多頭の蛇神など、複数の顔を持つ神々が正邪を問わず存在する。石峁遺跡の「前[[饕餮]]紋」も「多頭の神」と考えれば、多くの頭と顔があっても全て「同じ神」と解釈することが可能である。その場合、城塞そのものがこの神の巨大な身体、と見たてられている、ともいえるように思う。紋」も「多頭の神」と考えれば、多くの頭と顔があっても全て「同じ神」と解釈することが可能である。その場合、城塞そのものがこの神の巨大な身体、と見たてられている、ともいえるように思う。都市の住民からすれば、「前[[饕餮]]紋」と城塞は、一体となった'''都市を守るための神'''ともいえる。
== 参考文献 ==