==== 古代 ====
* [[斉明天皇|皇極天皇]]3年(644年)7月に富士川のあたりで、大生部多は長さ4寸ほどの皇極天皇3年(644年)7月に富士川のあたりで、大生部多は長さ4寸ほどの'''虫'''を指して、「これは常世の神である。この神を祭る人は、富と長寿が得られる」といい、'''虫祭り'''をすることを勧めた。巫女たちも神のお告げといつわり、「常世の神を祭ると、貧しい人は富を得、老人は若返る」といった。このために信仰は広まり、都でも田舎でも'''常世の虫をとって安置し'''、財宝を差し出したが、何の利益もなく、損失が多かった。秦河勝は民衆が騙されるのをにくみ、大生部多を捕え打ち懲らしめたところ、巫女も恐れて祭りを勧めることをやめた<ref>この場合も虫を一種の「祖霊」とみなしていたのであれば、虫送りの原型の祭祀として興味深いと感じる。</ref>。
* 大宝元年8月(701年9月頃<ref group="*">和暦の大宝元年8月1日と8月29日(同月最終日)は、西暦(ユリウス暦)では701年9月7日と10月5日。</ref>、飛鳥時代末期) - 三河国(現在の愛知県東部地域)を始めとする17か国に蝗害あり/『続日本紀』巻2 大宝元年8月辛酉条に基づく。以後、数年おきに蝗害の記録あり。
* 天平21年/天平感宝元年/天平勝宝元年(749年、奈良時代中期) - 下総国(現在の千葉県北部・茨城県西部地域等)に蝗害あり/『続日本紀』に基づく。