守宅神

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動

守宅神(もりやのかみ、もりたのかみ、もりたかのかみ[1]、もりたくのかみ[2])は、長野県諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)の神。守田ノ神[3]守矢神[4]洩宅神とも表記される。

概要

明治初期に書かれた守矢氏の家系図『神長守矢氏系譜』[5]の中では初代の洩矢神に次いで2代目とされる神で、妹には多満留姫がいる。これによると父である洩矢神から祭政官としての地位を引き継ぎ、諏訪大神(建御名方神)と狩りに行った際に1,000頭の鹿を得たことから自分の子を千鹿頭神と名付けた。長野市七二会にある守田神社(式内社・守田神社の論社)の祭神の守達神(建御名方神の御子神)とも同視されている。

『信濃国官社諏訪神社神長官守矢家略系図』(延川和彦著『修補諏訪氏系図』に収録)では守屋山に鎮座する神とされている[4]

考証

『日本三代実録』の貞観元年(859年)2月11日条には信濃国に祀られている建御名方神(正二位)、八坂刀売神(従二位)、生島神・足島神(正四位下)、そして宝宅神(従五位上)の神階昇進の記事[6]があるが[7]、印本では「宝宅神」が「守宅神」となっている[8]。江戸末期には「守宅」を「もりや」と読み守屋山の神として洩矢神に比定する説が現れたが[9][10][11]、『守矢氏系譜』では洩矢神は守宅神の父神とし両者を別としている。

これについて山田肇(1929年)は「モレヤもモリヤも同語ではないか、洩矢の子は直ちに千鹿頭であらう。然るに此の間に守矢を置くのは洩矢神社と守矢大神祠とがあり、これを別神と認めた作為で、其の実は洩矢神即ち守矢大神とあらねばならぬ。されば一書には守矢の亦名千鹿頭となつてゐる」と書いている[1]

一方大和岩雄(1990年)は狩猟性を示す洩矢神(ここでは守矢氏が祀るミシャグジと同視)が農耕性を持ったことから狩猟的「洩矢」と区別して農耕的「モリヤ」を「守宅(守田)」として『系譜』では父子関係になったという説を立てている[12]

私的考察

守宅神は洩矢神に似ているけれども、とりあえず「別の神」として分けるために作った神ではないだろうか。そうしておけば、必要に応じて「同じ神」とも「違う神」とも主張できるからである。長野市にある守田神社の祭神である守達神とは「同じ神」として良いかと思う。水内郡の金刺氏は、とにかく「子神」というものが好きで、こだわる傾向がある。例えば、善光寺に関しては

  • 健御名方富命彦神別神(建御名方神の子神)
  • 御年神(須佐之男命の子孫)
  • 八幡神(神宮皇后と応神天皇の子神)

と「子神」が中心に祀られている。御年神と八幡神は全国的に分布する神だが、健御名方富命彦神別神は地方的な神である。守宅神も子神であって、地方神的な神といえる。長野県内のことに限っていえば、一宮は諏訪大社なので、長野市(水内郡)の神々を「子神」とすれば、諏訪大社に関連する神々を「親神」とすることが妥当と考える。守宅神・守達神とは、そのように「子神」かつ「水内郡の神」とすることを前提として洩矢神から分離し、独立させるために作られた神といえるのではないだろうか。

参考文献

  • Wikipedia:守宅神(最終閲覧日:25-01-31)
    • 今井野菊, 1976, 神々の里 古代諏訪物語, 国書刊行会, ncid:BB07630391
    • 大和岩雄, 大和岩雄, 1990, 信濃古代史考, 名著出版, isbn:978-4-626-01363-7
    • 茅野市神長官守矢史料館, 2017, 神長官守矢史料館のしおり, 第三版
    • 山田肇, 1929, 諏訪大明神, 信濃郷土文化普及会, 信濃郷土叢書 第1編, ncid:BA60331112
    • 細田貴助, 2003, 県宝守矢文書を読む―中世の史実と歴史が見える, ほおずき書籍, isbn:978-4-434-03552-4

関連項目

脚注

  1. 1.0 1.1 山田肇, 1929, 諏訪大明神, 信濃郷土文化普及会, p80, 信濃郷土叢書 第1編, 健御名方命に降服した諏訪の國つ神 洩矢神及び武居大伴主惠美志命
  2. 今井野菊『神々の里 古代諏訪物語』国書刊行会、1976年、47頁。
  3. 神長官守矢史料館のしおり, 第三版, p11, 茅野市神長官守矢史料館, 神長官守矢史料館, 守矢氏系譜
  4. 4.0 4.1 延川和彦「信濃国官社諏訪神社神長官守矢家略系図」『諏訪氏系図 続編』飯田好太郎、1921年、21頁。
  5. 諏訪教育会 編「神長守矢氏系譜」『諏訪史料叢書 巻28』1938年、31-72頁。
  6. 「十一日丁酉。有赤黄白氣。形如車輪繞日。授信濃國從二位勳八等建御名方富命神正二位。正三位建御名方富命前八坂刀賣命神從二位。神祇官從四位上生嶋神。足嶋神並正四位下。信濃國從五位下寳宅神從五位上。」
  7. http://www.j-texts.com/chuko/sandai.html, 『日本三代實録』全巻(朝日新聞本)(リンク切れ、2023年2月)、J-TEXTS 日本文学電子図書館, 2019-05-18
  8. 国史大系 第4巻』経済雑誌社編、経済雑誌社、1897年、23頁。
  9. なお中世から江戸時代へかけてはそのような説は見られない。
  10. 細田貴助『県宝守矢文書を読む―中世の史実と歴史が見える』ほおずき書籍、2003年、20頁。
  11. 「守宅神と武居大伴主神と」『信濃史蹟 上』福山寿久編、信濃新聞社、1910年、18-19頁。
  12. 大和岩雄『信濃古代史考』名著出版、1990年、201-202頁。