プシューケー
プシューケー(Ψυχή, Psūkhḗ)とは、ギリシア神話に登場する人間の娘の名で、この言葉は古代ギリシア語で心・魂・蝶を意味する[私注 1]。 日本語のカタカナ音訳ではプシューケー[1][2]の他に、「υ(y)」を短母音読みしてプシュケー(Psychē)[3]、最後の長母音も省略してプシュケ、または俗ラテン語読みでプシケーとも表記する。児童向けの本では英語読みでサイキと表記される事もある。 アプレイウスのラテン小説『黄金の驢馬』の中の挿話(クピードーとプシューケー)として登場する。ラテン文学であるため、ウェヌス、クピードーといったローマ神話の神名が用いられているが、ギリシア神話の一編として紹介される場合、アプロディーテー、エロースとギリシア神話の神名に直されていることが多い。本項の説明においては原書のとおりローマ神話の名前で表記する。
概要
ある国の3人の王女はいずれも美しく、中でも末のプシューケーの美しさは美の女神、ウェヌスへ捧げられるべき人々の敬意をも集めてしまうほどであった。人間の女に負けることなど思いもよらなかったウェヌスは、息子クピードーにその愛の弓矢を使ってプシューケーに卑しい男と恋をさせるよう命じる。悪戯好きのこの愛の神は喜んで母の命令に従うが、誤って自分をも傷つけプシューケーへの愛の虜となってしまう。 プシューケーに求婚者が現れないことを憂いた父母はアポロの神託を受けるが、その神託とは、「山の頂上に娘を置き、『全世界を飛び回り神々や冥府でさえも恐れる蝮のような悪人』(ラテン文学ではおなじみの恋の寓喩である)と結婚させよ」という恐ろしいものであった。悲しむ人々の中プシューケーは一人神託に従うことを決意し、山に運ばれる。
ゼピュロスがこの世のものとは思えない素晴らしい宮殿にプシューケーを運び、宮殿の中では見えない声が、この中のものはすべてプシューケーのものだといい、食事も音楽も何もかもが心地よく用意されていた。夫は夜になると寝所に現れるのみで姿を見ることはできなかった[4]。宮殿での生活を楽しんでいたプシューケーだが、やがて家族が恋しくなり、渋る夫を泣き落として二人の姉を宮殿に招く。プシューケーの豪華な暮らしに嫉妬した姉達は、姿を見せない夫は実は大蛇でありプシューケーを太らせてから食うつもりであると説き、夫が寝ている隙に剃刀で殺すべきであるとけしかけた。
この言葉を信じたプシューケーが、寝ている夫を殺すべく蝋燭を持って近づくと、そこには凛々しい神の姿が照らし出された。驚いたプシューケーは蝋燭の蝋を落としてクピードーに火傷を負わせてしまう。妻の背信に怒ったクピードーはその場を飛び去る。
姉達の姦計にようやく気づいたプシューケーは姉達の元へ行くと、今度はクピードーは姉達と結婚するつもりだと嘘を教えた。喜んだ姉達はゼピュロスが宮殿へ運んでくれると思い、断崖から身を躍らせたが、風は運ばず、姉達は墜落してばらばらに砕けた。
ウェヌスの試練
一方ウェヌスは息子の醜聞に激怒し、ウェヌス自らの接吻を与えるという懸賞までかけてプシューケーを捕らえようとした。恐れたプシューケーはケレースに庇護を求めるが、ケレースは「ウェヌスとのつきあいがある」との理由で拒否した。そこで今度はユーノーに庇護を求めるが、ユーノーは「逃亡した奴婢をかくまってはならないことになっている」と法律を理由に拒否した。
かくて、愛を追いながらも世間のしがらみに行き場所をなくしたプシューケーは、観念してウェヌスのもとに出頭した。ウェヌスはプシューケーを捕らえて折檻し、次々と無理難題を押し付けた。しかし、大量の穀物の選別を命じられた際はどこからともなく蟻がやってきて手助けしてくれたり、凶暴な金の羊の毛を取ってくるよう命じられた際には河辺の葦が羊毛の取り方を助言してくれて、竜の棲む泉から水を汲むよう命じられた際はクピードーに可愛がられていたユーピテルの大鷲が水を汲んで来てくれるなど、不思議な助けを受けてウェヌスの難題を乗り越える[5]。
業を煮やしたウェヌスは息子クピードーの火傷の介抱で衰えた美貌を補うために冥府の女王プロセルピナに美をわけてもらってくるよう命ずる。首尾よく美をわけてもらったプシューケーだが、自分の容色も衰えクピードーの愛も失うのではと不安になり、箱を開けないよう警告されていたにもかかわらず開けてしまう。しかし、中には冥府の眠りが入っていた[私注 2]。
傷の癒えたクピードーは昏倒している妻から冥府の眠りを取り去って箱に集め、ユーピテルにとりなしを頼む。ユーピテルはクピードーが良い女を見つけたら紹介することを条件にとりなしを了承する。ユーピテルはプシューケーに神の酒ネクタールを飲ませ神々の仲間入りをさせた[6]。プシューケーはもう人間でないのだから身分違いの結婚ではないと説明され、ウェヌスもやっと納得した。かくて魂は愛を手に入れ、二人の間にはウォルプタース(「喜び」、「悦楽」の意)という名の子が生まれた。女神となったプシューケーが絵画に描かれるときには、蝶の翅を背中に生やした姿をとる例が多々見られる[7]。
私的解説
いわゆる「クピードーとプシューケー」型神話の原点といえる。
- 女主人公の方が主人公よりも下位の身分である点
- 何らかの難題に女主人公が挑まなければならない点
- 物語中に何らかの「禁忌」が含まれ、女主人公がそれを破って罰を受けるという点
等が特徴の物語群である。女主人公には「人身御供」としての性質が暗喩される。本物語でもプシューケーはプロセルピナによって死ぬ。しかし、夫のクピードーによって再生される。クピードーの再生の能力は、ユーピテルからネクタールを授かって得た限定的なもの、というようになっている。ネクタールは東洋で述べるところのいわゆる「不老不死の薬」と思われる。東洋では西王母の持ち物とされるが、西洋では最高神である雷神の持ち物とされているところが興味深い。
物語の前半部分でプシュケーは夫を「何か見えない者」から「見える者」へと変化させる。そのため、本物語は炎帝を再生させるタイプの「炎帝型」の「美女と野獣」譚と考える。
夫のクピードーはアモール(Amor)とも呼ばれる。一方、ヒッタイト神話では月の神のことをアルマ(Arma)と呼ぶ。おそらく、「何か見えない者」から「見える者」へと変化させる女神とは、「月」の満ち欠けあるいは月食を支配する女神、という意味があったのではないだろうか。ヒッタイト神話では「転落した月の神」を天に戻す女神はカムルシュエパ(Kamrušepa)と呼ばれた雲の女神であった。プシュケーも本来は、雲の発生に関係する西王母型の天候神だった可能性がある。
プシュケーが蝶の姿を取る点は、蝶が「不老不死の神力を持つ」という日本神話の常世神を思わせる。ネクタールは本来、「再生の力を持つ」とされたプシューケーの持ち物ではなかったのだろうか。物語の後半は、プシュケーの受ける罰と死の物語となるが、彼女を蝶になぞらえることで強引に生き返らせることにした話といえる。人身御供の正当化といえよう。男性の神が「再生の力を持つ」とされた点は比較的時代の新しい後付けの話ではないだろうか。
類話
関連項目
参考文献
- Wikipedia:プシューケー(最終閲覧日:22-09-26)
- 『黄金のろば 上巻』アプレイウス作、呉茂一訳、岩波文庫、1956年、ISBN 978-4003211816
- 『黄金のろば 下巻』アプレイウス作、呉茂一・国原吉之助訳、岩波文庫、1957年、ISBN 978-4003211823
- 『黄金の驢馬』アープレーイユス作、呉茂一・国原吉之助訳、岩波文庫、2013年、ISBN 978-4003570012