伏羲・女媧神話
題して、「『父系』と『母系』でこんなに違う伏羲・女媧神話」。
袁珂氏の『中国の神話・伝説 上』で紹介されている父系のヤオ族の伏羲・女媧神話と、母系の神話を色濃く残しているミャオ族の伏羲・女媧神話は、似たような話なのに、方向性が全く異なる、と感じるため、可能であれば変遷まで含めて、比較考察してみたい。
ちなみに、ヤオ族は犬祖伝承を持つ父系の人々で、槃瓠を先祖として祀っている。伏羲・女媧神話は彼らのメジャーな始祖伝承ではない。
中国(ヤオ族)神話[編集]
1[編集]
1.伏羲・女媧の父が雷公をとじこめていたが、兄妹であった子供たちがそれを解放してしまう。父は鉄船を作って洪水に備えた。洪水が起きると父の乗った船は水に浮き、天に届いた。父が天門を叩くと、天神はこれを恐れ、水神に水を引かせるよう命じた。水があっという間に引いたので、鉄船は天から転げ落ちた。父親は鉄船と共に粉々になって死んだ。兄妹は雷公を助けた時にもらった種を植えており、そこから生えた巨大なヒョウタンの中に避難して助かった。兄妹を残して人類は滅亡したが、二人は仲良く暮らしていた。
2[編集]
2.その頃は天門がいつも開いていたので、兄妹は天梯を昇ったり下りたりして天庭に遊びに行っていた。二人が大人になると兄は妹と結婚しようと考えた。二人は大木の周りを回って追いかけっこをし、兄が妹に追いついたら結婚することにした。妹は素早くて捕まえることができなかったが、兄は計略を使って妹を捕まえ結婚した。
3[編集]
3.結婚後、妻は肉の塊を一つ産み落とした。夫婦は奇妙に思い、肉の塊を切り刻んで天庭に持って行こうとした。途中で強風により紙の包みが敗れ、切り刻んだ肉片があちこちに飛び散り、大地に落下するといずれも人間になった。落下した場所の名をとって彼らの名とした。こうして人類はよみがえった[1]。
ミャオ族伝承[編集]
1[編集]
1.昔、天を支えて大地に立つアペ・コペンという男がいた。男は雷と兄弟分で、雷が良く遊びに来ていた。雷は鶏肉が嫌いだったが、アペ・コペンはいたずらでこっそり鶏肉を食べさせた。怒った雷はアペ・コペンを切り裂くことにした。襲ってきた雷をアペ・コペンは捕まえたが、バロン(娘)とダロン(息子)が開放してしまう。
2[編集]
2.雷は逃げる時にアペに見つかりそうになり、枯木の幹の中に隠れる。そして何とか逃げおおせる。アペは丸木舟を作って洪水に備えた。
3[編集]
3.洪水が起きると父の乗った船は水に浮き、南天門(天国の入り口)に流れ着いた。そこに日月樹が生えていたので、アペは丸木舟を降り、この木を昇って天におしかけることにした。雷はひとまずアペを歓待することとして、もてなしている間に太陽を十二出し、日月樹を枯らしてしまうことにした。そうしたらアペはもう地上に戻れないので、その間にアペを殺す方法を考えるつもりなのだ。雷の真意に気がついたアペは雷に殴りかかった。雷が逃げたので、天上では雷とアペの追いかけっこが始まり、雷は天のあちこちで鳴るようになった。アペが暴れたので、地上には山や川や海ができた。
4[編集]
4.兄妹は雷を助けた時にもらった種を植えており、そこから生えた巨大なカボチャの中に避難して助かった。兄妹を残して人類は滅亡した。
5[編集]
5.妹は人類を増やすために結婚しようと兄を説得した。兄は近親結婚を行ったら雷の怒りを買うのではないか、と恐れたが、天にいるアペが結婚を許した。雷はアペに追い回され、もう子供達に罰を与える力は残っていなかったのだ。アペは息子に「石臼のような子が生まれたら切り刻んで四方にまくように。」と言った。
6[編集]
6.結婚後、妻は石臼のような子を一つ産み落とした。石片をあちこちにまくと人間になった。落下した場所の名をとって彼らの名とした。最後の一切れは薬草になった。ミャオ人は兄妹をしのんで秋におまつりをし、子供のいない夫婦は先祖のバロンとダロンに子宝を願うようになった。[2]。
私的解説[編集]
共通点[編集]
まず、それぞれの伝承の共通点から挙げる。
- 父親と息子と娘の3人家族がいる。
- 父親が雷神を捕らえる。
- 子供達が雷神を逃がしてしまう。
- 雷神は怒って大洪水を起こす。
- 父親は雷神と戦って地上から姿を消す。子供達は雷神に助けられて生き残る。
- 子供達は夫婦となって、彼らが地上に撒いたものから新人類が発生する。
というモチーフが共通している。ミャオ族の伝承の方が内容が充実しているので、更にそこから「共通項」として付け加えられるものがないか探してみる。
父親と雷神[編集]
ヤオ族伝承では、父親と雷神の関係は語られない。ミャオ族伝承では、父親と雷神は「兄弟分」だったとされている。すなわち、元は仲良く行き来する仲だったのだ。ヤオ族の伝承でも、雷神が嵐を起こしたから父親は雷をつかまえたのだから、捕まえる前は、普通に雨を降らせる「良い雷神」だったといえる。だから、どちらの雷神もそうだけれども、
「最初は良い雷神」
だったものが、父親との仲が悪化して捕らえられた、ということになる。そうして、捕らえられた後は、「怒りの雷神」と化して父親を殺し、人類を滅ぼそうとするのだ。
3段階の物語である[編集]
物語は大きく分けて、3段階ある。
- 父親と雷神が戦う話。
- 兄妹だけが雷神を助け、助けられる話
- 兄妹が人類の始祖となる話
である。
本来は2つの神話だったのではないだろうか[編集]
物語で大きく違和感を感じる部分が2つある。
- いくら古代の人が作った神話だといっても、作者たちが全人類が滅亡するほどの大洪水はあり得ない、と気づかないはずがあるだろうか、という点。
- 子供達の父親が消えて兄妹が取り残された以後、雷神まで子供達の前から姿を消してしまう。それは何故なのだろうか、という点。
である。
1については、「雷神の力の偉大さ、あるいは恐ろしさを強調するため。」だろうと考える。そして、やはり父系のヤオ族の伝承では、「子供達は雷神に選ばれたのだ。」という選民思想に繋がるように思う。それは「雷神に選ばれたのだから、二人の子孫は特別な人類だ。」とか、「雷神に選んで貰ったのだから、子々孫々まで雷神に従わなければならない。すなわち、雷神の代理人の皇帝に従わなければならない。」という思想だ。子供達が洪水を逃れるために乗る乗り物はヒョウタンだ。ヒョウタンは「ひしゃく」の象徴であり、「天のひしゃく」とは北斗七星のことで、北極星は「天の頂点」ともいえる帝王の星なのだから、伏羲と女媧は王権の権威の象徴ともいえる。
2については、特にヤオ族の伝承で違和感が目立つ。兄妹は父親が消えた後も天梯を昇って天庭に遊びに行くが、そこで誰にも会わない。父親が天に攻め込んだ時には天の神々が総出でそれを阻止したのに、子供達が行くとまるで人気がなく感じる。状況からみれば、雷公がやってきて「父親がいなくても自分がついているぞ。」と言ってくれてもよさそうなのに。天にはまるで最初から兄妹しかいなかったかのようだ。
これはおそらく、「大男と雷神が戦う」という話と、「誰かが地上に何かをまいて、人間を植物のように生やした。」という別々の話が最初にあり、その2つを無理矢理結びつけて一つに纏めた結果なのではないか、と管理人は考える。「大男と雷神が戦う」という話を先に持ってきたので、その後に「人類創造」の話を無理に付け加えたから、いったん人類をなかったことにしないと「創造神話」にならないので、「創造神話」にするために、敢えて雷公に「全人類が滅びるほどの大洪水」を起こさせなければならなかったのではないだろうか。とすると、2つの話を結びつけるために消されてしまったエピソードもあるかもしれない。それを2つの神話の上で探ってみたい。
父系の場合、ヤオ族の伝承[編集]
ヤオ族の伝承では、雷神は大洪水を起こす「水雷神」だ。父親の方は鉄の船に乗り、鉄の武器を操る蚩尤を彷彿とさせる。とすれば、雷神と大男との戦いは「黄帝対蚩尤」を投影していいると言える。ただ、一般的な「黄帝対蚩尤」の神話では、蚩尤に後継者がいたとはされていない。
父系文化では、伏羲と女媧一家の家長は父親である「大男」だ。父親が亡くなった後は、伏羲が後を継いで家長になる。一般的にこのような場合、伏羲が採るべき態度はどのようなものと考えられるだろうか。管理人の考え方は日本人的になるが、父親が雷神と戦っていたのなら伏羲はその跡を継いで雷神と戦うべきなのではないだろうか。いくら雷神に命を助けて貰ったとはいえ、伏羲は父の子なのだから。でなければ、雷公のところへ行ってこう言うべきではないだろうか。「私はあなたに命を助けて貰ったのだから、あなたの子になります。あなたの名を名乗らせて下さい。そして父の名前は捨てます。父の名があなたの敵の名なら、私にとっても敵の名です。」と。このどちらかが男系男子の生き方、男系男子のけじめのつけ方ではないだろうか、と管理人は考えるのだがどうだろうか。
ということで、この伝承に「その後」の物語を付け加えてみた。
雷公は昔は「良い雷公」で、人々の生活に役立つように定期的に必要な雨を降らせてくれていた。川も洪水なんか起こさなかった。でも、大男と喧嘩してからは人類に冷たくなって、伏羲の子供達にも冷酷だった。雨は必要がないときにどんどん降るし、川もあちこちで洪水を起こした。雷公はすっかり「悪い雷神」になってしまったのだ。伏羲は父親の後を継いで雷公と戦う決心をした。父親は火の神様だったので伏羲は父親に倣って火を使い、鉄の武器や鍬や鋤を作った。雷公は鉄が苦手なことをちゃんと知っていたのだ。そして、火そのものまで自在に操れるようになった。伏羲自身が新たな「火の神」となったのだ。伏羲は「火の神」を意味する祝融という名を名乗るようになった。その頃、雷公はますます人類に対して田んぼや畑を潰したり、家畜を流したり、ひどいことをするようになったので、人々は親しみを込めて「雷公」と呼ぶのをやめて「共工」と呼ぶようになった。共工には部下に相柳という凶暴な蛇神までつき従っていた。祝融は立ち上がり、共工と戦った。正義と復讐のために自らを鍛えてきた祝融の前に共工は敵ではなかった。祝融は共工と相柳と戦い、これを討ち取った。その記念に戦いのあった山を「共工山」と名付けた。そして、祝融は禹と名を変えて夏という王朝を興し王となった。禹というのは「毒蛇」という意味である。毒蛇に噛まれると「火のように熱く感じる」ことからそのように名乗ったのだった。まとめれば、昔は良い神だった雷光は悪い水神の共工になってしまったので、禹に倒されてしまったのだった。
昔は良い人だったのに?[編集]
管理人が書いた「その後の物語」については全く根拠がないわけではない。中国神話の方から述べれば祝融が共工を倒した神であれば、その際に部下の相柳も倒したと考えらえる。その相柳を倒したのが禹なのであれば、禹とは祝融のことである、と自然に帰結する。一方、「良い」とか「悪い」というのはそれを見る人の立場や視点によっても変わってくるものなので、水雷神で龍蛇形の黄帝のことをさまざまな思惑から「良い神」とみなす人もいれば、その逆に「悪い神」とみなす人々も当然いたであろうと思う。管理人は、伏羲・女媧の伝承は、管理人が付け加えた物語と一体となった「夏の創設神話」の一部だったのではないか、と考える。本来の禹とは、父親の仇を取った英雄王、と言われていたのではないだろうか。その方が一王朝を創設した英雄に相応しい神話といえる。伏羲と女媧、すなわち禹と塗山氏女は「人類の創造者」ではなく「夏の創設者」とされたのだろう。でも黄帝の権力が拡大するにつれて、王権の強化のために、他にあった人類の創設神話と組み合わせる形で、「人類の創造者」にまでその姿が拡大してしまったのではないだろうか。そして、伏羲・女媧神話が元々苗族の伝承だったものならば、苗族の一部が中原にまで勢力を拡大し、夏王朝を創設したので、彼らの「部族創設神話」が、「夏の創設神話」にまで発展してしまったものだと考える。夏とは苗族の王朝だったのだろう。
「昔は良い人だったのに、悪人になって倒されてしまった。」というパターンの伝承は夏の神話の中にも存在する。夏の后羿である。
太康(夏の第3代帝)の治世、太康は政治を省みずに狩猟に熱中していた。后羿は、仲間と共に、夏に対して反乱を起こし、太康を放逐して夏王朝の領土を奪った。后羿は王として立ち、窮石(現在の河南省洛陽の南)を都とした。しかしその後の后羿は、伯封を殺してその母である玄妻を娶り、寒浞という奸臣を重用し、政治を省みずに狩猟に熱中するようになり、最後は玄妻と寒浞によって相王の8年に殺されてしまった。(Wikipedia:羿より)
また、一般的な羿神話もこのパターンである。
羿は、人々のために帝夋の意に逆らい、帝夋の子供達である太陽を九個まで射殺した。帝夋は羿を「悪人」とし、羿と妻の嫦娥を神籍から外して、彼らは不老不死でなくなった。羿は西王母を訪ね、不老不死の薬をもらって帰ったが、嫦娥は薬を独り占めにして飲み、月へ逃げてしまった。羿は、弟子である逢蒙(ほうもう)に自らの弓の技を教えた。逢蒙は羿の弓の技を全て吸収した後、「羿を殺してしまえば私が天下一の名人だ」と思うようになり、羿を殺してしまった。このことから、身内に裏切られることを「羿を殺すものは逢蒙」(逢蒙殺羿)と言うようになった。(Wikipedia:羿より)
后羿を黄帝とすると、太康はまさに「炎帝」そのものといえる。后羿を殺す寒浞は、雷公に認められていた伏羲と同じように后羿に可愛がられていたのに、后羿を殺してしまう。しかも、后羿の子息たちに后羿の遺体を煮たものを食べるように命じ従わぬ者を死罪にした、とのことだ(Wikipedia:寒浞より)。とすると、寒浞が伏羲であり祝融だったと言えるのではないだろうか。むしろ后羿が「偉大な指導者」だったので、死後彼を慕う人たちが后羿を神格化して「黄帝」にしたのではないか、と考える。神格化された黄帝は不老不死の存在かもしれないが、そのモデルとなった后羿は、「殺されてしまった人」だったのではないだろうか。
私的解説[編集]
1.子供達の父親が「鉄で作った船」に乗る部分は、父親が「鉄で武器を作った」とされる蚩尤を暗示しているように思う。彼と争う雷公は黄帝の化身と考えられ、蚩尤的な父親は負けて死ぬ。
2.兄妹はヒョウタンに乗って逃れるが、閉鎖されたヒョウタンの中は、招日神話で太陽が閉じこもった「洞窟」と類似していて、「冥界」を暗示していると考える。兄妹はいったん死んで、雷神の加護で蘇生したので、天地を自在に行き来できる存在となったのではないだろうか。彼らが「神への伝令」の意味を込めた人身御供だったことが示唆されるように思う。二人が木の周りを回って結婚する部分は日本神話の伊邪那岐命・伊邪那美命の婚姻譚に類似する。
3.「切り刻まれた肉片」とは、生け贄にされた伏羲と女媧自身のことと考える。彼らのおかげで人類は滅亡の危機から逃れることができたのだ。もしかしたら、生け贄にされた彼らを食べたので、人類は彼らと一体化し、彼らは「人類の祖」とされたのではないだろうか。そして、伏羲と女媧がミャオ族の神だったのなら、洪水を起こした川とは長江のことと思われる。
また切り刻んだ肉片が飛び散る様は、「種が飛び散る様子」に似る。本伝承で肉片から再生するのは人間だが、これは「植物が生える」という現象になぞらえられていると思う。植物と「人間あるいは動物」を一体化させ、「植物(擬人)の発生には死体(という親)が必要だ。」という概念は古代においては良くみられる思想だ。大渓文化でもなにがしかの豊穣のために人身御供の祭祀を行ったと考えられている。
ハイヌウェレ型神話では、切り刻まれたハイヌウェレから芋が生じる。その後、月の女神サテネが人類を選別し、選ばれなかった者たちは動物に変えられてしまい人間ではなくなる。だから選ばれなかった者たちは神という名の人身御供であるハイヌウェレから生じた芋を食べることを許されない。許されるのは「神に選ばれた人とその子孫だけ」である。
本伝承では「人類の選別」は大洪水という形でまず最初に行われてしまう。雷神に選ばれた二人以外は残らず死んでしまうのだから、残された二人の子孫たちは、「雷神に選ばれた人類」として雷神に従って生きるか、選ばれなかった者たちのように死ぬか、どちらかしか選択肢がなくなる。ハイヌウェレ型神話のように獣になって逃げることすらできなくなる。その代わりに神から与えられ、伏羲と女媧から発生した穀類や野菜は食べることが許される。伏羲と女媧がそもそも、神から与えられた植物であるヒョウタンから再生されたウリ科の植物なのだ。彼らを切り刻んで食べるのは当然である。これは、王権者が農業に関する技術や耕作地、種などを独占するために作られた伝承であって、得るか得ないのか拒否することも許されない神話であるが故に、ハイヌウェレ型神話よりもさらに王権が強化された時代に、ハイヌウェレ型神話を改良して作られた神話と考える。要は「なんでも皇帝の先祖の雷神(黄帝)が人類に与えてやったものなのだから、欲しければ皇帝に従え。従えなければ、得る権利はないのだから死ね。雷神(黄帝)がそう決めて洪水を起こしたんだから。」と、そういうことである。
そして、伏羲をもっと純粋に穀霊へと変化させたものが、死体化成神話の一種である后稷の伝承と考える。
農耕の豊穣の祭祀のために人を麻薬で麻痺させて焼き殺したり、切り刻んだり、食べたりするものには、フレイザーの有名な金枝篇の中にベンガルのコンド族の祭祀がある。この祭祀には雨乞いを求める意味合いもあり、かつてはなにがしかの水神に祈りを捧げるものでもあったのではないだろうか[3]。犠牲者をバラバラにする神話は、蚩尤神話、日本の八面大王系伝承、トラキアのザグレウス・ディオニューソス神話、ディオニューソスとオルペウスを始めとしたディオニューソス系の神話がある。コンド族の祭祀も酒が振る舞われ、乱痴気騒ぎの中殺人は行われる。まるでディオニューソスの祭祀の具現のようだと管理人は感じる。