「娑蘇夫人」の版間の差分

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朝鮮の正史である『三国史記』を著した金富軾が中国・宋に使臣として行った時、祐神館に参拝すると女仙の像が安置してあり、館伴学士が「これは貴国の神だがご存知か」と言い、「昔中国の帝室の娘が辰韓に辿り着き、子を生んで海東の始祖となった。娘は地仙となり長らく仙桃山にいた。これがその像だ」と説明した<ref name="北島由紀子104"/>。正史における辰韓、海東の始祖、つまり新羅(の前身)ということは、海東の始祖とは[[赫居世居西干]]である<ref name="北島由紀子104">北島由紀子, 2016, 朝鮮神話に見る女神の原像, 九州大学, https://doi.org/10.15017/1807134, page104</ref>。
  
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また、中国・宋の使臣である王襄が高麗に来た時に作った「東神聖母を祭る文」の中に、'''賢女が国を初めて建てた'''という句があり、つまり、娑蘇が国をはじめて建てたという句を残している<ref>延恩株, 2011, p93</ref>。
  
 
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[[慶州国立公園|慶州国立公園内]]に「聖母祠遺墟碑」という遺跡があり、「娑蘇が辰韓に来て[[赫居世居西干]]と閼英を生み、東国初の王となった」と記録されている<ref>{{Cite book|和書|author=김성호|date=2000-03-16|title=씨성으로 본 한일민족의 기원|series=|publisher=푸른숲|ISBN=8971842709|page=239}}</ref>。

2022年9月12日 (月) 06:03時点における版

娑蘇夫人(しゃそふじん、さそふじん、사소부인)は、新羅の始祖である赫居世居西干とその妃である閼英夫人の生母である[1]。娑蘇夫人は、中国の王室の娘であり[2][3][4][5]、中国から辰韓に移住して暮らしていた[2][1]。『三国遺事』巻一「新羅始祖赫居世王」条と『三国遺事』巻五「感通第七」条と『三国史記』「新羅本紀敬順王条」に具体的な記述がある[6]娑蘇神母仙桃聖母仙桃山聖母西述山聖母とも呼ばれる[私注 1]

概要

朝鮮の正史である『三国史記』を著した金富軾が中国・宋に使臣として行った時、祐神館に参拝すると女仙の像が安置してあり、館伴学士が「これは貴国の神だがご存知か」と言い、「昔中国の帝室の娘が辰韓に辿り着き、子を生んで海東の始祖となった。娘は地仙となり長らく仙桃山にいた。これがその像だ」と説明した[7]。正史における辰韓、海東の始祖、つまり新羅(の前身)ということは、海東の始祖とは赫居世居西干である[7]

また、中国・宋の使臣である王襄が高麗に来た時に作った「東神聖母を祭る文」の中に、賢女が国を初めて建てたという句があり、つまり、娑蘇が国をはじめて建てたという句を残している[8]

慶州国立公園内に「聖母祠遺墟碑」という遺跡があり、「娑蘇が辰韓に来て赫居世居西干と閼英を生み、東国初の王となった」と記録されている[9]

史書における娑蘇

三国遺事』巻五「感通第七」条には以下の記述がある[10]テンプレート:Quotationテンプレート:Wikisourcelang

三国遺事』巻五「感通第七」条には以下の記述がある[11]テンプレート:Quotationテンプレート:Wikisourcelang

家系

系図

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参考文献

テンプレート:Wikisourcelang
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関連項目

私的注釈

  1. 名前からすると、娑蘇夫人は西王母に類する女神のように思える。

脚注

  1. 1.0 1.1 国語国文学資料辞書
  2. 2.0 2.1 野村伸一, 2001, p3
  3. 延恩株, 2011, p94
  4. 韓国民族文化大百科事典
  5. 이상희
  6. 延恩株, 2011, p92
  7. 7.0 7.1 北島由紀子, 2016, 朝鮮神話に見る女神の原像, 九州大学, https://doi.org/10.15017/1807134, page104
  8. 延恩株, 2011, p93
  9. テンプレート:Cite book
  10. テンプレート:Cite book
  11. テンプレート:Cite book