「菊理媛神」の版間の差分
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そこに泉守道者が現れ<ref>岩波1994、日本書紀1巻, 57頁</ref><ref>垂加神道上, コマ237(原本431頁)『泉守道之傳』</ref>、[[伊邪那美命|伊弉冉尊]]の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った<ref name="#2">日本書紀講義, コマ63(原本117頁)</ref><ref>岩波1994、日本書紀1巻, 57頁『(注)一〇』</ref>。 | そこに泉守道者が現れ<ref>岩波1994、日本書紀1巻, 57頁</ref><ref>垂加神道上, コマ237(原本431頁)『泉守道之傳』</ref>、[[伊邪那美命|伊弉冉尊]]の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った<ref name="#2">日本書紀講義, コマ63(原本117頁)</ref><ref>岩波1994、日本書紀1巻, 57頁『(注)一〇』</ref>。 | ||
− | + | つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、[[伊邪那岐命|伊奘諾尊]]はそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある<ref>仮名日本書紀上巻, コマ92(原本36-37頁)</ref><ref name="#2"/>。 | |
− | 菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない<ref>[[# | + | 菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない<ref>仮名日本書紀上巻, コマ93(原本38頁)</ref><ref>神々の黙示録, 75-77頁『消された白山王朝の系譜』</ref>。 |
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+ | この説話から、菊理媛神は[[伊邪那岐命|伊奘諾尊]]と[[伊邪那美命|伊弉冉尊]]を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。 | ||
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+ | 夜見国で[[伊邪那美命|伊弉冉尊]]に仕える女神とも<ref name="#2"/><ref>霊の真柱, 72-73頁</ref>、[[伊邪那岐命|伊奘諾尊]]と[[伊邪那美命|伊弉冉尊]]の娘<ref name="#1"/>、[[伊邪那美命]]が「故、還らむと欲ふを、且く黄泉神と相論はむ」(古事記)と言及した[[黄泉|黄泉神(よもつかみ)]]<ref>古事記(岩波文庫), 26-28頁『6 黄泉の国』</ref><ref>古事記(上)全訳注, 65頁『○黄泉神』</ref><ref>西郷1975、古事記注釈一巻, 176頁『○《黄泉神》』</ref>(イザナミ以前の黄泉津大神)<ref>霊の真柱, 73頁『注一〇』</ref>、[[伊邪那美命|伊弉冉尊]]の[[荒魂]](あらみたま)もしくは[[和魂]](にぎみたま)<ref name="#1"/>、あるいは[[伊邪那美命|伊弉冉尊]](イザナミ)の別名<ref name="垂加神道上238菊理">垂加神道上, コマ238(原本432頁)</ref><ref name="垂加神道上238聞">垂加神道上, コマ238(原本432頁)</ref><ref>神々の黙示録, 89-92頁『イザナミ大神の悲劇』</ref>という説もある。 | ||
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また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことから[[シャーマニズム|シャーマン]]([[巫女]])の女神ではないかとも言われている。 | また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことから[[シャーマニズム|シャーマン]]([[巫女]])の女神ではないかとも言われている。 |
2022年10月17日 (月) 16:44時点における版
菊理媛神、又は菊理媛命(ククリヒメのカミ、ククリヒメのミコト、キクリヒメのミコト)は、日本の神[1][2]。 加賀国の白山[3]や全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされる[1][4][5]。
神話上の菊理媛
日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』正伝には登場せず、『日本書紀』の異伝(第十の一書)に一度だけ出てくるのみである[6][7]。
【原文】
及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。
時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。
是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。
【解釈文】
その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。
このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。
このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。
神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した[1][8]。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になる[9][10]。
そこに泉守道者が現れ[11][12]、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った[13][14]。
つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある[15][13]。 菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない[16][17]。
この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。
夜見国で伊弉冉尊に仕える女神とも[13][18]、伊奘諾尊と伊弉冉尊の娘[7]、伊邪那美命が「故、還らむと欲ふを、且く黄泉神と相論はむ」(古事記)と言及した黄泉神(よもつかみ)[19][20][21](イザナミ以前の黄泉津大神)[22]、伊弉冉尊の荒魂(あらみたま)もしくは和魂(にぎみたま)[7]、あるいは伊弉冉尊(イザナミ)の別名[23][24][25]という説もある。
いずれにせよ菊理媛神(泉守道者)は、伊奘諾尊および伊弉冉尊と深い関係を持つ[23][26]。 また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことからシャーマン(巫女)の女神ではないかとも言われている。 ケガレを払う神格ともされる[27]。
神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことからの神名と考えられる[1][28]。菊花の古名を久々(くく)としたことから「括る」に菊の漢字をあてたとも[29]、また菊花の形状からという説もある[28]。菊の古い発音から「ココロ」をあてて「ココロヒメ」とする説もある[30]。 他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜(くく)り/潜(くぐ)る」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある[31][24]。 白山神社(石川県鳳珠郡能登町字柳田)では、『久久理姫命(久々利姫命)』と表記している[32][33]。
祭祀上の菊理媛
白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。白山神社の総本社である白山比咩神社(石川県白山市)の祭神について、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房(1041年-1111年)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われている[34]。白山は霊山(山岳霊場)として、北陸地方を中心に信仰を集めていた[35]。
14世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集』には、「扶桑明月集云、・・・八王子近江國滋賀郡小比叡東山金大巌傍天降。八人王子行卒。天降故言八王子。 客人宮桓武天皇即位延暦元年天降。八王子麓白山妙理権現顕座。」とある。
文明元年(1469年)に吉田兼倶が撰したとされる二十二社註式には、「扶桑明月集云、・・・客人宮第五十代桓武天皇即位延暦元年、天降八王子麓白山。菊理比咩神也。」とあり、『大日本一宮記』内には菊理媛が白山比咩神社の上社祭神として書かれている。
その後の江戸時代の書物において白山比咩神と菊理媛が同一神と明記されるようになった[36]。
なお、神仏習合のなかでは白山比咩神は白山大権現、白山妙理権現[37]、または白山妙理菩薩とされ、本地仏は十一面観音とされた他[38]、様々な異説があった[39]。
現在の白山比咩神社は、菊理媛神(白山比咩神)を主祭神とし[40]、伊奘諾尊・伊弉冉尊も共に祀られている[41][42]。
『玉籤集』は、熊野本宮大社(本宮)で菊理媛神(伊弉冉尊)が祀られていると記述している[23][43]。
脚注
参考文献
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