「洪水神話」の版間の差分

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3.「切り刻まれた肉片」とは、生け贄にされた[[伏羲]]と[[女媧]]自身のことと考える。彼らのおかげで人類は滅亡の危機から逃れることができたのだ。もしかしたら、生け贄にされた彼らを食べたので、人類は彼らと一体化し、彼らは「人類の祖」とされたのではないだろうか。そして、[[伏羲]]と[[女媧]]がミャオ族の神だったのなら、洪水を起こした川とは長江のことと思われる。
 
3.「切り刻まれた肉片」とは、生け贄にされた[[伏羲]]と[[女媧]]自身のことと考える。彼らのおかげで人類は滅亡の危機から逃れることができたのだ。もしかしたら、生け贄にされた彼らを食べたので、人類は彼らと一体化し、彼らは「人類の祖」とされたのではないだろうか。そして、[[伏羲]]と[[女媧]]がミャオ族の神だったのなら、洪水を起こした川とは長江のことと思われる。
  
また切り刻んだ肉片が飛び散る様は、「'''種が飛び散る様子'''」に似る。本伝承で肉片から再生するのは人間だが、これは「'''植物が生える'''」という現象になぞらえられていると思う。植物と「人間あるいは動物」を一体化させ、「'''植物(擬人)の発生には死体(という親)が必要だ。'''」という概念は古代においては良くみられる思想だ。
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また切り刻んだ肉片が飛び散る様は、「'''種が飛び散る様子'''」に似る。本伝承で肉片から再生するのは人間だが、これは「'''植物が生える'''」という現象になぞらえられていると思う。植物と「人間あるいは動物」を一体化させ、「'''植物(擬人)の発生には死体(という親)が必要だ。'''」という概念は古代においては良くみられる思想だ。ハイヌウェレ型神話では、切り刻まれたハイヌウェレから芋が生じる。その後、月の女神サテネが人類を選別し、選ばれなかった者たちは動物に変えられてしまい人間ではなくなる。
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==

2024年11月6日 (水) 14:14時点における版

伏羲と女媧の洪水神話を中心に、ミャオ族、台湾原住民、弥生系日本人の洪水神話を比較する。なぜなら彼らの間には「ハプログループA6」と提唱されたミトコンドリアDNAの共通のモチーフが少数ではあるが認められ、先祖が同じだという可能性があるからだ。比較することで、三者の共通の先祖が有していたと思われる洪水神話の本来の姿を考察してみたい。

中国神話

1.伏羲女媧の父が雷公をとじこめていたが、兄妹であった子供たちがそれを解放してしまう。父は鉄船を作って洪水に備えた。洪水が起きると父の乗った船は水に浮き、天に届いた。父が天門を叩くと、天神はこれを恐れ、水神に水を引かせるよう命じた。水があっという間に引いたので、鉄船は天から転げ落ちた。父親は鉄船と共に粉々になって死んだ。兄妹は雷公を助けた時にもらった種を植えており、そこから生えた巨大なヒョウタンの中に避難して助かった。兄妹を残して人類は滅亡したが、二人は仲良く暮らしていた。

2.その頃は天門がいつも開いていたので、兄妹は天梯を昇ったり下りたりして天庭に遊びに行っていた。二人が大人になると兄は妹と結婚しようと考えた。二人は大木の周りを回って追いかけっこをし、兄が妹に追いついたら結婚することにした。妹は素早くて捕まえることができなかったが、兄は計略を使って妹を捕まえ結婚した。

3.結婚後、妻は肉の塊を一つ産み落とした。夫婦は奇妙に思い、肉の塊を切り刻んで天庭に持って行こうとした。途中で強風により紙の包みが敗れ、切り刻んだ肉片があちこちに飛び散り、大地に落下するといずれも人間になった。落下した場所の名をとって彼らの名とした。こうして人類はよみがえった[1]

私的解説

1.子供達の父親が「鉄で作った船」に乗る部分は、父親が「鉄で武器を作った」とされる蚩尤を暗示しているように思う。彼と争う雷公は黄帝の化身と考えられ、蚩尤的な父親は負けて死ぬ。

2.兄妹はヒョウタンに乗って逃れるが、閉鎖されたヒョウタンの中は、招日神話で太陽が閉じこもった「洞窟」と類似していて、「冥界」を暗示していると考える。兄妹はいったん死んで、雷神の加護で蘇生したので、天地を自在に行き来できる存在となったのではないだろうか。彼らが「神への伝令」の意味を込めた人身御供だったことが示唆されるように思う。二人が木の周りを回って結婚する部分は日本神話の伊邪那岐命伊邪那美命の婚姻譚に類似する。

3.「切り刻まれた肉片」とは、生け贄にされた伏羲女媧自身のことと考える。彼らのおかげで人類は滅亡の危機から逃れることができたのだ。もしかしたら、生け贄にされた彼らを食べたので、人類は彼らと一体化し、彼らは「人類の祖」とされたのではないだろうか。そして、伏羲女媧がミャオ族の神だったのなら、洪水を起こした川とは長江のことと思われる。

また切り刻んだ肉片が飛び散る様は、「種が飛び散る様子」に似る。本伝承で肉片から再生するのは人間だが、これは「植物が生える」という現象になぞらえられていると思う。植物と「人間あるいは動物」を一体化させ、「植物(擬人)の発生には死体(という親)が必要だ。」という概念は古代においては良くみられる思想だ。ハイヌウェレ型神話では、切り刻まれたハイヌウェレから芋が生じる。その後、月の女神サテネが人類を選別し、選ばれなかった者たちは動物に変えられてしまい人間ではなくなる。

関連項目

  • 袁珂『中国の神話・伝説 上』青土社、1993年、110-115頁