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その矢は高天原まで飛んで行った。その矢を手にした高皇産霊神は、「天若日子に邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていた天若日子の胸に刺さり、彼は死んでしまった。 | その矢は高天原まで飛んで行った。その矢を手にした高皇産霊神は、「天若日子に邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていた天若日子の胸に刺さり、彼は死んでしまった。 | ||
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− | + | 天上の神に反逆したために返し矢に当たって死ぬ物語は『創世記』(旧約聖書の一書)の登場人物・ニムロドにまつわる伝承と似ており、この説話がインド・中国・東南アジアを経て、日本に伝わったと考えられている<ref>次田真幸 『古事記(上)全訳注』 講談社学術文庫 38刷2001年(1刷77年) ISBN 4-06-158207-0 p.154.</ref><ref group="私注">天の神の命令に服さず殺される点は中国神話の[[鯀]]と[[祝融]]の関係に似る。</ref>。 | |
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天若日子を唆した天探女が「[[天邪鬼|アマノジャク]]」の元となったとする説があるが、天若日子の「天若」が「アマノジャク」とも読めることから、天若日子がアマノジャクだとする説もある。 | 天若日子を唆した天探女が「[[天邪鬼|アマノジャク]]」の元となったとする説があるが、天若日子の「天若」が「アマノジャク」とも読めることから、天若日子がアマノジャクだとする説もある。 | ||
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+ | 天意に背いて殺される天若日子は、中国神話の[[鯀]]に一番近い神のように思う。「殺される神」であるので、[[炎帝型神]]でもあると思う。[[鯀]]は生き返って禹を生むが、天若日子も[[阿遅鉏高日子根神]]として生き返って、記紀神話には書かれないが、賀茂氏系氏族の祖神となったと推察される。むしろ、そこまで意識して、[[鯀]]の神話になぞらえた物語なのではないか、と思う。ただし、自らの専用の弓矢を持つ点は「黄帝型神」といえる。「雉女」が殺される点は、「'''女神が[[黄帝型神]]に殺される話'''」として[[炎黄闘争]]から発展したモチーフと考える。[[炎帝型神]]のみならず、[[炎帝型神]]の側にいる「女神」までもが殺される、とされるのである。こうして「太母女神」は、[[黄帝型神]]を守る[[西王母]]的な「'''正しい女神'''」と、悪しき[[炎帝型神]]を守護する「'''悪しき女神'''」とに二分されていくように思う。天若日子の物語の場合は、「正しい女神」が妻であり、夫を生き返らせる[[下照媛]]であり、「悪しき女神」は雉女であると考える。しかし、本来この二つの女神は「'''同じもの'''」であったのではないだろうか<ref group="私注">管理人はこのような「二人の女神の対立」の神話が、「[[うりこひめとあまのじゃく]]」の起源ではないか、と考える。</ref>。 | ||
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2024年11月18日 (月) 23:15時点における最新版
アメノワカヒコ(天若日子、天稚彦)は、日本神話に登場する神。
出自[編集]
葦原中国平定において、天津国玉神(アマツクニタマ)の子として登場する。天津国玉神の系譜の記述はない。
事績[編集]
葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天之菩卑能命(アメノホヒ)が3年たっても戻って来ないので、次に天若日子が遣わされた。
しかし、天若日子は大国主神の娘下光比売命(シタテルヒメ)と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大御神と高御産巣日神(タカミムスビ)は雉の鳴女(ナキメ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。すると、その声を聴いた天佐具売(アメノサグメ)が、不吉な鳥だから射殺すようにと天若日子に勧め、彼は遣わされた時に高皇産霊神から与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で雉を射抜いた。
その矢は高天原まで飛んで行った。その矢を手にした高皇産霊神は、「天若日子に邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていた天若日子の胸に刺さり、彼は死んでしまった。
天若日子の死を嘆く下照姫の泣き声が天まで届くと、天若日子の父の天津国玉神は下界に降りて葬儀のため喪屋を建て八日八夜の殯をした。下照姫の兄の阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)も弔いに訪れたが、彼が天若日子に大変よく似ていたため、天若日子の父と妻が「天若日子は生きていた」と言って抱きついた。すると阿遅鉏高日子根神は「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、大量を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山だという。
解説[編集]
名前の「ワカヒコ」は若い男の意味である。これが神名ではなく普通名詞だったため、「神」「命」「尊」の尊称が付かないとする説がある。また、天津神に反逆したためであるとする説もある。
天稚彦の喪屋は『古事記』では地上に作ったとあるが、『日本書紀』では疾風(はやち)に遺体を上げさせて、喪屋は天に作ったとある。
天稚彦と阿遅鉏高日子根神がそっくりだったということで、本来同一の神であったとする説もある。すなわち、天若日子の死と阿遅鉏高日子根神としての復活であり、これは穀物が秋に枯れて春に再生する、または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したものであるとする[私注 1]。
天上の神に反逆したために返し矢に当たって死ぬ物語は『創世記』(旧約聖書の一書)の登場人物・ニムロドにまつわる伝承と似ており、この説話がインド・中国・東南アジアを経て、日本に伝わったと考えられている[1][私注 2]。
伝承・信仰[編集]
下照姫との恋に溺れて使命を放棄し、その罪によって亡くなるという悲劇的かつ反逆的な神として、民間では人気があった。平安時代の『うつほ物語』、『狭衣物語』などでは天若御子の名で、室町時代の『御伽草子』に収録されている『天稚彦草子』では天稚彦の名で登場し、いずれも美男子として描かれている。
天若日子を唆した天探女が「アマノジャク」の元となったとする説があるが、天若日子の「天若」が「アマノジャク」とも読めることから、天若日子がアマノジャクだとする説もある。
穀物神として安孫子神社(滋賀県愛知郡秦荘町)、下照姫の配神として売布神社、倭文神社などに祀られているが、祀る神社は少ない[2]。
私的解説・二人の女神の対立[編集]
天意に背いて殺される天若日子は、中国神話の鯀に一番近い神のように思う。「殺される神」であるので、炎帝型神でもあると思う。鯀は生き返って禹を生むが、天若日子も阿遅鉏高日子根神として生き返って、記紀神話には書かれないが、賀茂氏系氏族の祖神となったと推察される。むしろ、そこまで意識して、鯀の神話になぞらえた物語なのではないか、と思う。ただし、自らの専用の弓矢を持つ点は「黄帝型神」といえる。「雉女」が殺される点は、「女神が黄帝型神に殺される話」として炎黄闘争から発展したモチーフと考える。炎帝型神のみならず、炎帝型神の側にいる「女神」までもが殺される、とされるのである。こうして「太母女神」は、黄帝型神を守る西王母的な「正しい女神」と、悪しき炎帝型神を守護する「悪しき女神」とに二分されていくように思う。天若日子の物語の場合は、「正しい女神」が妻であり、夫を生き返らせる下照媛であり、「悪しき女神」は雉女であると考える。しかし、本来この二つの女神は「同じもの」であったのではないだろうか[私注 3]。
また、興味深いことだが、征服神話として、
とのいわゆる「三代」に分かれて繋がるようになっており、
あるいは
の3代になぞらえた「炎黄神話の焼き直し型神話」の構成となっていると思う。禹は死者の子であり、一方阿遅鉏高日子根神は「生き返った死者」であって、どちらにも「単なる生者ではない」という要素が含まれる。禹は鯀の子とされているが、記紀神話では炎帝と黄帝のハイブリッドと言える天若日子が、直接炎帝と黄帝のハイブリッドとといえる阿遅鉏高日子根神に変化している。
阿遅鉏高日子根神の「後日譚」については、記紀神話と民間伝承(天稚彦草子)の双方に逸話がある。また、阿遅鉏高日子根神は日本武尊にも接続していく神である。
私的注釈[編集]
- ↑ 人でも神でも、「生き返ること」が可能であったとして、果たして「死ぬ前のもの」と、「生き返ったもの」を神話的に「同じもの」として扱って良いのだろうか、と管理人は考える。例えば盤古は死んで万物に変化した、と言われる。変化した万物の一つ一つは盤古が変化したもの、といえるかもしれないが、元の盤古と「同じもの」であるとは言えないと思う。よって、神話であっても、死ぬ前のものと、生き返ったものは「別のもの」と考えるべき、と管理人は思う。天若日子と阿遅鉏高日子根神の存在には「死と再生」という連続性はあるが、それぞれ「別のもの」なのである。阿遅鉏高日子根神は、管理人であれば、中国で言うところの「鬼」であるとすべきと思う。
- ↑ 天の神の命令に服さず殺される点は中国神話の鯀と祝融の関係に似る。
- ↑ 管理人はこのような「二人の女神の対立」の神話が、「うりこひめとあまのじゃく」の起源ではないか、と考える。
関連項目[編集]
- ニムロド:「返し矢」の伝承の持ち主。天若日子と類似する。
- 鯀
- 后稷:再生する穀物神
- 天稚彦草子
- 雉も鳴かずば撃たれまい
- うりこひめとあまのじゃく:本物語の場合は、下照媛がうりこひめ、雉女があまのじゃくといえよう。
参考文献[編集]
- Wikipedia:アメノワカヒコ(最終閲覧日:22-10-07)