「総論・再現神話」の版間の差分

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大抵の神話は「'''ここから派生した'''」といえそうなプロットを仮に作ってみた。黄帝と祝融(炎帝)との対立をベースにしている。
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大抵の神話は「'''ここから派生した'''」といえそうなプロットを仮に作ってみた。[[黄帝]]と[[祝融]]([[炎帝]])との対立をベースにしている。
  
 
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15.そしてとても長い年月が流れた。その王室の子孫たちは、姜王子にならって、本当に先祖の姫補佐官のことを邪魔者だと思っていたし、'''姜女王の事を一族を裏切った悪い女だと思っていた'''。でも、自分たちが直接人身御供を立て続けていたら、親殺しの先祖の姜王子が非難されるし、文明が進んで殺人もだんだん悪いこととされるようになってきた。そこで、裏から人を操って、自分たちの政敵や標的を、「'''他人に人身御供として殺させる'''」ようになった。そうして自分たちの先祖からは、姜女王、姫補佐官、饕餮補佐官の名前を隠してしまった。そして、自分たちの名前も隠してしまったので、今ではもう姜という名前は、自分たちでは知っているけれども、名乗っていないのである。
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15.そしてとても長い年月が流れた。その王室の子孫たちは、姜王子にならって、本当に先祖の姫補佐官のことを邪魔者だと思っていたし、'''姜女王の事を一族を裏切った悪い女だと思っていた'''。子供たちを育てて、夫の姜王子に使えた、妹の姜王妃のことは、「'''良い王妃だった。'''」と褒め称える人たちと、「'''夫の姜王子を操った悪い王妃だった。'''」と悪く言う人に分かれた。
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そして、子孫たちは直接人身御供を立て続けていたら、親殺しの先祖の姜王子が非難されるようになってきたし、文明が進んで殺人もだんだん悪いこととされるようになってきた。そこで、裏から人を操って、自分たちの政敵や標的を、「'''他人に人身御供として殺させる'''」ようになった。そうして自分たちの先祖からは、姜女王、姫補佐官、饕餮補佐官の名前を隠してしまった。そして、自分たちの名前も隠してしまったので、今ではもう姜という名前は、自分たちでは知っているけれども、名乗っていないのである。
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== 私的解説 ==
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13項の図にあるように、[[黄帝]]、[[羿]]、[[槃瓠]]、ときに蛙トーテムの人は「'''同じ神'''」であると管理人は考える。
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* 彼らはたいてい、干ばつ、ときに水害と闘い
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* 息子的な存在と対立して、だいたい殺されてしまう
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* (人身御供を禁じる側である)
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という共通した特徴があるように思う。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2024年11月28日 (木) 18:53時点における最新版

大抵の神話は「ここから派生した」といえそうなプロットを仮に作ってみた。黄帝祝融炎帝)との対立をベースにしている。

本来あったと思われる伝承のプロット[編集]

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1.昔、姜氏という「人食い」の氏族がいた。彼らは母系の氏族で、家長は女性、族長も女性だった。その頃は全ての氏族が母系であって、人々に「父」というものは存在しなかった。家長は家族の娘たちをまとめ、家族の子を育て、それを母方の叔父や兄弟たちが守り支えていた。彼らは太陽の神、火の神を祀り、虎と牛を姉妹だと考えていた。族長は「太陽女神の化身」と考えられていた。族長は神々を祀り対話するシャーマンでもある。太陽女神は人々に穀物や野菜の種をもたらす存在と考えられていたので、種をまく時期には人身御供を焼き殺して、生け贄の肉を細切れにして種とし、一部を植え、一部を豊穣のために神と食す、という祭祀を行っていた。神が怒って天災をもたらす時などにも怒りを静めるために人身御供を捧げた。狩の獲物も、農作物も神が授けてくれたものなのだから、お礼に人間の中からもお返しをあげなくてはいけない、と考えたのだ。族長の一族は神と民とをつなぐ人々でもあったので、神そのものとも見なされていた。だから彼らも神と同様人身御供の肉を食べた。

女王の兄弟たちは、女王の代理の補佐官として表向きの政治を取り仕切り人々を支配した。母系社会では女性は家の財産を守るために兄弟と結婚することが許されていたので、補佐官は女王の「」でもあった。女王は一族以外の男を恋人に持つことができたが、その場合相手の男は一夜限りの相手の場合はもちろんのこと、長く女王と連れ添った場合でも女王の家庭内のことに口を出すことは許されなかった。女王から生まれてきた子供達は誰が遺伝子上の父親であろうと、女王の正式でかつ一番の「」である補佐官の子供とされた。

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2.彼らの家臣にという青年がいた。優れた青年であり、姜女王の多くの敵と戦ってこれを滅ぼした。彼は「犬族」の出身だった。蛙と馬も彼のトーテムだった。彼自身は身分の低い父系の部族出身だった。ある時代、女王の補佐官だった兄弟に、饕餮という傲慢で怠け者の人間が現れ、権威をかさに来て横暴な政治を行い人々を苦しめた。特に「女王と神々のため」と称し、神の数を増やして、祭祀のために多くの人身御供や税金を要求した。姫青年はこれを憂い、女王に補佐官の政治を改めて貰いたい、と願った。多くの人々が青年に賛成し、彼と一緒に謀反を起こした。

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3.女王は民の声を聞き、政治を改めるべきだと考えたが、饕餮は聞き入れなかった。女王は密かに兄弟たちの元から逃げ出し、反乱軍の元にはせ参じた。自分の気持ちが民と共にあることを示すためである。女王が来てくれたことで、形勢は一気に逆転した。それまでは姫青年と民の方が「謀反人」だったのだが、今度は補佐官が女王に逆らう「謀反人」になったのだ。姫青年と民は勝利を収めた。饕餮補佐官は戦死した。

女王は姫青年がとても好きになってしまったので、姫青年と結婚し夫婦になった。今までに前例のない他部族出身の正式な「夫」とされた。そして、以後は姜女王の兄弟と夫の両方が補佐官を務めることとなった。姫青年が補佐官となったことで、民の声は女王に届きやすくなり、政治はあらたまった。姫青年は女王の名において「これからは食人を禁ずる。かわりに、祭祀の際は動物を生け贄に捧げる。」と発布した。

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4.戦いで死なずに生き残った女王の兄弟たちは、持てる権力が低下したので、これを快く思っていなかった。人身御供を立てることは、政敵をたやすく死に追いやるための方便も兼ねているから、その手段を奪われたことも悔しい。しかし、立場が弱くなり、女王の命令で出された発布に異議を唱えることはできない。

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5.女王と姫補佐官との間には何人か子が生まれたが、中に一人の賢い男子がいた。姓は母系の一族なので、当然「」になる。この子は、見かけは父親の姫補佐官に良く似ていたが、性格は亡くなった饕餮補佐官に良く似ていた。人々は、「姜王子はまるで饕餮補佐官の生まれ変わりだ。」と噂した。

姜王子は現状に不満を持っていた。なぜなら、どんなに賢くても女王となるのは女性なので、彼は頂点に立つことができない。姉妹の女王の補佐官になったとしても、今度は誰かよその家の者が夫としてやってきて共に補佐官となるだろうから、その男と権力を分け合わなければいけない。そちらの方が女王の信頼を得れば、姜王子の方が隅に追いやられてしまうことだってあり得る。しかも姫補佐官は父系の部族の出だったので、兄妹同士の結婚は「近親の結婚で好ましくない」と考えていた。姫補佐官は姜一族のしきたりまで変えようとはしなかったが、一族のしきたりに従えば姜王子が父補佐官の考えに逆らうことになることは明らかだった。「理不尽だ」と姜王子は考えた。姉妹たちの誰よりも自分は賢いのだし、男が頂点になって「男王」になって何が悪いのだろうか。父親の出身部族では、男が家長になることが当たり前なのに。

王になった男が自ら政治を行えば、よその家の男に権力を奪われる心配はないはずだ。補佐官がいなければ政治を行えない女王制の方が無駄だ。神だって「男」ということに変えて、男の王が祭祀を行えばいい。だいたい、皆が姜王子と似ている、と噂している饕餮補佐官は、母親のせいで亡くなったのではないのか。悪いのは母親の方ではないのか。こう考える姜王子を母方の叔父たちが密かに支援した。叔父たちは自分たちを隅に追いやった姉妹の姜女王のことも、夫の姫補佐官のことも恨んでいたのだ。

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6.ある時、河が大反乱を起こして洪水が起きた。気の毒な天災であって、祭祀を行っても効き目はなかった。姜王子にとっては、これはクーデターを起こす好機だった。王子は父親であった姫補佐官に酒を飲ませて殺し、母親を捕らえて「天が禍を起こすのはお前の政治が悪いからだ。お前が生け贄になれ。お前は火と太陽の女神なのだから、罪がなければ焼け死ぬことはないだろう。」と言って、母親に火をつけ焼き殺した。姜女王は麻薬を飲まされて意識が朦朧としていたので抵抗できなかったのだ。姫補佐官は、死語、世界を支える世界樹となった、と言われた。

姜王子は姉妹の中から新しい女王を立てて、これらのことを新女王の名で行った。「悪い女が王なので天が怒った。その怒りを鎮めるために先女王を人身御供にしたのは正しいことだ。」と姉に述べさせたのだ。そして、二人は両親を殺した酒宴の席で、復活させた人身御供の祭祀を行い、親を細かく切り刻んで焼いて食べた。食べなかった者たちは殺された。そのくらい姜王子の両親に対する恨みは深かったのだ。

そして、以後、中国では「婿というものはよくよく信用せずに、こき使えば良いもの」とされた。姫青年を信用せず、こき使っただけの姜王子の親族の行為はこれで正当化された。また、この件を記念して忘れないために「寡婦は夫が死んだら焼き殺されねばならない。」と定められた。この思想は中国国内というよりは中国の外で広まり、印欧語族の寡婦殉死の制度に繋がった。また「年取った親は殺さねばならない。」とも定められたが、これはさすがに反対が多くてすぐに廃れた。「王の政治がうまくいかない場合は神の加護が得られないためで、王を殺さねばならない」、とも言ったが、当然自分の首を絞めかねない定めなので、中国国内ではほとんど適用されず、採用させられたのはやはり印欧語族だった。酒瓶の象徴であるヒョウタンが姫補佐官の印とされた。姜王子と新女王の行為は暴挙とみなされたので、あちこちで反乱が起き国が混乱した。しかし、姜王子は勇敢な戦士でもあったので敵と激しく戦い、冷酷に反対勢力を粛正して権力の頂点についた。

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7.しかし、王族が両親を殺して王位を簒奪したというのは外聞が悪い。そこで、「洪水が起きたので、先女王と姫補佐官の死は神の怒りを鎮めるため、しかたなかった。彼らが川と雷の神を鎮めたのだから、今度は姫補佐官を水雷神として祀ることとしよう。そしてこの件を教訓にして河の神が怒らないように人身御供を捧げよう。女王は太陽女神だったのだから、死後は月の女神となって人々を見守っている、と言うことにしよう。」とすることにした。

そして時期を見て「両親を生け贄にした新女王は悪者だ。」と言いがかりをつけて新女王を廃し、殺して姜王子自身が王位に就いた。姜王子は親殺しではない。親殺しは姉妹の方で、姜王子は人々のためにやむなく両親を犠牲にされた可哀想な王、ということにしたのだ。少なくとも表向きは。王子の妻を「大事な蚕が病気になったのはお前の責任だ。お前が人身御供になれ。」と無理矢理罪を着せて、水神であり桑神でもある馬神怒りを鎮めて逃れるため、人身御供として殺し桑の木に吊した。以後、鬼(怨霊)となったと考えられた姫補佐官の怒りを静めるために、「親殺しの姉女王」に見立てた若い娘を人身御供に立てるようになった。「水神であり桑神でもある馬神」とは亡くなった姫補佐官のことだ。

以後「女みたいな悪者を王位に就けてはいけない。」という屁理屈ができた。そして、家というものは「男が継ぐ。女は財産を持ってはならない。」と定められた。そうすれば、姜王子が即位したり、母親や姉妹や娘の命や財産を奪ったことを正当化することができると考えたのだ。財産とは悪い女が持っていてはならないものなのだから。姜王子は「自分が太陽神である。父補佐官と母女王の代理でもある。」と述べて食人を復活させた。いやだ、なんて言ったら姜王子に殺されてしまう、と誰もが知っていた。姜王子は酒と麻薬を使い、姉を操って親を殺し、権力を手に入れた恐ろしい男だ、とみな理解していたのだ。

姜王子は粛正されずに生き残っていた妹と結婚して、彼女に子供たちの養育をさせた。

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8.ともかく親の姫補佐官が「食人は禁止。祭祀における人身御供は禁止。」としたので、人身御供や食人を行うにはそれなりの理由が必要だと説明せねばならないことになった。一つには、食人と祭祀を切り離して、祭祀の方は「殺すだけで食べないのだから、禁止事項には当たらない。」という方便が考え出された。姫補佐官は土神ともされ、穀物や野菜は姫補佐官の死体から発生したものだ、とされた。土神に、その死後の怒りを鎮めるために人身御供を捧げなければ、神が怒って土から生える食物の豊穣は得られないかもしれない。姜王子は女性の太陽女神信仰を禁止した。そして、自分(太陽男神)の権威は、父である姫補佐官を神格化することとで支えることにしたのだ。太陽女神を権威ある存在にすると、男である自分が太陽神を名乗れなくなってしまう。

この頃はまだ「太陽女神」の思想が残っていたので、「女性が天(円)、男性が地(方)」という考え方が強くて残ってしまった。食人は祭祀から離れ、特別な日のごちそうとされるようになった。

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9.子孫の時代になると姜一族は増え、王室はますます栄えたが、社会制度や道徳観念が整ってくると王室の歴史に色々と問題が生じるようになった。先祖である姫補佐官と饕餮補佐官の仲が悪いことは体裁が悪い。姫補佐官と息子の姜王子の仲が悪いのも体裁が悪い。父親殺しなんてもっての他である。母親殺しもまずいけど、姜王子が早い段階で太陽女神信仰と母の存在を公式の記録から消してしまっていたから、こちらは子孫の政治的課題にはならなかった。ともかく、父系の男の家族はみな仲良しだったことにせねばならないのだ。

そこで、姫補佐官を「黄帝」、饕餮補佐官を「炎帝」として二人とも神格化して並び立てることにした。彼らは喧嘩もしたけど、仲も良かったのだ、ということにした。饕餮補佐官は怠け者でたいした業績がなかったので、「土神」としての性質を黄帝から炎帝に移すことにした。そうすると、

「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」

になって、二人は子孫の皇帝と皇室を見守ってくれていることになる。


姫補佐官と姜王子の関係は一つにまとめることができなかった。姫補佐官が悪い、という人達と、姜王子が悪い、という人達がいて反発しあうからだ。そこで3つのパターンを作って、別々の話として語り継ぐことにした。この頃には姜王子は「火を祀る一族」にちなんで「火神」とみなされるようになっていた。天の太陽神でもあり、地の火神でもあるのだ。

  1. 姫補佐官と姜王子が戦って、姫補佐官が勝ったパターン。これを、黄帝と蚩尤の戦い、とした。父と子の関係はなかったことにした。でもクー・フーリン(「犬」という名の英雄)とコンラ、ロスタムとソフラーブ、シヴァ(蛙)とガネーシャ(火)、伊邪那岐命と火之迦具土神の中に「父が子を殺すパターン」が残されている。
  2. 姫補佐官と姜王子は戦うけれども、和解して姜王子の子孫が認められるパターン。ヤオ族の伝承では、これを黄帝(雷)と蚩尤(父親)との戦いの後、蚩尤の子伏羲だけが許されて生き残る、とした。さらに伏羲という名に変えられて、夏・周という国を作ったこととされたと考える。(祝融同様水神を殺す。)だから夏の皇室の名はだったと思われる。
  3. 姫補佐官と姜王子が戦って、姜王子が勝ったパターン。祝融共工の戦い、あるいは祝融の戦いである。黄帝は悪神とされた。でも、インドと日本の神話にだけ、火神が親を焼き殺す話が残ってしまったのだった。姫補佐官が悪神とされる場合は、その鬼の怒りをなだめるために、「親を殺した女王」に見立てた娘を生け贄に捧げなければ、不吉なことが起きるとされた。

こうすると土神としての姫補佐官は消してしまわなければならないので、国内からはほとんど消した。あくまでも「犬族の姫補佐官神は土神である」と言い張る人々は粛正の対称とされた。後に彼らは政治という祭祀(占い)の場で姫補佐官の霊にお伺いを立てるための人身御供として、殷でどんどん殺されることとなった。

10[編集]

10.もう一つ、人身御供に関する方便は「首狩」である。こちらは「成人儀礼のために余所の部族の首を狩ってこい。」というものだった。これも「男子の成人式に必要なことだし、殺すだけで食べないのだから、禁止事項には当たらない。」とされた。成人式は誰かを殺して先祖の日月樹(姫補佐官のこと)に捧げ、木である先祖と一体化する重要な行事とされた。首を狩られる者は、戦士たちが黄帝と一体化するために必要な人身御供だったのだ。でもこの儀式は王国が大きくなっていろんな部族が国民に加わるようになると、国民が互いに殺し合う原因となって、だんだん邪魔になってきた。そこで「首狩」は禁止とされ、抵抗した人々は船に乗せられて沖に流され、国を追い出された。

11[編集]

11.姫補佐官と饕餮補佐官のことを

「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」

と作り替えることに反対した人達もいた。彼らは彼らで、

「姫補佐官と饕餮補佐官が協力して悪い火雷神と天で戦う。」

という話を作って持っていたのだ。姫補佐官と饕餮補佐官が、「喧嘩はしたけど、仲は良かった」という設定にはしたかったけれども、どちらかを「地(目下)の神」とするような優劣をつけたくなかったのだ。それでは不平等だ。だから、彼らは姫補佐官のトーテムが蛙であることにちなんで

蛙饕餮

という合成神を作り出した。姫補佐官と饕餮補佐官を一つの神にまとめて「父神」と呼ぶことにしたのだ。そうして二人が「天の蛙饕餮神」となるようにしたのだ。そこまで極端にしなくても「2神」が日月を支えて天に並び立つと考える人たちもいた。ちなみに蛙のことを中国では「蛙黽(あぼう)」というので、蛙饕餮のことを人々は「アペ父さん」と呼んでいた。こうして黄帝も炎帝も採用せず、「アペ父さん」を祀っていた人々は石家河文化へと移っていった。彼らは

「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」と考えた屈家嶺文化

から分かれていったのではないだろうか。「天の蛙饕餮神」は仰韶文化、縄文八ヶ岳の人々に信仰されたと思われ、彼らの土器に蛙人紋として残されていると思われる。そして、この蛙饕餮の中には「姜王子(祝融)」の性質も混じっていたと思われる。何故かというと、人々が

「姜王子(祝融)は饕餮の生まれ変わりだ。」

と考えていたからだ。だから姜王子(祝融)と饕餮をまぜこぜにして語り継いでいた。甘基王(ガンジ王)やザグレウスとディオニューソスの神話にその考え方が見えるように思う。

12[編集]

女神たちの変遷を纏めれば、殺された姜女王は太陽女神から月の女神へ変化した。姜王子が自分で太陽神・火神を名乗りたかったからだ。そして、本来は太陽女神に捧げられて切り刻まれた人身御供たちの肉片が植物の「種」とされていたのだが、切り刻まれた姜女王の肉片が植物の「種」とされるようになった。姜女王が太陽女神だったのなら、生け贄たちも彼女と一体で同じもののはずだから。そして、姜女王の肉片(種)を妹の女王が人々に与える、とされたのだろう。種はいったん地面の下に入るものだから、姜女王には地母神、冥界神の性質も与えられた。こうして、姜女王は

太陽女神から転落して地母神(冥界神)

にされてしまった。伏羲・女媧伝承では「母女神」は存在そのものが消されて消滅しており、それは「ヒョウタン」という形で表されることになった。殺された姜女王は

女媧

という形に変換されたのだと思う。女媧の第1子が母親の手でバラバラにされて、種としてまかれたということにして、その記念に「第1子を殺して神に捧げよう。」という祭を行うことになった。西方で「幼児供犠」という祭祀に変化したと思われ、非常に評判が悪かった。子供をバラバラにしてばらまく女媧のメーデイアという女神も登場した。伏羲という神は、父系が優位になってきてから付け加えられたのだと思われる。

ベンガルのコンド族の農耕祭祀では人身御供は第1子に限定されず、古い形式の太陽女神の祭祀を強く残していたと考えるが、彼らの地母神女神はタリ・ペンヌーといった[1]。カルタゴで「幼児供犠」の生け贄を受けた第一の神はタニトという女神だった。おそらくベンガルの女神とカルタゴの女神は同起源だと考える管理人である。(彼らの中間地点にはバビロニアの女神ティアマトがいる。)彼らは本来は、子供を殺したのではなく、母親や姉を殺してバラバラにした女神だったのだろう。

13[編集]

太陽女神だった姜女王とその夫との子の神話的象徴が伏羲女媧とすれば、伏羲は姜王子の姿を投影した神といえる。伏羲祝融の別の姿でもある。ということは女媧塗山氏女の別の姿でもある。塗山氏女は夫のに追い回されて死んだ。管理人が、姜王子が妹で妻でもある者を殺したのだろう、と考える所以である。

                                   
黄帝関連対比表
母女神(燃やされた女神父神息子妻女神息子神・疫神備考
ヒョウタン女媧伏羲(ときに犬形とされる[2]伏羲女媧型神話
有莘氏女嬉塗山氏女五帝神話との対比
有莘氏女嬉白馬塗山氏女五帝神話との対比
相柳共工祝融祝融神話との対比
西王母的妻譚華丹甘基王(盤瓠風・蛙)ヤオ族の羿的神話との対比
嫦娥羿逢蒙黒耳羿神話との対比
羿干ばつ(複数の太陽)土家族神話との対比[3]
雷神壮族神話との対比[4]
盤瓠干ばつ・水難(祝融
盤瓠息子たち
養蚕の母黄帝祝融蚩尤炎帝饕餮炎黄闘争との比較

14[編集]

14.また、時代が下って姫補佐官と姜女王が仲の良い夫婦であった、という伝承も希薄になってきた。炎帝と姜女王が姉弟だったことも。そして、新たに夫の姜王子に殺された蚕王女の化身に見立てた若い娘が狙い撃ちのように人身御供に立てられるようになった。これは子孫が姜王子の霊に妻を与えて、これを慰撫するためのものだった。姜王子は生きている時にとても恐ろしい男だったので、鬼神となった後も人々は彼を恐れていた。それに、姜王子は饕餮補佐官の生まれかわりとも考えられていたので、彼が再び生まれかわってくるかもしれない、と人々はそれも恐れていた。彼に敵だと見なされたら、それだけで身が危ういと皆考えていた。

ともかく、女は女であるだけで悪いのだ、とされるようになり、殺された女性たちは「芋の母」とか「蚕の母」とみなされるようになった。

15[編集]

15.そしてとても長い年月が流れた。その王室の子孫たちは、姜王子にならって、本当に先祖の姫補佐官のことを邪魔者だと思っていたし、姜女王の事を一族を裏切った悪い女だと思っていた。子供たちを育てて、夫の姜王子に使えた、妹の姜王妃のことは、「良い王妃だった。」と褒め称える人たちと、「夫の姜王子を操った悪い王妃だった。」と悪く言う人に分かれた。

そして、子孫たちは直接人身御供を立て続けていたら、親殺しの先祖の姜王子が非難されるようになってきたし、文明が進んで殺人もだんだん悪いこととされるようになってきた。そこで、裏から人を操って、自分たちの政敵や標的を、「他人に人身御供として殺させる」ようになった。そうして自分たちの先祖からは、姜女王、姫補佐官、饕餮補佐官の名前を隠してしまった。そして、自分たちの名前も隠してしまったので、今ではもう姜という名前は、自分たちでは知っているけれども、名乗っていないのである。

私的解説[編集]

13項の図にあるように、黄帝羿槃瓠、ときに蛙トーテムの人は「同じ神」であると管理人は考える。

  • 彼らはたいてい、干ばつ、ときに水害と闘い
  • 息子的な存在と対立して、だいたい殺されてしまう
  • (人身御供を禁じる側である)

という共通した特徴があるように思う。

脚注[編集]

  1. J・G・フレイザー著 吉川信訳『金枝篇 上』ちくま学芸文庫、2003年、521-525頁
  2. 百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』三弥井民俗選書、1999年、188-189頁
  3. 百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』三弥井民俗選書、1999年、135-136頁
  4. 百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』三弥井民俗選書、1999年、136頁