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2022年2月25日 (金) 13:09時点における版
死と再生を繰り返し、死ぬ際に燃え上がる鳥
ベンヌ
ベンヌ(Bennu)、ベヌウ、ベヌとは、エジプト神話に伝わる不死の霊鳥。
エジプト語の「立ち上がる者(ウェベン)」が由来とされる。「鮮やかに舞い上がり、そして光り輝く者」、「ラーの魂」、「自ら生まれた者」または、「記念祭の主」などの肩書きを持つ。
主に長い嘴をした黄金色に輝く青鷺で、他に爪長鶺鴒(つめながせきれい)、赤と金の羽がある鷲とも言う。稀なケースでは、鷺の頭をした人間の姿で表された。
太陽信仰と関連付けられたイシェドの木(ギリシアでは、ペルセア)にとまる聖鳥アトゥム、ラー、オシリスの魂であるとも考えられている。
アトゥムあるいは、ラーは、この世の始めに混沌または、原初の海ヌンからベンヌの姿で(自生的に)誕生し、原初の丘「タァ・セネン」もしくは、「ベンベン」の上に舞い降りたという。あるいは、原初の海に沈んでいた太陽(の卵)が原初の丘に揚がった時にベンヌが太陽を抱いて暖めて孵化させたともされる。なお、この原初の丘を神格化したものがタテネンである。この世の最初に誕生した鳥である事からベンヌの鳴き声により、この世の時間が開始されたともされる。
太陽と同じように毎朝生まれ夕暮れと共に死んで次の朝に再び生き返るとされた。生と死を繰り返すことからオシリスとも関連付けられた。
ホルス及びギリシアのフェニックスのモデルとも言われる。
夷羿(夏の羿)
別に伝えられているのは、『路史』夷羿伝や『春秋左氏伝』などにあるもので夏王朝を一時的に滅ぼしたという伝説である。こちらの伝説ではおもに后羿(こうげい)という呼称が用いられている[1]。堯と夏それぞれの時代を背景にもつ2つの伝説にどういった関わりがあるのかは解明されていない部分がある[2]。白川静は、後者の伝説は羿を奉ずる部族が、夏王朝から領土を奪ったことを示しているとしている。
后羿は子供の頃に親とともに山へ薬草を採取に出かけたが山中ではぐれてしまい、楚狐父(そこほ)(『帝王世紀』では吉甫)という狩人によって保護される。楚孤父が病死するまで育てられ、その間に弓の使い方を習熟した。その後、弓の名手であった呉賀(ごが)からも技術を学び取り、その弓の腕をつかって羿は勢力を拡大していったとされる。 太康(夏の第3代帝)の治世、太康は政治を省みずに狩猟に熱中していた。羿は、武羅・伯因・熊髠・尨圉などといった者と一緒に、夏に対して反乱を起こし、太康を放逐して夏王朝の領土を奪った。羿は王として立ち、諸侯を支配下に置くこととなる。しかしその後の羿は、伯封を殺し、その母である玄妻を娶り[3][4]、テンプレート:読み仮名という奸臣を重用し、武羅などの忠臣をしりぞけ、政治を省みずに狩猟に熱中するようになり、最後は玄妻と寒浞によって相王の8年に殺されてしまった。
夷羿の妻
羿は放浪中、非常に美しい洛水[5]の女神である雒嬪(らくひん)と出会う。雒嬪は水神の河伯の妻であった。河伯は怒りを抑えることができず、白龍に化して川面を巡遊した。そのため、大きな洪水が起き、川は氾濫して多くの人々が亡くなった。羿は白龍に変身した河伯に矢を射て、左目に命中させた。河伯は天帝に訴え出たが、羿に咎めはなかった。
『楚辞』「天問」には「帝、夷羿を降して、孽(わざわい)を夏の民に革(あらた)め、胡(なん)ぞ夫(か)の河伯を射て、彼(か)の雒嬪を妻とせる(天帝は、夷羿を地上に下して、夏の民に災いをもたらしたのに、何故河伯を射させて、その妻の雒嬪を夷羿に与えたのだろうか。)」とある。
古代中国の戦国時代(紀元前475~221年)には、「河伯が妻を娶る」と称して、毎年、若い娘を川に流して人身御供とする習慣があった。
アペプ
アペプ(Apep)は、エジプト神話における悪の化身。古代エジプト語での名は他に、アーペプ(アアペプ、Aapep)、アペピ(Apepi)、アピペ(Apipe)、アポペ(Apope)などが挙げられる。古代エジプト語のヒエログリフは、母音を明確に記述しないため本来の発音は、はっきりしない。古典ギリシア語転記であるアポピス(Αποφις, Apophis)でもよく知られる。
概要
闇と混沌を象徴し、その姿は、主に大蛇として描かれる。蛇は、古代エジプト人にとって身近で畏怖される存在であった。太陽の運行を邪魔するのでラーの最大の敵とされる。
アポピスは、世界が誕生する前のヌンに象徴される原始の水の中から生まれた。世界の秩序が定まる前に生まれたので秩序を破壊しようとすると考えられた。あるいは、もとは、太陽神としての役割を担っていたが、それをラーに奪われたため彼を非常に憎み、敵対するようになった。ここからラーの乗る太陽の船の運航を邪魔し、日食を起こすと考えられた。
冥界に捕えられており、ここを死者の魂が通ると襲う。死者の書 (古代エジプト)は、アポピスから身を守る方法が描かれているとされた。またラーの乗る太陽の船が通過する時、セトが船を守りアポピスを打ち倒すため天敵といわれている。しかし時代が下ると、その邪悪さのためにセトと同一視された。
エスナではラーとアポピスはネイト[6]から生まれ、ラーは正常な形で生まれたが、アポピスは口から吐き出された、とされる。アポピスは道をふさいで朝、日が昇るのを邪魔する[7]。
参考文献
関連項目
関連リンク
参照
- ↑ 市村瓚次郎 『東洋史統』1巻 冨山房 1940年 50頁
- ↑ 内藤虎次郎 『支那上古史』 弘文堂書籍 1944年 66-67頁
- ↑ 『春秋左氏伝』昭公二十八年「昔有仍氏生女、黰黒而甚美、光可以鑑。名曰玄妻。楽正后夔取之、生伯封。実有豕心、貪惏無饜、忿纇無期、謂之封豕。有窮后羿滅之、夔是以不祀」
- ↑ 『楚辞』天問「浞娶純狐、眩妻爰謀、何羿之射革、而交呑揆之」
- ↑ 河南省西部を流れる黄河の支流
- ↑ エスナの守護神。クヌムの妻とされていたと思われる。ネイトそのものは紀元前3100年頃より信仰された。プロクロス(412年-485年)は、サイスの現存しないネイトの神殿の至聖所に次の碑文が刻まれていたと記している。「私はかつてあり、今もあり、これからもある全てである。そして私のヴェールを人間が引き上げたことはない。私がもたらした果実は太陽である。(trans. Thomas Taylor, Proclus , The Commentaries of Proclus on the Timaeus of Plato, in Five Books, A.J. Valpy, year;1820, page = 82, url = http://books.google.com/books?&pg=PA82&id=Qh9dAAAAMAAJ&ots=0h_azc_OV5#PPA82 )」。ヘロドトスによれば「ランプ祭」(Feast of Lamps)と呼ばれる大きな祭りが毎年開催され、戸外に一晩中多数の明かりを灯したという。
- ↑ 世界神話大辞典、イヴ・ボンヌフォア著、金光仁三郎訳、大修館書店、110p