中国で鬼(guǐ〈グゥイ〉)という場合、死霊、死者の霊魂のことを指す<ref group="*">例:論語先進篇『季路問事'''鬼神'''、子曰、未能事人、焉能事'''鬼'''』、「先祖の神霊にどうお仕えすべきか」と聞く子路に対し孔子は「生きている者にさえきちんとお仕えできていないのに、どうして、死者の魂にお仕えすることができよう」と応えている。</ref>。日本で言う「幽霊」の方がニュアンスとして近い(中国語版ウィキペディアの記事『鬼』は、日本語版『亡霊』にリンクされている)。中国語では、直接『鬼』と呼ぶのはタブーであることから、婉曲して好兄弟ともいう。また日本にもこの思想が入っており、人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある他、元来の意味合いと混交したイメージでも捉えられている。
[[中国文学]]者・[[駒田信二]]によれば、中国では幽魂・幽霊・亡魂・亡霊などが人間の形で現れたものを鬼といい、多くは若い娘の亡霊で、この世の人間を恋い慕って情交を求めてくる。見た目は人間と変わらないばかりか、絶世の美女であることも多いため、現れるのを待ち望んで契りを結ぶ話(唐『[[才鬼記]]』、「州長官の娘」)や、別れをかなしむ話(六朝『[[捜神記]]』、「赤い上着」)、再会の約束をはたそうとする話(唐『[[酉陽雑俎]]』、「夫人の墓」)などもある。人間に生きかえる話(唐『[[広異記]]』、「生きかえった娘」)や、子供を生む話(「赤い上着」)、妊娠中に死んで墓の中で子を生み育てる話(宋『[[夷堅志]]』、「餅を買う女」)、密通により身ごもる話(宋『夷堅志』、「孕った娘」)などもあり、一般には、人間は亡霊と情交しつづけているといずれ死ぬ、というのが中国の亡霊(鬼)説話の主流であるという中国文学者・駒田信二によれば、中国では幽魂・幽霊・亡魂・亡霊などが人間の形で現れたものを鬼といい、'''多くは若い娘の亡霊'''で、この世の人間を恋い慕って情交を求めてくる。見た目は人間と変わらないばかりか、絶世の美女であることも多いため、現れるのを待ち望んで契りを結ぶ話(唐『才鬼記』、「州長官の娘」)や、別れをかなしむ話(六朝『捜神記』、「赤い上着」)、再会の約束をはたそうとする話(唐『酉陽雑俎』、「夫人の墓」)などもある。人間に生きかえる話(唐『広異記』、「生きかえった娘」)や、子供を生む話(「赤い上着」)、妊娠中に死んで墓の中で子を生み育てる話(宋『夷堅志』、「餅を買う女」)、密通により身ごもる話(宋『夷堅志』、「孕った娘」)などもあり、一般には、人間は亡霊と情交しつづけているといずれ死ぬ、というのが中国の亡霊(鬼)説話の主流であるという<ref>[https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8407743_po_18605.pdf?contentNo=5&alternativeNo= 中国のほんの話(46)中国の亡霊説話] 蔭山達弥、Gaidai bibliotheca : 図書館報. (186) (京都外国語大学, 2009-10-10)</ref>。
日本でも教養ある[[平安貴族]]の中には、死霊の意味で「鬼」という言葉を用いている事例があり、[[藤原実資]]は[[関白]][[藤原頼通]]が伯父[[藤原道隆]]の「鬼霊」日本でも教養ある平安貴族の中には、死霊の意味で「鬼」という言葉を用いている事例があり、藤原実資は関白藤原頼通が伯父藤原道隆の「鬼霊」<ref group="*">道隆は当時の頼通の居所である[[東三条殿]]の以前の所有者で同邸内にて病死していた。道隆は当時の頼通の居所である東三条殿の以前の所有者で同邸内にて病死していた。</ref> によって病に倒れた(『[[小右記]]』長元2年9月13日・18日条)と記し{{sfn|によって病に倒れた(『小右記』長元2年9月13日・18日条)と記し<ref>小山聡子|, 2020|pp=152, pp152-153}}、[[藤原頼長]]も[[鳥羽天皇|鳥羽法皇]]の病が祖父[[白河天皇|白河法皇]]の「鬼」に憑かれたものである(『[[台記]]』久安元年12月4日・11日条)と記している{{sfn|</ref>、藤原頼長も鳥羽法皇の病が祖父白河法皇の「鬼」に憑かれたものである(『台記』久安元年12月4日・11日条)と記している<ref>小山聡子|, 2020|pp=154, pp154-155}}。また、この時代に描かれたと推測されている『[[吉備大臣入唐絵巻]]』にも、[[奈良時代]]に唐で客死した[[阿倍仲麻呂]]が家族のことを心配して[[遣唐使]]時代の同僚であった[[吉備真備]]の元へ鬼の姿で現れるが、赤い褌をした裸の姿で、頭には一本角と逆立つ髪の毛、真っ赤な肌、大きな口に鋭い歯、手足の指は3本ずつ、という姿になっていた。これを見た真備は人に会う格好ではないと追い払ったところ、後日になって今度は衣冠を整えた仲麻呂が再び真備を訪れたが赤い肌と3本指は隠せなかった様子が記されている{{sfn|</ref>。また、この時代に描かれたと推測されている『吉備大臣入唐絵巻』にも、奈良時代に唐で客死した阿倍仲麻呂が家族のことを心配して遣唐使時代の同僚であった吉備真備の元へ鬼の姿で現れるが、赤い褌をした裸の姿で、頭には一本角と逆立つ髪の毛、真っ赤な肌、大きな口に鋭い歯、手足の指は3本ずつ、という姿になっていた。これを見た真備は人に会う格好ではないと追い払ったところ、後日になって今度は衣冠を整えた仲麻呂が再び真備を訪れたが赤い肌と3本指は隠せなかった様子が記されている<ref>小山聡子|, 2020|p=158}}, p158</ref>。
また、中国では鬼とは亡者(幽霊)に限らず、この世のものでないもの、化け物全般を指す言葉でもあり、[[貝塚茂樹]]によれば、鬼という字は「由」と「人」から成り立っており、人が由、すなわち大きな面をかぶっている形を表したもので、古代国家の祭祀の主宰者であった[[巫]]が[[降霊術]]を行うとき、異形の面をかぶった姿を象形化したものであろうとされている<ref>[https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8407735_po_17713.pdf?contentNo=13&alternativeNo= 中国のほんの話(37)中国の怪奇小説] 蔭山達弥、Gaidai bibliotheca : 図書館報. (177) (京都外国語大学, 2007-07-09)</ref>。