「瓠公」の版間の差分
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*脱解尼師今9年(65年)、王都金城(慶州市)の東で起こった神異を調べにいき、[[金閼智]]を得た。 | *脱解尼師今9年(65年)、王都金城(慶州市)の東で起こった神異を調べにいき、[[金閼智]]を得た。 | ||
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2022年9月27日 (火) 21:58時点における最新版
瓠公(ここう、生没年不詳)は、新羅の建国時(紀元前後)に諸王に仕えた重臣。また金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。もとは倭人[1]とされる。新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物である。瓠(ひさご)を腰に下げて海を渡ってきたことからその名がついたと『三国史記』は伝えている[2][1]。
初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠から取られているため、同一人物を指しているのではないかという説がある[3]。
また、脱解尼師今が新羅に着した時に瓠公の家を謀略で奪ったと言う。この瓠公の屋敷が後の月城(歴代新羅王の王城)となった[4][私注 1]。
事績[編集]
- 赫居世38年(前20年)、王命に従って馬韓を訪問し国交を開こうとした。このとき馬韓王からは馬韓の属国である辰韓諸国の一国に過ぎない新羅が貢物を送らないことを責めたが、瓠公は逆に新羅に聖王(赫居世と閼英夫人)が現れたことを主張して馬韓王の失礼を咎めた。馬韓王は怒って瓠公を殺そうとしたが、馬韓の重臣が王を諌めたため、許されて新羅に帰国した。
- 脱解尼師今2年(58年)、最高官位である大輔に任命された。
- 脱解尼師今9年(65年)、王都金城(慶州市)の東で起こった神異を調べにいき、金閼智を得た。
参考文献[編集]
- 『三国史記』第1巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980 ISBN 4-582-80372-5
- 金両基『韓国神話』蒼士社、1995年
関連項目[編集]
私的注釈[編集]
- ↑ 月城は建築時に人柱が行われている。