== 勢漢始祖 ==
金氏王統の始祖であり、金氏初代王の味鄒尼師今に至るまでの系譜として、『三国史記』新羅本紀・味鄒尼師今紀では、
金閼智―[[金星漢|勢漢]]―阿道―首留―郁甫―仇道―味鄒金閼智―勢漢―阿道―首留―郁甫―仇道―味鄒
『三国遺事』金閼智脱解王代条では
金閼智―[[金星漢|勢漢]]―阿都―首留―郁部―倶道(仇刀)―未鄒金閼智―勢漢―阿都―首留―郁部―倶道(仇刀)―未鄒としている。2世にあたる「勢漢」については、[[681年]]建立の[[文武王陵碑]]や[[935年]]建立の広照寺真澈大師宝月乗空塔碑文では「星漢」、[[939年]]建立の毗ル庵真空大師普法塔碑文(ルは田としている。2世にあたる「勢漢」については、681年建立の文武王陵碑や935年建立の広照寺真澈大師宝月乗空塔碑文では「星漢」、939年建立の毗ル庵真空大師普法塔碑文(ルは田+盧)では「聖漢」として表れる新羅の始祖と同音異表記であり、金閼智とともに勢漢を始祖とする説も伝わっていたと考えられている。(→井上訳注1980 p.65)
==名の由来==
神話を伝える『三国史記』では長じて聡明であったので「閼智」(知恵者の意味)と名づけたといい、『三国遺事』では「小さな子」の意としてる。実在の人物とみる説神話を伝える『三国史記』では長じて聡明であったので「閼智」(知恵者の意味)と名づけたといい、『三国遺事』では「'''小さな子'''」の意としてる。実在の人物とみる説<ref>[[西川権]]は閼智は西川権は閼智は[[赫居世居西干|赫居世]]と同郷の日本の豪族で、昔氏を掣肘するため赫居世が呼び寄せたものとみた。これに対し、[[鈴木貞一]]は記紀で出雲に行ったという[[誉津別命|本牟智和気命]]がさらに渡海して金閼智になったとした。と同郷の日本の豪族で、昔氏を掣肘するため赫居世が呼び寄せたものとみた。これに対し、鈴木貞一は記紀で出雲に行ったという本牟智和気命がさらに渡海して金閼智になったとした。</ref>もあるが、[[井上秀雄]]は閼({{lang|ko|알}}もあるが、井上秀雄は閼(알/アル)は「卵・穀霊・祖霊」の意であるともいう。同じく「閼」の字を持つ[[閼英夫人]](新羅始祖赫居世の王妃)や、2代[[南解次次雄]]の「南」の訓を({{lang|ko|알}}(新羅始祖赫居世の王妃)や、2代南解次次雄の「南」の訓を(알/アル)として、これらの伝説上の始祖を、穀霊神を人格化したものとも考えられている。(→井上訳注1980 アル)として、これらの伝説上の始祖を、'''穀霊神を人格化したもの'''とも考えられている。(→井上訳注1980 pp.32,33.)
==姓氏の由来==
『三国史記』『三国遺事』いずれも、金の小箱に入っていたので「金」を姓<ref>金の箱に入っていたから「金」氏としたというのはむろん付会記事にすぎず、歴史事実としては実際に新羅王家が金氏を名乗ったのは[[6世紀金の箱に入っていたから「金」氏としたというのはむろん付会記事にすぎず、歴史事実としては実際に新羅王家が金氏を名乗ったのは6世紀からであり、それ以前の金氏は遡及的に付記されたものである。しかし閼智または勢漢を共通祖先とする氏族集団が古くから存在したことは事実で、大林太良は閼智の出現神話には神話の三機能体系のうち第一機能を表しているといい、濱名極光]]からであり、それ以前の金氏は遡及的に付記されたものである。しかし閼智または勢漢を共通祖先とする氏族集団が古くから存在したことは事実で、[[大林太良]]は閼智の出現神話には神話の[[三機能体系]]のうち第一機能を表しているといい、[[濱名極光]]は黄金をシンボルカラーとする部族だったと推測している。黄金をシンボルカラーとする部族だったと推測している。</ref>としたという<ref group="私注">東アジアにおける「金」は「太陽」のシンボルカラーであると思う。</ref>としたという。。
== 関連項目 ==
*[[赫居世居西干#建国神話|朴氏始祖伝説]]*[[脱解尼師今#即位まで(誕生説話)|昔氏始祖伝説都怒我阿羅斯等]]*[[金日磾乙子狭姫]]*== 私的考察 ==いわゆる「小さ子」というのは、特に男子の場合、女性を置き換えたものなのではないだろうか。新羅には[[娑蘇夫人]]が国を建てたという伝承もあるようだし、本来は岩見の[[金星漢乙子狭姫]]のように、女性の建国神話があったのではないだろうか。古代日本には女帝がいたが、新羅にも女王がおり、女性の地位が比較的高い国だったのではないだろうか。
== 参考文献 ==
*Wikipedia:[[金富軾https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%96%BC%E6%99%BA 金閼智]]撰、[[井上秀雄]]訳注『[[三国史記]]』第1巻、平凡社〈東洋文庫372〉、1980年 (最終閲覧日:22-09-16)** 金富軾撰、井上秀雄訳注『三国史記』第1巻、平凡社〈東洋文庫372〉、1980年 ISBN 4-582-80372-5*[[一然]]撰、[[坪井九馬三]]・[[日下寛]]校訂『三国遺事』<文科大学史誌叢書>東京、1904年([[国立国会図書館]] [[近代デジタルライブラリー]])* 一然撰、坪井九馬三・日下寛校訂『三国遺事』<文科大学史誌叢書>東京、1904年(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
== 私的注釈 ==