*[[赫居世居西干]]
*[[乙子狭姫]]
== 私的考察 ==
いわゆる「小さ子」というのは、特に男子の場合、女性を置き換えたものなのではないだろうか。新羅には[[娑蘇夫人]]が国を建てたという伝承もあるようだし、本来は岩見の[[乙子狭姫]]のように、女性の建国神話があったのではないだろうか。古代日本には女帝がいたが、新羅にも女王がおり、女性の地位が比較的高い国だったのではないだろうか。
== 参考文献 ==
*Wikipedia:[[金富軾https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%96%BC%E6%99%BA 金閼智]]撰、[[井上秀雄]]訳注『[[三国史記]]』第1巻、平凡社〈東洋文庫372〉、1980年 (最終閲覧日:22-09-16)** 金富軾撰、井上秀雄訳注『三国史記』第1巻、平凡社〈東洋文庫372〉、1980年 ISBN 4-582-80372-5*[[一然]]撰、[[坪井九馬三]]・[[日下寛]]校訂『三国遺事』<文科大学史誌叢書>東京、1904年([[国立国会図書館]] [[近代デジタルライブラリー]])* 一然撰、坪井九馬三・日下寛校訂『三国遺事』<文科大学史誌叢書>東京、1904年(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
== 私的注釈 ==