家には「壁」というものがある。「壁」は家の内と外を分ける「境界」である。だから猿田彦は壁の神、家の神、家を支配する神でもある。
土地にも当然「境界」がある。「境界」があるからこそ、自分の土地と隣人の土地の区別がつく。土地にも当然「境界」がある。「境界」があるからこそ、自分の土地と隣人の土地の区別がつく。橋というものも「境界」なので、猿田彦は橋の神であり、橋も支配する。
こういう具合に猿田彦はあらゆる「境界」を支配する神とされているように思う。
一方、日本には猿神に生贄を捧げるという伝承が各地にある。この猿神は普通の猿ではなく、人を料理して食べる猿神である。この猿神が猿田彦と同じものである、とは言われないが、「異なるものである」という根拠もないように思う。彼らは主に山に住んでいる、というイメージがある。それは今昔の猿神退治が飛騨の隠れ里で行われているため、山奥の隠れ里を思わせるからかもしれないし、猿は山に住むものであることも重ね合わされていよう。しかし、何故人は猿神に生贄を捧げなければいけないのだろうか。猿神が「境界神」であれば、「境界」の安寧のために人は生贄を捧げなければならない、とされていたのではないだろうか。
家の壁を建てるための生贄、橋を作るための生贄、山を鎮めるための生贄、川を鎮めるための生贄、である。これらを人は「人柱」と呼ぶ。
== 参考文献 ==