差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
1,846 バイト追加 、 2022年9月14日 (水) 23:50
日本の人柱は、伝説の域を出ないものを含めて、「'''猿'''」という地名がつくところに多いように思う。これはおそらく猿の神である猿田彦が「境界の神」であることと関連するように思う。猿田彦は、まず「道の神」であって、「塞の神」と言われる。道は境界の」という地名がつくところに多いように思う。これはおそらく猿の神である猿田彦が「境界の神」であることと関連するように思う。猿田彦は、まず「道の神」であって、「塞の神」と言われる。道は境界の一種であって、道の向こう側とこちら側の境界でもあるし、自分の街と隣町をつなぐ境界でもある。黄泉平坂のように、現世界と冥界を繋ぐ坂道があるとすれば、猿田彦は「現世界と冥界を繋ぐ坂道」の神でもある。猿田彦自身も「死んだ神」であって黄泉平坂を通ったことがあるはずなので、新たにそこを通らねばならない人の道案内ができるはずである。 川も一種の「境界」である。特に現世界と冥界の間にあるとされる「三途の川」があれば、これも「境界」であるし、猿田彦はそこも渡ったことがあるはずである。よって、その渡り方も心得ているはずである。猿田彦は「三途の川」という境界を心得ている神であり、現実の川も向こう岸とこちらの岸の境界であるのだから、現実の川の渡り方も心得ているはずである。だから、猿田彦は川の神、川を支配する神なのである。 同様の理由で山も一種の「境界」なので、猿田彦は山の神、山を支配する神となる。猿が山に住んでいるから「山の神」なのではない。山は自分の村と隣の村、自分の集落と隣の集落、そういったものとの「境界」だから、猿田彦は「山の神」なのである。 家には「壁」というものがある。「壁」は家の内と外を分ける「境界」である。だから猿田彦は壁の神、家の神、家を支配する神でもある。 土地にも当然「境界」がある。「境界」があるからこそ、自分の土地と隣人の土地の区別がつく。 こういう具合に猿田彦はあらゆる「境界」を支配する神とされているように思う。
== 参考文献 ==

案内メニュー