『信濃の民話』の編集委員の一人であった松谷みよ子は、「水との闘いの民話」の多くが陰惨な内容であるなか、小泉小太郎を明るく雄大な物語として捉えた<ref>『講談社現代新書 370 民話の世界』36 - 39ページ。</ref>。忘れられつつあった小泉小太郎を復活させ、秋田県の民話や自身の体験、また子供たちとの関わりなどをもとに、松谷が1959年(昭和34年)度に創作したのが『龍の子太郎』である<ref>『松谷みよ子全集 9 龍の子太郎』170 - 171ページ。</ref><ref>『講談社現代新書 370 民話の世界』39 - 40、57 - 65ページ。</ref>。
== 私的解説・再現神話 私的解説 ==昔、八布施山の山頂に神社があり、そこへ毎晩のように通う一人の女性がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った村の老人が、こっそり彼女の衣服に糸を付けた針を刺しておいた。翌朝、村人が糸をたどって行き着いた先は、犀川の縁にある洞窟だった。中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があったが、男の子を産んだ大蛇は息も絶え絶えだった。長野県上水内郡信州新町に伝わる「泉小太郎」は母の犀龍と共に犀川の治水・開拓を行うという伝承である。「犀の神」が登場する伝承は珍しく、これは犀を殺して天地を創造したという中国プーラン族の神グミヤーの類話と述べるしかない。そしてグミヤーの神話にはない点、泉小太郎の伝承にはない点を互いに補完できる内容となっている。
「私は出産で力を使い果たし、このままでは生きていかれません。川の底の我が家で休まなければなりません。どうかこの子を預かって育ててください。」小泉小太郎の母親は龍蛇神であって、「正体を見られると恥ずかしがって」死んでしまう。東アジアで、「姿を見られると恥ずかしい」といえば「太陽女神」のこと、と言えるくらいこれは定型的なパターンであって、中国、朝鮮に類話がある。射日神話に絡んだ話や、兄の月と争う話などである。よって、小太郎の母親は「太陽女神」であることが分かる。この龍蛇女神と養母は「同じもの」であって、どちらも小太郎に関連して亡くなる。特に養母は小太郎が殺したも同然である。要するに
そう言うと、大蛇は老人に赤子と龍の赤い玉を預けて、犀川に入って行ってしまった。老人は赤ん坊に小太郎と名付け、妻と一緒に大切に育てた。身長は小さいものの、たくましい体に成長した小太郎だったが、食べては遊んでばかりで仕事をしたことがない。14、5歳になった頃、養母から仕事を手伝うよう促された小太郎は、小泉山へ薪を取りに出かけることにした。母親からもらった龍の玉を使うと仕事は簡単に済んだ。小太郎は萩の束を2つほど持ち帰った。これは山じゅうの萩を束ねたものだから、使うときは1本ずつ抜き取るようにして、決して結びを解いてはいけない、と小太郎は養母に伝えたが、たった1日でそのようなことができるはずがないと思った養母は結びを解いてしまった。すると、束がたちまち膨れあがり、養母はその下敷きになって動けなくなってしまった。小泉小太郎は、母親に協力してもらったといえば聞こえがいいが、母親を殺してその能力で治水・開拓(いわば土地の創造)を行った。
「お母さん、僕の言うことを信用しないから、罰を受けたんですよ。次から気をつけてください。」と、東信と北信の2つの話をまとめて、そういう神話である。母親が諏訪神と言われていることから、これは下社の祭神八坂刀売のことであって、小太郎は彦神別神の民間伝承化した姿といえる。父親とされる黒竜とは、諏訪・建御名方神とするしかないのだが、この神は「蛙の悪神」を倒したという伝承があり、これは中国神話でいうところの蚩尤(プルシャ)というしかないので、建御名方神とは「黄帝型神」と述べるしかない。グミヤーの神話では語られないが、小泉小太郎の両親は「黄帝」と「太陽女神」といえる。そして、「黄帝」が「黒竜」であるなら、それは女媧女神が殺して「天地修復」の材料として使ったものでもある。信州新町の伝承では、雉娘が「余計なことを言うからこうなる」といって、父親を治水の材料にして殺してしまう。とんだ女媧女神といった風情の女神である。
小太郎はそう言いながら、萩をのけて養母を助け出した。小太郎のとってきた萩の薪はとても良く燃えて怖いくらいだった。グミヤーには、天地創造を行うような魔術師的な性質、いわば伏羲的な性質があり、女媧は彼の妻である、といっても過言ではないと考える。ということは、日本の小泉小太郎はグミヤーでもあり伏羲でもある(ついでに禹でもある)といえる。一方の雉娘は治水に関わる女媧女神であり、最後に消える(死んでしまう)ところは塗山氏女的でもある。つまり、小泉小太郎と雉娘は中国で述べるところの「伏羲と女媧」であり、彦神別神とその妹、おそらく伊豆玉姫命に相当する神々と思われる。
薪取りで失敗したので、小太郎は今度は養父の畑仕事を手伝うことにした。石ころだらけの山坂を開墾する厳しい仕事だ。農地は少ないし、仕事は大変だし、小太郎は嫌気がさした。 「こんなに山が険しくては田畑も少ししか作れない。せめて犀川の周囲がもっと平らだったら村のみんなも仕事が楽になるのになあ。」 と小太郎は思った。そこで、小太郎はなんとかならないものかと、母親の大蛇に会いに行くことにした。実は母親の大蛇は犀川の女神の犀竜だったのだ。母親は尾入沢というところに住んでいて、近頃ではすっかり具合も良くなり、天気の良い日には陸に上がってきて、尾だけを水につけて日向ぼっこしながら昼寝をしている、と噂で聞いたのだ。だから、その地を「尾入沢」と言うのだ。小太郎が養父母にその話をすると、養父母は小太郎が険しい山道を越えていけるように馬を1頭貸してくれた。 小太郎が会いに行くと犀竜はとても喜んでくれた。 「少し体を休めようと思っていたら、子供がこんなに大きくなるほど時間が経っていたなんて気がつきませんでした。お前の用向きは私が何とかしてあげましょう。」 と犀竜は言った。そして、犀竜は自身が諏訪湖の女神・八須良姫で、小太郎の父親は諏訪湖の神・八須良雄だと教えてくれた。八須良雄は白い龍だと言う。 「私と夫は、役の行者という悪者と戦って、瀕死の重傷を負ったのです。この行者が神々の神域に入り込んで、修行する、と言っては荒らし回るので追い出そうとしました。でも、良く話してみたら少しは話が分かるところもあったので、神域を大きく荒らさないことを約束させて戦いをやめることにしたのです。傷ついたお父さんは、飯山の白龍湖で今も体を休めています。私は具合が良くなったから、川の流域を平地として、人が住める里にしましょう。」 と犀竜は言った。小太郎は犀竜に乗って山清路の巨岩や久米路橋の岩山を突き破り、日本海へ至る川筋を作った。仕事が終わると、母の犀竜はまた水底の住処へと帰っていった。小太郎と人々は、久米路橋のほとりに、「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作って母の八須良姫を祀った。白龍湖の近くにも「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作って父の八須良雄を祀った、小太郎は箱清水という所に住んで、「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作り、自分がそこの彦神別神という神様になった。彼らの神社は水内大社と呼ばれ、朝廷からも篤い尊敬を受けた。 でも、役の行者とその仲間たちは、小太郎一家を恨んでいたので、こっそり八須良雄を「八面大王という盗賊だ。」とか、八須良姫を「鬼女紅葉だ。」と悪口を言って言いふらしたので、小太郎の両親は今ではそっちの名前の方が有名になってしまったのだった。伊豆玉姫命とは、名前の類似性から[[会津比売神]]として見ても差し支えなかろう。
=== 再現神話の解説 ===