「バロン」の版間の差分
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設定の中に興味深い点がある。彼らの家には「'''雷神が頻繁に遊びに来ていた'''」とされている。また、雷神が大洪水を起こす、と決めたら父アペ・コペンはそれを止めることはできなくても、ある程度条件をつけて制限を課すことができる。うまくやれば雷神を捕らえることもできる。彼らは「'''雷神を降ろしたり、コントロールしたりできる'''」という才能を持った家系と考えられていたのではないだろうか。だから雷神は子供達を生かしておいた、とも言えなくない。子供達がいれば、雷神は乱暴に天から落ちなくても、人類に迷惑をかけずに地上に遊びに行けるし、また穏やかに天に帰ることができる。子供達は雷神と仲良くしながら、雷神の力を人類に迷惑をかけないように調節できる。雷神にとっても、人類にとっても、子供達の能力はどちらにも益して「ウィンウィン」となるようなものなのだ。 | 設定の中に興味深い点がある。彼らの家には「'''雷神が頻繁に遊びに来ていた'''」とされている。また、雷神が大洪水を起こす、と決めたら父アペ・コペンはそれを止めることはできなくても、ある程度条件をつけて制限を課すことができる。うまくやれば雷神を捕らえることもできる。彼らは「'''雷神を降ろしたり、コントロールしたりできる'''」という才能を持った家系と考えられていたのではないだろうか。だから雷神は子供達を生かしておいた、とも言えなくない。子供達がいれば、雷神は乱暴に天から落ちなくても、人類に迷惑をかけずに地上に遊びに行けるし、また穏やかに天に帰ることができる。子供達は雷神と仲良くしながら、雷神の力を人類に迷惑をかけないように調節できる。雷神にとっても、人類にとっても、子供達の能力はどちらにも益して「ウィンウィン」となるようなものなのだ。 | ||
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| + | ただし、物語の中では父親は雷神を殺そうとする。これは元々「'''父親と雷神が戦う話'''」があったのを「仲が良かった」と改変して作った物語なので、彼らが争う理由が省かれ、両者が争うという部分だけが残された結果と考える。本来の話では[[アペ・コペン]]と雷神は仲が良くなかったのだろう。両者が元々不仲であった理由は物語の中では明確ではないが、父親が鶏と思われる雷神に鶏を食べさせようとして雷神が拒否すること、兄妹の間で行われる近親婚を雷神が許しているけれども、父親が禁じていることから、 | ||
| + | - 同族食い(人間でいえば'''食人''') | ||
| + | - 近親結婚 | ||
| + | という2種類のタブーに関して、[[アペ・コペン]]と雷神との間で意見の相違があったことが示唆されている。 | ||
バロンは水に関して'''死ぬ'''女神といえるので「'''[[吊された女神]]'''」と考える。人類の始祖ともなるので、大洪水から再生した後は'''[[養母としての女神]]'''に転換する。'''[[ダロン]]'''はその夫であり、祝融型神といえる。母なるカボチャは'''[[燃やされた女神]]'''、雷神は[[炎帝型神]]、これと戦うアペ・コペンは'''黄帝型神'''といえる。 | バロンは水に関して'''死ぬ'''女神といえるので「'''[[吊された女神]]'''」と考える。人類の始祖ともなるので、大洪水から再生した後は'''[[養母としての女神]]'''に転換する。'''[[ダロン]]'''はその夫であり、祝融型神といえる。母なるカボチャは'''[[燃やされた女神]]'''、雷神は[[炎帝型神]]、これと戦うアペ・コペンは'''黄帝型神'''といえる。 | ||
2026年1月2日 (金) 06:24時点における版
ミャオ族の伏羲・女媧神話に登場する女神。中国神話の女媧に相当する。湘西のミャオ族にあつく信仰されてきた[1]。
ミャオ族伝承
昔、天を支えて大地に立つアペ・コペンという男がいた。男は雷と兄弟分で、雷が良く遊びに来ていた。雷は鶏肉が嫌いだったが、アペ・コペンはいたずらでこっそり鶏肉を食べさせた。怒った雷はアペ・コペンを切り裂くことにした。アペはそれに対し条件を出した。
- 1、七年の間、雨をシトシトと降り続かせること
- 2、戦うために地上に降りてくるときには、アペの家の屋根に降りてくること
雷はこの条件を承知して、いったん天に帰った。七年後、襲ってきた雷をアペは捕まえて鉄のおりに閉じ込めたが、バロン(娘)とダロン(息子)が開放して逃がしてしまう。
雷は逃げる時にアペに見つかりそうになり、枯木の幹の中に隠れる。アペがこの枯れ木を燃やそうとしたが、木はいぶるばかりで燃えなかったので、アペは木を庭に投げ捨てた。そして雷は何とか逃げおおせた。アペは丸木舟を作って洪水に備えた。
洪水が起きると父の乗った船は水に浮き、南天門(天国の入り口)に流れ着いた。そこに日月樹が生えていたので、アペは丸木舟を降り、この木を昇って天におしかけることにした。雷はひとまずアペを歓待することとして、もてなしている間に太陽を十二出し、日月樹を枯らしてしまうことにした。そうしたらアペはもう地上に戻れないので、その間にアペを殺す方法を考えるつもりなのだ。雷の真意に気がついたアペは雷に殴りかかった。雷が逃げたので、天上では雷とアペの追いかけっこが始まり、雷は天のあちこちで鳴るようになった。アペが暴れたので、地上には山や川や海ができた。
兄妹は雷を助けた時にもらった種を植えており、そこから生えた巨大なカボチャの中に避難して助かった。兄妹を残して人類は滅亡した。
妹は人類を増やすために結婚しようと兄を説得した。兄は近親結婚を行ったら雷の怒りを買うのではないか、と恐れたが、天にいるアペが結婚を許した。雷はアペに追い回され、もう子供達に罰を与える力は残っていなかったのだ。アペは息子に「石臼のような子が生まれたら切り刻んで四方にまくように。」と言った。
結婚後、妻は石臼のような子を一つ産み落とした。石片をあちこちにまくと人間になった。落下した場所の名をとって彼らの名とした。最後の一切れは薬草になった。ミャオ人は兄妹をしのんで秋におまつりをし、子供のいない夫婦は先祖のバロンとダロンに子宝を願うようになった。[2]。
私的解説
全体に母系の思想が強く、伏羲・女媧神話の中では古い方の話だと考える。伏羲・女媧型神話では、分かる形で生きた人型の「母親」が登場しない。その一方で、大洪水で兄妹がカボチャの船の中に閉じこもって乗るのは、彼らがいったん死んで、再生したこと(生まれ変わったこと)を示しているのではないか、と思う。その場合、カボチャが母といえる。彼らの母はすでに亡くなっていて、「カボチャ(植物)」に化生していると思われる。
本来の話の趣旨は、雷神が暴れたことにより、バロン・ダロン兄妹は亡くなった、かあるいは死にそうになった、ということなのだと思う。彼らが生命の危機に陥ったときに、植物に化生した母親が助けてくれた、という話なのではないだろうか。「死にそうになった」のなら母親が隠してかくまってくれた、のだし、「亡くなった」のなら母親が新たに自らの体内を通して生み直してくれた、といえる。彼らは母親が「人類の始祖」となるよう選んで残してくれた子供たちといえる。
ということで、「雷神が世界を滅ぼす」という危機の中で、子供達は選ばれて生き残る。本物語では、どちらかといえば彼らを「選別」したのは雷神とされている。彼らには父といえる存在が二人居る。父親とされるアペ・コペンと、彼らが生き残るヒントをくれた雷神である。母系社会であれば、どちらが父親でもそれは重要なことではないので、「父」とみなす人物が二人居ても問題はないと感じる。
設定の中に興味深い点がある。彼らの家には「雷神が頻繁に遊びに来ていた」とされている。また、雷神が大洪水を起こす、と決めたら父アペ・コペンはそれを止めることはできなくても、ある程度条件をつけて制限を課すことができる。うまくやれば雷神を捕らえることもできる。彼らは「雷神を降ろしたり、コントロールしたりできる」という才能を持った家系と考えられていたのではないだろうか。だから雷神は子供達を生かしておいた、とも言えなくない。子供達がいれば、雷神は乱暴に天から落ちなくても、人類に迷惑をかけずに地上に遊びに行けるし、また穏やかに天に帰ることができる。子供達は雷神と仲良くしながら、雷神の力を人類に迷惑をかけないように調節できる。雷神にとっても、人類にとっても、子供達の能力はどちらにも益して「ウィンウィン」となるようなものなのだ。
ただし、物語の中では父親は雷神を殺そうとする。これは元々「父親と雷神が戦う話」があったのを「仲が良かった」と改変して作った物語なので、彼らが争う理由が省かれ、両者が争うという部分だけが残された結果と考える。本来の話ではアペ・コペンと雷神は仲が良くなかったのだろう。両者が元々不仲であった理由は物語の中では明確ではないが、父親が鶏と思われる雷神に鶏を食べさせようとして雷神が拒否すること、兄妹の間で行われる近親婚を雷神が許しているけれども、父親が禁じていることから、 - 同族食い(人間でいえば食人) - 近親結婚 という2種類のタブーに関して、アペ・コペンと雷神との間で意見の相違があったことが示唆されている。
バロンは水に関して死ぬ女神といえるので「吊された女神」と考える。人類の始祖ともなるので、大洪水から再生した後は養母としての女神に転換する。ダロンはその夫であり、祝融型神といえる。母なるカボチャは燃やされた女神、雷神は炎帝型神、これと戦うアペ・コペンは黄帝型神といえる。