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'''秋鹿神社'''(あいかじんじゃ)は島根県松江市秋鹿にある神社である。
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'''秋鹿神社'''(あいかじんじゃ)は島根県松江市秋鹿にある神社である。宍道湖の北、秋鹿川沿いにある。
  
 
『出雲国風土記』所載だが、神祇官不在社で、『風土記』の最後に記されている。秋鹿郡名の由来である神社だが、風土記の頃には、すでに小社となっていたと思われる。
 
『出雲国風土記』所載だが、神祇官不在社で、『風土記』の最後に記されている。秋鹿郡名の由来である神社だが、風土記の頃には、すでに小社となっていたと思われる。
  
== 祭神 ==
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== 概要 ==
'''眞玉著玉之邑日女命'''(またまつくたまのむらひめ)、神魂命、大己貴命を祀る。
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'''秋鹿日女命'''(あひかひめのみこと)。境内案内には、
  
『出雲国風土記』神門郡条の朝山郷の項に「神魂命御子 眞玉著玉之邑日女命坐之 爾時 所造天下大神 大穴持命 娶給而 毎朝通坐」とある。すなわち眞玉著玉之邑日女命は大穴持命(=大国主)の妻問いの相手である。
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<blockquote>創立年紀は不詳であるが、風土記所載の古社であり、記に依れば、秋鹿と名つくる所以は、郡家の正北に'''秋鹿日女命'''坐す故に秋鹿と云ふ。依って該社、再興或いは修復等の節には、郡中より現米七俵を寄附する例あり。然るに、寛保三年度より、其例絶ん、明治五年三月、村社に列せられる。<br>秋鹿日女命は、天勅を蒙り、'''大己貴命の火傷を治療'''給はん為に此國に降り給ひて、其任を果し給ひ、御功績甚だ顕著であり、此の御功績ぞ即ち、大己貴命の遂に天下蒼生の為、大に利養厚生の道を開き給へし一の原動力と成れり。此の御縁由に依って永く此地に鎮座し給ふなり。</blockquote>
  
市森神社(島根県出雲市稗原町)では、祭神の母神を[[朝山神社]](出雲市朝山町)の祭神である玉邑比売命とする<ref>島根県神社庁, 2024</ref>
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とある。創祀年代は不詳。御井神社(罔象女命)、八幡宮(誉田別命)を合祀している。御井神社は、式内論社で、他の論社には佐太神社境内社がある。古社地には神井があるらしい。合祀されている御井神社の祭神・罔象女命と併せて、秋鹿姫二所大明神とも呼ばれていた。
  
== 歴史 ==
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「『出雲国風土記考證』には、「秋鹿社は、もと'''井神谷'''の宮崎にあったらしい」とある。・・・現地の人に聞いて現社地の東隣の井神谷に行くと、旧社地が残っており祠が祀ってあった。」(出雲神社探訪)
『出雲国風土記』には「浅山社」と記され、神祇官に所属しているとある。延喜式神名帳には「朝山神社」と記されている。
 
  
天和3年(1683年)の『出雲風土記鈔』には「神朝山宇比多伎大明神」、享保2年(1717年)の『雲陽誌』には「'''雲井瀧明神'''」と記されている。
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古事記では、大己貴命を治療したのは、蚶貝比売・蛤貝比売と言われている。
  
『出雲国風土記』に記載の神門郡朝山郷の山々、すなわち宇比多伎山・稲積山・陰山・稲山・桙山・冠山(俗に「朝山六神山」と呼ばれる)は、同書において大神の衣装、食、住、武器に見立てられており、先述した宇比多伎山は「大神の御屋なり」とされ、その周辺に大神の衣食武器などが配置されている。瀧音能之(『風土記から見る日本列島の古代史』平凡社〈平凡社新書 883〉、2018年、38-42頁)は、朝山郷を大神の生活空間、すなわち天の下造らしし大神の神殿が造られた鎮座地といってもよいように思われると述べ、オオクニヌシが現社地(出雲大社)に祀られる以前、まだ出雲の西部の神に限定されていた時代の信仰圏の中心は、実は朝山郷にあったのではないか、と説いている。
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== 近隣寺社 ==
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=== 廣峰神社 ===
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松江市秋鹿町井神にある神社。祭神不明。同所に天之神社、歳徳神の社殿もある<ref>[https://jinja.matsue-hana.com/ 廣峰神社・天之神社]、松江の神社(最終閲覧日:25-01-08)</ref>。
  
== 境内社 ==
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=== 高祖寺奥の院大日堂 ===
* '''星宮社(皇之命)'''
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「おもっつあん(大餅さん)」と呼ばれる伝統行事がある(松江市無形文化財指定)。
* 舟子神社(猿田彦命)
 
* 杉尾神社(豊受姫命)
 
* 朝山十九社(八百萬神)
 
  
== 祭礼 ==
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<blockquote>秋鹿の大日如来がばくちに負けた腹いせに松江市八雲町の星上寺から大餅を盗んで帰られた</blockquote>
例祭日は4月10日である。旧暦10月1日~10日には神在祭が行われ、ここに集まった神々は11日に出雲大社に向かうという[http://www2.pref.shimane.jp/kodai/asayamada.html]。
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という伝説に因んだ行事である。平安初期から伝わったものと推定される御頭行事で、古式をよく残す。これは正月に大きな餅をついて、院大日堂に奉納する、という行事である<ref>[https://www.kankou-matsue.jp/event_calendar/event_list/418/419 大日堂御頭行事 “おもっつぁん” (だいにちどうおんとうぎょうじ おもっつぁん)]、水の都・松江(最終閲覧日:25-01-08)</ref>
  
 
== 私的考察 ==
 
== 私的考察 ==
祭神は「雲井瀧明神」とあり、境内内に星宮社(皇之命)があることから、星女神であり、かつ水神だったのではないか、と推察する。神戸川の上流に[[肥長比売]]を祀る富能加神社があるが、富能加比売命を祀るのは星神社であって、富能加比売命と[[肥長比売]]は星女神と考えられる。おそらく、富能加比売命、[[肥長比売]]、'''眞玉著玉之邑日女命'''は同じ星女神であって「'''眞玉'''」とは星のことなのではないだろうか。
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秋鹿神社は元は「井神谷」に祀られていたとの伝承があり、女神は水神で良いと考える。近隣の廣峰神社と院大日堂も関連するかもしれないと考える。星神山信仰と関連するのであれば、天之神社の「天之神」も星神であったかもしれないと思う。「ばくちに負けた腹いせ」というのが面白いが、祀られていた神に「'''何か霊的な食物を盗んだ'''」という神話がかつてはあったのかもしれないと思う。インド神話の[[ハヌマーン]]やギリシア神話の[[ヘルメース]]のような神の存在が考えられるが、詳細は不明である。全体から見て、神々を祀ったのは物部氏系の人々であろうかと考える。
  
この女神が特定の星や星座に比定できるのか、漠然と「星」を指すのかは判然としない。「雲井瀧」という名からは「天の川」が連想されるように思う。一方「朝」ということを強調すれば「明けの明星」でも良いように思うからである。
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食物に関する「盗み」としては、長野市信州新町に伝わる「[[キジも鳴かずば]]」の父親に関する伝承がある。長野市は川中島に'''氷銫斗賣'''(ひがのとめ)という女神の名が残っているので、おそらく、これは秋鹿日女命(あひかひめのみこと)に類する女神で、関連性はあると考える。
  
境内内に星宮社があることからも、星神信仰があったことが分かる。「'''皇之命'''」とは夫の大国主命のことなのではないだろうか。
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また、星上山の[[那富乃夜神社]]の方が物部氏系の神社の色彩は強いように思う。
  
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE 朝山神社](最終閲覧日:24-12-27)
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* [https://genbu.net/data/izumo/aika_title.htm 秋鹿神社]、玄松子(最終閲覧日:25-01-06)
** 関和彦『『出雲国風土記』註論』 2006年 明石書店 ISBN 4-7503-2376-4
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* [https://jinja.matsue-hana.com/jinja/hiromine.html 廣峰神社・天之神社]、松江の神社(最終閲覧日:25-01-06)
** 白井永二・土岐昌訓編『新装普及版 神社辞典』 1997年 東京堂出版 ISBN 4-490-10474-X
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
* [[阿陀加夜努志多伎吉比売]]:娘神とされる。
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* [[井氷鹿]]:同じ女神ではないだろうか。
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* [[那富乃夜神社]]:星上寺の近傍にあり、関連する神社。
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* [[キジも鳴かずば]]:「盗む神」が登場する。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
  
{{DEFAULTSORT:あさやましんしや}}
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{{DEFAULTSORT:あいかしんしや}}
 
[[Category:日本神話]]
 
[[Category:日本神話]]
 
[[Category:神社]]
 
[[Category:神社]]
[[Category:星神]]
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[[Category:鹿神]]
[[Category:水神]]
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[[Category:医薬神]]
[[Category:田子]]
 
[[Category:玉依姫]]
 

2025年1月9日 (木) 19:50時点における最新版

秋鹿神社(あいかじんじゃ)は島根県松江市秋鹿にある神社である。宍道湖の北、秋鹿川沿いにある。

『出雲国風土記』所載だが、神祇官不在社で、『風土記』の最後に記されている。秋鹿郡名の由来である神社だが、風土記の頃には、すでに小社となっていたと思われる。

概要[編集]

秋鹿日女命(あひかひめのみこと)。境内案内には、

創立年紀は不詳であるが、風土記所載の古社であり、記に依れば、秋鹿と名つくる所以は、郡家の正北に秋鹿日女命坐す故に秋鹿と云ふ。依って該社、再興或いは修復等の節には、郡中より現米七俵を寄附する例あり。然るに、寛保三年度より、其例絶ん、明治五年三月、村社に列せられる。
秋鹿日女命は、天勅を蒙り、大己貴命の火傷を治療給はん為に此國に降り給ひて、其任を果し給ひ、御功績甚だ顕著であり、此の御功績ぞ即ち、大己貴命の遂に天下蒼生の為、大に利養厚生の道を開き給へし一の原動力と成れり。此の御縁由に依って永く此地に鎮座し給ふなり。

とある。創祀年代は不詳。御井神社(罔象女命)、八幡宮(誉田別命)を合祀している。御井神社は、式内論社で、他の論社には佐太神社境内社がある。古社地には神井があるらしい。合祀されている御井神社の祭神・罔象女命と併せて、秋鹿姫二所大明神とも呼ばれていた。

「『出雲国風土記考證』には、「秋鹿社は、もと井神谷の宮崎にあったらしい」とある。・・・現地の人に聞いて現社地の東隣の井神谷に行くと、旧社地が残っており祠が祀ってあった。」(出雲神社探訪)

古事記では、大己貴命を治療したのは、蚶貝比売・蛤貝比売と言われている。

近隣寺社[編集]

廣峰神社[編集]

松江市秋鹿町井神にある神社。祭神不明。同所に天之神社、歳徳神の社殿もある[1]

高祖寺奥の院大日堂[編集]

「おもっつあん(大餅さん)」と呼ばれる伝統行事がある(松江市無形文化財指定)。

秋鹿の大日如来がばくちに負けた腹いせに松江市八雲町の星上寺から大餅を盗んで帰られた

という伝説に因んだ行事である。平安初期から伝わったものと推定される御頭行事で、古式をよく残す。これは正月に大きな餅をついて、院大日堂に奉納する、という行事である[2]

私的考察[編集]

秋鹿神社は元は「井神谷」に祀られていたとの伝承があり、女神は水神で良いと考える。近隣の廣峰神社と院大日堂も関連するかもしれないと考える。星神山信仰と関連するのであれば、天之神社の「天之神」も星神であったかもしれないと思う。「ばくちに負けた腹いせ」というのが面白いが、祀られていた神に「何か霊的な食物を盗んだ」という神話がかつてはあったのかもしれないと思う。インド神話のハヌマーンやギリシア神話のヘルメースのような神の存在が考えられるが、詳細は不明である。全体から見て、神々を祀ったのは物部氏系の人々であろうかと考える。

食物に関する「盗み」としては、長野市信州新町に伝わる「キジも鳴かずば」の父親に関する伝承がある。長野市は川中島に氷銫斗賣(ひがのとめ)という女神の名が残っているので、おそらく、これは秋鹿日女命(あひかひめのみこと)に類する女神で、関連性はあると考える。

また、星上山の那富乃夜神社の方が物部氏系の神社の色彩は強いように思う。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 廣峰神社・天之神社、松江の神社(最終閲覧日:25-01-08)
  2. 大日堂御頭行事 “おもっつぁん” (だいにちどうおんとうぎょうじ おもっつぁん)、水の都・松江(最終閲覧日:25-01-08)