那富乃夜神社
那富乃夜神社(なふのやじんじゃ)は島根県島根県松江市八雲町東岩坂にある神社。星上山(ほしかみやま)の山頂にあり、近隣に星上寺がある。
出雲風土記意宇郡に記載された那富乃夜社(なほのやのやしろ)である。主祭神:経津主命、武甕槌命、星神加々背尾命。配祀神:誉田別命、姫大神、稲倉魂大神、妙見社。境内社:稲荷神社、穀木(かじき)神社。
穀木(かじき)神社の祭神には「天日高」と見える[1]。天津日高日子番能邇邇芸能命(あまつひこひこほのににぎのみこと)あるいは、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと)のことか。
概要[編集]
『出雲国風土記』所載だが、創立年代不詳で、式内社ではない。天正年間の兵火に依り記録神宝皆無となる。永禄、その後別所地内又境外末社等合祀して現社殿を建立したものである。(神国島根)
「天神宮 星上山にあり、妙見八幡を祭る、貞享年中建立の梁札今なお存せり」(雲陽誌)
「星上山の神社を『那富乃夜神社』とした早い例は江戸末の『出雲神社巡拝記』である。どのような根拠でそのような比定がなされたのかは不明である。」(出雲国風土記註論[2])
とのことである。
由緒[編集]
境内内の由緒書きより
星神天神宮
挪冨乃夜(ナフノヤ)神社(出雲風土記の社一二五〇年前)
祭神 星神香々背男命(カカセオノミコト)
外、妙見神 八幡宮 稲荷神社
この山は海抜四五四米の高山で、その昔星の神(病気六三祭又日頃星のまわりが良い悪いという星まわりの守護神)さまが、この池に天降り鎮まりました霊場です。星神山と言うのもこれから来たのです。近郷近村の人々の悪病を除き、延命長寿幸福を祈る善男善女は、この星神山を信仰していました。神社後方約一〇〇米下に星の池があります。この池は古くは三つあったが、今は一つ残っています。この池の水が濁る時は、その年は水害の年と古くより伝えられ、神聖な池とされています。星神さまの霊験(オカゲ)は数多く人々の幸福の導き神として鎮まっています。
大餅祭(オモチサイ)一月十七日氏子を始め、近郊より各々大餅(一五〇キログラム)を作り丸太棒(直径一八センチ 長さ五メートル)二本ではさみこの社にかつぎ上げそなえたが、明治中頃より餅も十五キログラム重ね餅としこしき台にのせてそなえるようになった。七月十六日夜古くは歌合せの奉納祭があったが、今は当時の石碑がなごりをとどめている[3]。
その他[編集]
星上寺[編集]
星上寺は現在曹洞宗のお寺である。星上寺はもともと真言宗に属していて、開創は聖武天皇のころ730年というが確証はない。本尊は十一面観音(坐像)で僧行基の作(雲陽誌)といわれている[4]。星上寺から約100m東へ行ったところに那富乃夜神社。星上寺から100m北方面へ下ると星神池がある[5]。
星の池[編集]
由来:
その昔、宍道湖、中海に面した星神山に、夜は霊火が出ることがあったと言う。星上の池に空の星がうつり、日本海航海者はその星上の池の星のうつりを目標にしたと言われ、夜の航海者にとって絶好の目標物にされてきた。科学者の言によると、山陰地方独特の気流現象の時は、空の月が、その池に反射することにより、霊火の出ることもあると言われている。月を星と見るのも古代航海者らしい見方であろう。また、この池の清濁によって吉凶が占われ、古くから神聖な池とされてきた。
「出雲観音記」によると、第四十五代聖武天皇の時代、天平二年(七三〇年)十月、揖屋浦の漁夫が中海に出漁中、俄に暴風にあって方向を失い、漂いながら夜を迎えた。闇夜に方向も分からず、一心に大慈大悲の観世音を祈った。すると、星光が星上山の上に出て暗夜を照らし、一点の星を目あてに漕ぎ続け、無事に揖屋港へ帰り着くことができた。
翌日漁夫は、これは観世音のお導きと感じ、この山を登り、山谷を尋ね、山頂より二百米下った所に小さな池を見つけた。水面を眺めると、十一面観世音の御影がうつり、岸壁の上にお立ちになっていた。漁夫は感涙にむせび、仮堂を造って安置し、報恩感謝の誠を捧げ、その御徳を広く四方へ伝えたという。
この池が星の池であり、後世の人々は、星の池の霊泉を汲んでは無病息災の御利益にあずかっている。(岩崎先生の話)
この十一面観世音菩薩=妙見神=北斗七星の事だそうだ[6]。
私的考察[編集]
管理人は島根県には行ったことがないので、地図を眺めながらの感想だが、出雲は宍道湖の南に星神信仰が目立つように思う。そして、那富乃夜神社はおそらく当初期から祭神が入れ替わっているように感じる。
これについては「星の池」の霊性に理由がある。出雲では「池の清濁によって吉凶が占われた」とあるが、丹後よりも東では「雨乞いの際に池の底をつついて水を濁す」という祭祀が目立つ。これは、池を女神に見立てた、一種の「聖婚儀礼(ヒエロス・ガモス)」と考える。池を女神として、そこを竿でつついて「水を濁す」というのは男女の交わりを指すのではないだろうか。とすれば「池の清濁」に関する祭祀や思想は広く「池の神が女神である。」という暗黙の了解の上に成り立っているものと解せるのではないか。ともかく「池の水が濁る」とは、良くも悪くも「水が多くなる」兆候のようである。
丹後であれば、このような池には「天女」たちが降りてくる、という伝承がありそうである。出雲では「星神」が降りてくる、とされている。これは丹後における「天女」とは、出雲における北斗女神達のことを指す、といえるのではないか。
また、「星の池」の霊性には「無病息災」という性質があり、これは池が単なる「水源」ではないことを意味する。石上神宮には「布瑠の言」と呼ばれ蘇生さえも行うという祝詞が伝わっている。この祝詞の象徴は十種神宝というアイテムで、その神霊は布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)だと言われている。これは神宮の脇を流れる布留川の精霊神も兼ねると思われる。石上神宮は古代、女性が神職を務めたとされる例があり、古くは布留御魂を鎮魂するために女巫を用いた、とのことなので布留御魂大神とは本来女神だったのではないか、と管理人は考える。布留川の女神にも「無病息災」に通じる性質があったのであれば、「星の池」の神霊も女神だったのではないだろうか。那富乃夜神社には経津主命も祀られており、物部氏系の氏族の痕跡も感じられるように思う。また、境内社の穀木神社も、出雲であれば本来は天御梶日女命が祭神であってもおかしくないのではないかと考える。
十種神宝は『先代旧事本紀』に「天神御祖(あまつかみみおや)から授けられた」とされている。天神御祖とは
「昔我が天神(あまのかみ)高皇産霊尊・大日霊尊、此の豊葦原瑞穂国を挙(のたまひあ)げて、我が天祖(アマツミヲヤ)彦火瓊々杵尊に授(さづ)けたまへり」(出典:日本書紀(720)神武即位前(熱田本訓))[7]
とあり、高皇産霊尊、天照大御神といった皇祖神のことを指す。その霊力が女神に属するものであれば、これは天照大御神の霊力ともいえ、布留御魂大神とは「天照大御神であり、かつ水神である女神」ということになると考える。これが「星の池」の神霊と性質が一致するのであれば、この女神は更に
天照大御神であり、かつ星神(北斗女神)であり、かつ水神である女神
ということになるのではないだろうか。出雲の内でいえば、星神社(島根県安来市清水町)の富能加比売命と近似した女神と考える。那富乃夜神社の本来の祭神はこのような女神だったのではないだろうか。
参考文献[編集]
- 那富乃夜神社、松江の神社(最終閲覧日:25-01-06)
- 星上寺、日本の美しい心・仏壇の原田(最終閲覧日:25-01-08)
- 那富乃夜(なほのや)神社、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)
- Wikipedia:十種神宝(最終閲覧日:25-01-09)
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 那富乃夜(なほのや)神社、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)
- ↑ 那富乃夜神社、松江の神社(最終閲覧日:25-01-08)
- ↑ 那富乃夜(なほのや)神社、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)
- ↑ 星上寺、日本の美しい心・仏壇の原田(最終閲覧日:25-01-08)
- ↑ 那富乃夜(なほのや)神社、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)
- ↑ 那富乃夜(なほのや)神社、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)
- ↑ 天つ御祖、コトバンク(最終閲覧日:25-01-09)