「那富乃夜神社」の版間の差分

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=== 星の池 ===
 
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<blockquote>その昔、宍道湖、中海に面した星神山に、夜は霊火が出ることがあったと言う。星上の池に空の星がうつり、日本海航海者はその星上の池の星のうつりを目標にしたと言われ、夜の航海者にとって絶好の目標物にされてきた。科学者の言によると、山陰地方独特の気流現象の時は、空の月が、その池に反射することにより、霊火の出ることもあると言われている。月を星と見るのも古代航海者らしい見方であろう。また、この池の清濁によって吉凶が占われ、古くから神聖な池とされてきた。<br>「出雲観音記」によると、第四十五代聖武天皇の時代、天平二年(七三〇年)十月、揖屋浦の漁夫が中海に出漁中、俄に暴風にあって方向を失い、漂いながら夜を迎えた。闇夜に方向も分からず、一心に大慈大悲の観世音を祈った。<ref>[https://flat-shrine-shimane.localinfo.jp/posts/32584972/ 那富乃夜(なほのや)神社]、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)</ref></blockquote>
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<blockquote>その昔、宍道湖、中海に面した星神山に、夜は霊火が出ることがあったと言う。星上の池に空の星がうつり、日本海航海者はその星上の池の星のうつりを目標にしたと言われ、夜の航海者にとって絶好の目標物にされてきた。科学者の言によると、山陰地方独特の気流現象の時は、空の月が、その池に反射することにより、霊火の出ることもあると言われている。月を星と見るのも古代航海者らしい見方であろう。また、この池の清濁によって吉凶が占われ、古くから神聖な池とされてきた。<br>「出雲観音記」によると、第四十五代聖武天皇の時代、天平二年(七三〇年)十月、揖屋浦の漁夫が中海に出漁中、俄に暴風にあって方向を失い、漂いながら夜を迎えた。闇夜に方向も分からず、一心に大慈大悲の観世音を祈った。すると、星光が星上山の上に出て暗夜を照らし、一点の星を目あてに漕ぎ続け、無事に揖屋港へ帰り着くことができた。<ref>[https://flat-shrine-shimane.localinfo.jp/posts/32584972/ 那富乃夜(なほのや)神社]、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)</ref></blockquote>
  
 
== 私的考察 ==
 
== 私的考察 ==

2025年1月8日 (水) 17:31時点における版

那富乃夜神社(なふのやじんじゃ)は島根県島根県松江市八雲町東岩坂にある神社。星上山(ほしかみやま)の山頂にあり、近隣に星上寺がある。

出雲風土記に記載された那富乃夜社(なほのやのやしろ)である。主祭神:経津主命、武甕槌命、星神加々背尾命。配祀神:誉田別命、姫大神、稲倉魂大神、妙見社。境内社:稲荷神社、穀木(かじき)神社。

概要

『出雲国風土記』所載だが、創立年代不詳で、式内社ではない。天正年間の兵火に依り記録神宝皆無となる。永禄、その後別所地内又境外末社等合祀して現社殿を建立したものである。(神国島根)

「天神宮 星上山にあり、妙見八幡を祭る、貞享年中建立の梁札今なお存せり」(雲陽誌)

「星上山の神社を『那富乃夜神社』とした早い例は江戸末の『出雲神社巡拝記』である。どのような根拠でそのような比定がなされたのかは不明である。」(出雲国風土記註論[1]

とのことである。

由緒

境内内の由緒書きより

星神天神宮
挪冨乃夜(ナフノヤ)神社(出雲風土記の社一二五〇年前)
祭神 星神香々背男命(カカセオノミコト)
外、妙見神 八幡宮 稲荷神社
この山は海抜四五四米の高山で、その昔星の神(病気六三祭又日頃星のまわりが良い悪いという星まわりの守護神)さまが、この池に天降り鎮まりました霊場です。星神山と言うのもこれから来たのです。近郷近村の人々の悪病を除き、延命長寿幸福を祈る善男善女は、この星神山を信仰していました。神社後方約一〇〇米下に星の池があります。この池は古くは三つあったが、今は一つ残っています。この池の水が濁る時は、その年は水害の年と古くより伝えられ、神聖な池とされています。星神さまの霊験(オカゲ)は数多く人々の幸福の導き神として鎮まっています。
大餅祭(オモチサイ)一月十七日氏子を始め、近郊より各々大餅(一五〇キログラム)を作り丸太棒(直径一八センチ 長さ五メートル)二本ではさみこの社にかつぎ上げそなえたが、明治中頃より餅も十五キログラム重ね餅としこしき台にのせてそなえるようになった。七月十六日夜古くは歌合せの奉納祭があったが、今は当時の石碑がなごりをとどめている[2]

その他

星上寺

星上寺は現在曹洞宗のお寺である。星上寺はもともと真言宗に属していて、開創は聖武天皇のころ730年というが確証はない。本尊は十一面観音(坐像)で僧行基の作(雲陽誌)といわれている[3]。星上寺から約100m東へ行ったところに那富乃夜神社。星上寺から100m北方面へ下ると星神池がある[4]

星の池

由来:

その昔、宍道湖、中海に面した星神山に、夜は霊火が出ることがあったと言う。星上の池に空の星がうつり、日本海航海者はその星上の池の星のうつりを目標にしたと言われ、夜の航海者にとって絶好の目標物にされてきた。科学者の言によると、山陰地方独特の気流現象の時は、空の月が、その池に反射することにより、霊火の出ることもあると言われている。月を星と見るのも古代航海者らしい見方であろう。また、この池の清濁によって吉凶が占われ、古くから神聖な池とされてきた。
「出雲観音記」によると、第四十五代聖武天皇の時代、天平二年(七三〇年)十月、揖屋浦の漁夫が中海に出漁中、俄に暴風にあって方向を失い、漂いながら夜を迎えた。闇夜に方向も分からず、一心に大慈大悲の観世音を祈った。すると、星光が星上山の上に出て暗夜を照らし、一点の星を目あてに漕ぎ続け、無事に揖屋港へ帰り着くことができた。[5]

私的考察

参考文献

関連項目

脚注

  1. 那富乃夜神社、松江の神社(最終閲覧日:25-01-08)
  2. 那富乃夜(なほのや)神社、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)
  3. 星上寺、日本の美しい心・仏壇の原田(最終閲覧日:25-01-08)
  4. 那富乃夜(なほのや)神社、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)
  5. 那富乃夜(なほのや)神社、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)