「県主」の版間の差分
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↑ 伝承地、うだ記紀・万葉(最終閲覧日:25-01-01)
↑ 『日本書紀』神武天皇元年1月1日条
↑ 3.0 3.1 『日本書紀』神武天皇2年2月2日条
↑ Wikipedia:志貴県主神社(最終閲覧日:25-01-01)
↑ Wikipedia:弟磯城(最終閲覧日:25-01-01)
↑ 『日本書紀』神武天皇元年1月1日条
↑ Wikipedia:志貴県主神社(最終閲覧日:25-01-01)
↑ Wikipedia:弟磯城(最終閲覧日:25-01-01)
↑ Wikipedia:宇治上神社(最終閲覧日:25-01-01)
↑ 『日本の神々』宇治上神社・宇治神社項。
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2025年1月1日 (水) 12:15時点における版
県主(あがたぬし)は、律令制が導入される以前のヤマト王権の職種・姓(かばね)の一つである。
県主は、国造(くにのみやつこ)や伴造(とものみやつこ)の「ミヤツコ」よりも古い「ヌシ」の称号をもち、名代・子代の制よりも古めかしい奉仕形態をとることから、3 - 4世紀(古墳時代初期)に成立したと考えられているテンプレート:Refnest。「国」が日本氏姓制古代国家の行政目的で作られた行政制度であるのに対し、「県」は発生と発展がもっと自然の性格をもつテンプレート:Sfn。
現在の「県」という言葉に残っているように「県(あがた)」とは古代の地方の行政区分であり、「県主」(あがたぬし)とは地方行政の長官のことを指したのであろう。後の「国造」と同じで地方の有力豪族の首長が任命されたものと思われる。
県主の一覧(あがたぬしのいちらん)は県主の一覧である。
畿内
倭(大和)
- 菟田県主:兄猾は、神武天皇に逆らい、亡くなってしまいますが、弟猾は、神武天皇に従い、やがて、菟田県主となった。弟猾は主水部(もひとりべ)の祖ともなった。宇太水分神社。八咫烏の伝承は、もともと宇陀の在地氏族に伝承されていた[1]。賀茂系・日置氏。
- 春日県主
- 猛田県主
- 曾布県主
- 山辺県主
- 十市県主
- 高市県主
- 志貴県主:志貴県主神社:大阪府藤井寺市にある神社。祭神:神八井耳命。ただし、『河内名所図会』では祭神を「磯城県主黒速」としている。 磐余彦は神武天皇として即位した[2]。翌年の2月2日、恩賞を定める際に、弟磯城は「磯城県主」となった[3][4][5]。多氏系。
- 葛木県主
凡河内(河内・和泉・摂津)
- 三野県主
- 茅渟県主
- 猪名県主
- 志幾県主:大阪府藤井寺市にある神社。祭神:神八井耳命。ただし、『河内名所図会』では祭神を「磯城県主黒速」としている。 磐余彦は神武天皇として即位した[6]。翌年の2月2日、恩賞を定める際に、弟磯城は「磯城県主」となった[3][7][8]。多氏系。
- 葛木県主
- 河内県主
- 紺口県主
- 三嶋県主
山背(山城)
- 栗隈県主(くりくま) - 宇治市大久保付近の地名が栗隈の名を含む。木津川(久津川)の付近にある。宇治上神社:菟道稚郎子命、仁徳天皇などを祀る。宇治上神社の境内には「天降石」・「岩神さん」と呼ばれる巨石がある[9][10]。
- 鴨県主