「丹生都比売神」の版間の差分

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動
(ページの作成:「'''丹生都比売神'''(にうつひめかみ、にぶつひめかみ)は、日本神話に登場する神。 == 概要 == : 丹生都比売神の性格について…」)
 
4行目: 4行目:
 
: 丹生都比売神の性格については大きく分けて2説がある<ref name="神々">『日本の神々』丹生都比売神社項。</ref>。
 
: 丹生都比売神の性格については大きく分けて2説がある<ref name="神々">『日本の神々』丹生都比売神社項。</ref>。
 
: 1つは水神とみるもので、その根拠として天野の地が紀の川の一水源地であること、空海が丹生都比売神社から譲り受けたという神領は有田川・貴志川・丹生川・鞆淵川の流域のほぼ全域を占めていたこと、関係する丹生川上神社は水神信仰であること、東大寺のお水取りで水を送る遠敷明神(おにゅうみょうじん;若狭彦神社)の存在、御田祭などの祭事における性格等が挙げられる<ref name="神々"/>。
 
: 1つは水神とみるもので、その根拠として天野の地が紀の川の一水源地であること、空海が丹生都比売神社から譲り受けたという神領は有田川・貴志川・丹生川・鞆淵川の流域のほぼ全域を占めていたこと、関係する丹生川上神社は水神信仰であること、東大寺のお水取りで水を送る遠敷明神(おにゅうみょうじん;若狭彦神社)の存在、御田祭などの祭事における性格等が挙げられる<ref name="神々"/>。
: もう1つは、「[[丹]]」すなわち朱砂([[辰砂]]:朱色の[[硫化水銀]])の採掘に携わる人々によって祀られたという説である<ref name="神々"/>。後述の『播磨国風土記』逸文にも「赤土」の記載が見えるほか、全国にある「丹生」と名のつく土地・神社は、[[水銀]]の採掘に携わった氏族(丹生氏)と深い関係にあることが明らかとなっている<ref name="神々"/><ref>「丹生氏」項({{Cite book ja-jp|others=坂本 太郎・平野 邦雄(監修)|year=2010|title=日本古代氏族人名辞典|publisher=吉川弘文館|edition=普及版|isbn=9784642014588}}、所収)</ref>。これらに対する一説として、丹生一族が水銀採掘で一大勢力を築いたが、その枯渇に際して天野や三谷で帰農、丹生都比売神社も水神信仰に変化したとする説もある<ref name="神々"/>。
+
: もう1つは、「丹」すなわち朱砂(辰砂:朱色の硫化水銀)の採掘に携わる人々によって祀られたという説である<ref name="神々"/>。後述の『播磨国風土記』逸文にも「赤土」の記載が見えるほか、全国にある「丹生」と名のつく土地・神社は、水銀の採掘に携わった氏族(丹生氏)と深い関係にあることが明らかとなっている<ref name="神々"/><ref>「丹生氏」項(坂本 太郎・平野 邦雄(監修), 2010, 日本古代氏族人名辞典, 吉川弘文館, 普及版, isbn:9784642014588、所収)</ref>。これらに対する一説として、丹生一族が水銀採掘で一大勢力を築いたが、その枯渇に際して天野や三谷で帰農、丹生都比売神社も水神信仰に変化したとする説もある<ref name="神々"/>。
: なお『丹生大明神告門』<ref group="注" name="丹生大明神告門"/>では、丹生都比売神を[[イザナギ|伊佐奈支命]]・[[イザナミ|伊佐奈美命]]の子とする。また[[稚日女尊]]と同一神とする説もある。また、[[大国主神]]の御子神とする説もある。
+
: なお『丹生大明神告門』<ref group="注" name="丹生大明神告門"/>では、丹生都比売神を[[伊邪那岐命|伊佐奈支命]]・[[伊邪那美命|伊佐奈美命]]の子とする。また[[稚日女尊]]と同一神とする説もある。また、大国主神の御子神とする説もある。
; 高野御子神
 
: 高野御子神は、その神名が示すように丹生都比売神の御子神といわれる<ref name="地名"/>。しかし後述のように、この神が関わった高野山開創伝承は、丹生氏に伝わる「神の贄のため二頭の犬を連れた狩り人の伝承」に由来すると見られている。そのため、本来は「祀られる神(丹生都比売神)」と「奉祀する神(高野御子神)」の関係であったと推測される<ref name="地名"/>。なお、文献では古くは『[[日本紀略]]』[[延喜]]6年([[906年]])条に記載が見える。
 
 
 
『延喜式』神名帳([[927年]]成立)の記載では祭神は1座。その後に上記2座になり、[[平安時代]]末頃からは4座になったと見られている<ref name="地名"/>。[[仁平]]元年([[1151年]])の文書に「第三神宮」の記載があるほか<ref name="地名"/>、[[正応]]6年([[1293年]])には天野四所明神の「三大神号蟻通神」の神託が見え、第三殿に「蟻通神」が祀られていたことがわかる<ref name="地名"/>。祭神の増加に関して、『高野春秋』によれば[[承元]]2年([[1208年]])10月に[[北条政子]]の援助で[[行勝 (木食)|行勝]]上人と天野祝により、[[気比神宮]]の大食比売大神<ref group="注" name="氣比神宮"/>、[[厳島神社]]の市杵島比売大神が勧請されたという<ref name="地名"/>。年代は史料間で食い違うものの、現在の祭神はこれに基づいている。
 
  
 
{{デフォルトソート:にうつひめかみ}}
 
{{デフォルトソート:にうつひめかみ}}
 
[[Category:日本神話]]
 
[[Category:日本神話]]
 
[[Category:水神]]
 
[[Category:水神]]

2024年12月20日 (金) 14:27時点における版

丹生都比売神(にうつひめかみ、にぶつひめかみ)は、日本神話に登場する神。

概要

丹生都比売神の性格については大きく分けて2説がある[1]
1つは水神とみるもので、その根拠として天野の地が紀の川の一水源地であること、空海が丹生都比売神社から譲り受けたという神領は有田川・貴志川・丹生川・鞆淵川の流域のほぼ全域を占めていたこと、関係する丹生川上神社は水神信仰であること、東大寺のお水取りで水を送る遠敷明神(おにゅうみょうじん;若狭彦神社)の存在、御田祭などの祭事における性格等が挙げられる[1]
もう1つは、「丹」すなわち朱砂(辰砂:朱色の硫化水銀)の採掘に携わる人々によって祀られたという説である[1]。後述の『播磨国風土記』逸文にも「赤土」の記載が見えるほか、全国にある「丹生」と名のつく土地・神社は、水銀の採掘に携わった氏族(丹生氏)と深い関係にあることが明らかとなっている[1][2]。これらに対する一説として、丹生一族が水銀採掘で一大勢力を築いたが、その枯渇に際して天野や三谷で帰農、丹生都比売神社も水神信仰に変化したとする説もある[1]
なお『丹生大明神告門』[注 1]では、丹生都比売神を伊佐奈支命伊佐奈美命の子とする。また稚日女尊と同一神とする説もある。また、大国主神の御子神とする説もある。
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 『日本の神々』丹生都比売神社項。
  2. 「丹生氏」項(坂本 太郎・平野 邦雄(監修), 2010, 日本古代氏族人名辞典, 吉川弘文館, 普及版, isbn:9784642014588、所収)

  3. 引用エラー: 「注」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="注"/> タグが見つからない、または閉じる </ref> タグがありません