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小泉小太郎にまつわる民話の大要が1922年(大正11年)発行の『小県郡史 余篇』に収録されているので、以下に要約して紹介する<ref name="chiisagata_46-47">『小県郡史 余篇』NDLDC:965787/36 46 - 47ページ。</ref>。
:[[西塩田村]]にある鉄城山の山頂に[[寺]]があり、そこへ毎晩のように通う一人の[[女性]]がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った寺の[[西塩田村にある鉄城山の山頂に寺があり、そこへ毎晩のように通う一人の女性がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った寺の'''住職]]は、彼女の[[衣類|衣服]]に[[糸]]を付けた[[針]]を刺しておいた。翌朝、住職が糸をたどって行き着いた先は、[[川]]の上流にある鞍淵の[[洞窟]]であった。中をのぞくと、[[赤ちゃん|赤子]]を産もうと苦しむ[[ヘビ|大蛇]]の姿があった。住職は驚いて逃げ出し、[[出産]]を終えた大蛇も正体が知られたことを恥じて死んでしまう。'''は、彼女の衣服に糸を付けた針を'''刺して'''おいた。翌朝、住職が糸をたどって行き着いた先は、川の上流にある鞍淵の洞窟であった。中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があった。住職は驚いて'''逃げ出し'''、出産を終えた大蛇も正体が知られたことを恥じて死んでしまう。:赤子は小泉村の[[おばあさん|老婆]]に拾われ、赤子は小泉村の老婆に拾われ、'''小太郎'''という[[名前]]で育てられた。[[身長]]は小さいものの、たくましい体に成長した小太郎であったが、食べては遊んでばかりで仕事をしたことがない。14、5歳になった頃、老婆から仕事を手伝うよう促された小太郎は、小泉山へ[[薪]]を取りに出かけることにした。という名前で育てられた。身長は小さいものの、たくましい体に成長した小太郎であったが、食べては遊んでばかりで'''仕事をしたことがない'''。14、5歳になった頃、老婆から仕事を手伝うよう促された小太郎は、小泉山へ薪を取りに出かけることにした。:夕方、小太郎は[[ハギ|萩]]の束を2つほど持ち帰った。これは山じゅうの萩を束ねたものだから、使うときは1本ずつ抜き取るようにして、決して結びを解いてはいけない、と小太郎は老婆に伝えたが、たった1日でそのようなことができるはずがないと思った老婆は結びを解いてしまう。すると、束がたちまち膨れあがり、家も老婆も押しつぶしてしまった。夕方、小太郎は萩の束を2つほど持ち帰った。これは山じゅうの萩を束ねたものだから、使うときは1本ずつ抜き取るようにして、決して結びを解いてはいけない、と小太郎は老婆に伝えたが、たった1日でそのようなことができるはずがないと思った老婆は結びを解いてしまう。すると、束がたちまち膨れあがり、'''家も老婆も押しつぶしてしまった'''。
補足として以下に何点か記す。
* 似たような伝承は[[日本]]の各地に見られ、それらの根幹は[[古事記]]にある[[大物主#勢夜陀多良比売との出逢い|三輪山伝説]]であると考えられている似たような伝承は日本の各地に見られ、それらの根幹は古事記にある三輪山伝説であると考えられている<ref name="chiisagata_46-47" />。* 『小県郡史 余篇』によると、寺があるとされる鉄城山は殿城山またはデッチョウ山とも呼ばれ、その支峰が独鈷山であると記されている<ref>『小県郡史 余篇』[{{NDLDC|余篇』NDLDC:965787/25}} 24 - 25ページ]。25ページ。</ref>。のちに再編された作品の中では[[独鈷山]]という名前に置き換えられている。のちに再編された作品の中では独鈷山という名前に置き換えられている<ref name="shinano">『日本の民話 1 信濃の民話』175 - 183ページ。</ref>。* [[産川]]という川の名前は、大蛇が赤子を産んだという逸話に由来する産川という川の名前は、大蛇が赤子を産んだという逸話に由来する<ref name="chiisagata_46-47" />。また、産川の流域に散らばる[沸石は蛇骨石と呼ばれ、それらは死んだ大蛇の[沸石]]は蛇骨石と呼ばれ、それらは死んだ大蛇の[[遺骨]]であるという遺骨であるという<ref name="chiisagata_46-47" />。
* 小泉山は、その山じゅうの萩を小太郎が刈り尽くしたため、以来1本も萩が生えなくなったという<ref name="chiisagata_46-47" />。とは言え、現代では萩の繁茂が見られるようである<ref name="chiisagata_46-47" />。
* 小太郎とその子孫は当地に永住したが、彼らの横腹には蛇紋のような斑点があるという<ref name="chiisagata_46-47" />。
* 松谷みよ子は[[塩田平]]を訪れた際に小泉小太郎の民話を耳にしている松谷みよ子は塩田平を訪れた際に小泉小太郎の民話を耳にしている<ref name="minwa_37-38">『講談社現代新書 370 民話の世界』37 - 38ページ。</ref>。内容は『小県郡史 余篇』にあるものとほぼ同じものであるが、小太郎を出産後に死んだ大蛇の死因は[[鉄]]の[[毒]]'''鉄の毒'''によるものであったという<ref name="minwa_37-38" />。松谷は小太郎に抱いた怠け者という印象から、[[物くさ太郎]]や[[三年寝太郎]]、[[三年寝太郎#厚狭の寝太郎|厚狭の寝太郎]]といった物語を連想し、小太郎も将来大きな事をやってのけるのではないかと考えたが、当地の語り手からは松谷が期待する内容の逸話を得ることはできなかった三年寝太郎、厚狭の寝太郎といった物語を連想し、小太郎も将来大きな事をやってのけるのではないかと考えたが、当地の語り手からは松谷が期待する内容の逸話を得ることはできなかった<ref name="minwa_37-38" />。
== 安曇野地域の泉小太郎 ==
長野県安曇野に伝わる民話に'''泉小太郎'''(いずみこたろう、日光泉小太郎、泉小次郎とも)がある。かつて安曇野を含む[[松本盆地]]は大きな[[湖]]で、泉小太郎が[[陸]]地に開拓したというものである(いずみこたろう、日光泉小太郎、泉小次郎とも)がある。かつて安曇野を含む松本盆地は'''大きな湖'''で、泉小太郎が陸地に開拓したというものである<ref name="chiisagata_46-47" />。
『[[信府統記]]』に泉小太郎に関する記述があるので、以下に要約して紹介する<ref>『信府統記 巻五』[{{NDLDC|:765132/26}} 23 - 24ページ]。</ref>。
:[[景行天皇]]12年まで、(安曇野の対岸にある)松本のあたりは山々から流れてくる水を湛える湖であった。その湖には景行天皇12年まで、(安曇野の対岸にある)松本のあたりは山々から流れてくる水を湛える湖であった。その湖には'''犀竜'''が住んでおり、東の高梨の池に住む白竜王との間に一人の子供をもうけた。名前をが住んでおり、東の高梨の池に住む'''白竜王'''との間に一人の子供をもうけた。名前を'''日光泉小太郎'''という。しかし小太郎の母である犀竜は、自身の姿を恥じて湖の中に隠れてしまう。:筑摩郡中山の産ヶ坂で生まれ、[[放光寺 (松本市)|放光寺]]で成人した小太郎は母の行方を捜し、尾入沢で再会を果たした。そこで犀竜は自身が筑摩郡中山の産ヶ坂で生まれ、放光寺で成人した小太郎は母の行方を捜し、尾入沢で再会を果たした。そこで犀竜は自身が[[建御名方神]]の化身であり、子孫の繁栄を願って顕現したことを明かす。そして、湖の水を流して平地とし、人が住める里にしようと告げた。小太郎は犀竜に乗って[[山清路]]の巨岩や[[の化身であり、子孫の繁栄を願って顕現したことを明かす。そして、湖の水を流して平地とし、人が住める里にしようと告げた。小太郎は犀竜に乗って山清路の巨岩や'''久米路橋]]の岩山を突き破り、[[日本海]]へ至る川筋を作った。'''の岩山を突き破り、日本海へ至る川筋を作った。
大昔に山清路を人の手で開削して松本盆地を排水、開拓したとする『[[仁科濫觴記]]』の記述を根拠に、これを伝説の由来とする説がある<ref name="shinsen">『新撰仁科記』9 - 10ページ。</ref>。「泉小太郎」の名も、その功労者である「白水光郎」(あまひかるこ)の名が書き誤られたもの(「白」・「水」の2文字を「泉」の1文字に、「光」の1文字を「小」・「太」の2文字にといった具合に)であるという。「泉小太郎」の名も、その功労者である「'''白水'''光郎」(あまひかるこ)の名が書き誤られたもの(「白」・「水」の2文字を「泉」の1文字に、「光」の1文字を「小」・「太」の2文字にといった具合に)であるという<ref name="shinsen" />。
民話ゆかりの地である[[松本市]]・[[安曇野市]]・[[大町市]]・[[長野市]]には、伝説にちなむ[[銅像]]や[[石像]]が建立されている。また、大町市の[[大町温泉郷]]には泉小太郎を扱う[[博物館]]「民話の里おおまち小太郎」がある。民話ゆかりの地である松本市・安曇野市・大町市・長野市には、伝説にちなむ銅像や石像が建立されている。また、大町市の大町温泉郷には泉小太郎を扱う博物館「民話の里おおまち小太郎」がある。
== 小泉小太郎と泉小太郎との関連 ==
小泉小太郎と泉小太郎との関連について、『小県郡史 余篇』には「内容は異なれど其名称相似たり」とあり<ref>『小県郡史 余篇』[{{NDLDC|余篇』NDLDC:965787/36}} 47ページ](かっこ内は引用)。47ページ(かっこ内は引用)。</ref>、[[民俗学]]者の[[柳田國男]]も自著『桃太郎の誕生』の中で「元は一つであつたらうことが注意せられる」と指摘している、民俗学者の柳田國男も自著『桃太郎の誕生』の中で「'''元は一つであつたらうことが注意せられる'''」と指摘している<ref>『桃太郎の誕生』[{{NDLDC|『桃太郎の誕生』NDLDC:1062590/125}} 228ページ](かっこ内は引用)。228ページ(かっこ内は引用)。</ref>。松谷みよ子は小泉小太郎の民話を聞いたのち、安曇野周辺を訪れて泉小太郎の民話を聞くと、「相違点はあるにせよ、これはおそらく一つの話に違いない」と考えた<ref>『講談社現代新書 370 民話の世界』39ページ(かっこ内は引用)。</ref>。
[[1957年]]([[昭和]]32年)発行の『信濃の民話』([[未來社]]『日本の民話』シリーズ)には、長野県の各地([[南安曇郡]]・[[北安曇郡]]・[[東筑摩郡]]・[[小県郡]])に伝わる小泉小太郎および泉小太郎の民話を一つの物語にまとめた「1957年(昭和32年)発行の『信濃の民話』(未來社『日本の民話』シリーズ)には、長野県の各地(南安曇郡・北安曇郡・東筑摩郡・小県郡)に伝わる小泉小太郎および泉小太郎の民話を一つの物語にまとめた「'''小泉小太郎'''」が収録されている<ref name="shinano" />。前半部分は概ね先に示した小泉小太郎のあらすじに沿った内容であるが、小太郎の母は山の向こうの湖の中で生きており、後半で成長した小太郎が母をたずねて旅立ち、再会した二人が力を合わせて湖を切り開くという内容である<ref name="shinano" />。同様の物語は[[1973年]](昭和48年)発行の『民衆の英雄』([[角川書店]]『日本の民話』シリーズ)にも「。同様の物語は1973年(昭和48年)発行の『民衆の英雄』(角川書店『日本の民話』シリーズ)にも「'''小泉小太郎と母竜'''」(瀬川拓男による再話)の題で収録されているが、本作では小太郎の父親が[[開拓者]][[集団]]の長(おさ)という設定であり、松本盆地のみならず、同じく湖であった[[上田盆地]]についても、三頭山から虚空蔵山を結ぶ[[岩鼻 (長野県)|半過の崖]]を小太郎と母竜が突き崩し、排水したとするなど」(瀬川拓男による再話)の題で収録されているが、本作では小太郎の父親が開拓者集団の長(おさ)という設定であり、松本盆地のみならず、同じく湖であった上田盆地についても、三頭山から虚空蔵山を結ぶ半過の崖を小太郎と母竜が突き崩し、排水したとするなど<ref>『日本の民話 4 民衆の英雄』6 - 15ページ。</ref><ref>かつて湖だった上田盆地を排水したという内容の民話は、ほかにも大[[ネズミ]]が食い破ったという話(『日本伝説叢書 かつて湖だった上田盆地を排水したという内容の民話は、ほかにも大ネズミが食い破ったという話(『日本伝説叢書 信濃の巻』[{{NDLDC|:953569/106}} 157] - [{{NDLDC|:953569/107}} 159ページ])や、159ページ)や、[[ダイダラボッチ]]が突き崩したという話(『佐久口碑伝説集 北佐久編』105ページ)が伝えられている。</ref>、『小県郡史 余篇』や『信濃の民話』のものとは異なる点もある。この「'''小太郎と母龍'''」の物語は[[テレビアニメ]]『[[まんが日本昔ばなし]]』で放送され、同作の[[DVD]]第5巻に収録されている」の物語はテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』で放送され、同作のDVD第5巻に収録されている<ref name="dvd">「小太郎と母龍」『まんが日本昔ばなし DVD第5巻』 ({{EAN|:4988104066459}}) より。</ref>。[[演出]]は[[樋口雅一]]、文芸は[[沖島勲]]、[[美術 (職業)|美術]]は小関俊一、[[作画]]は[[高橋信也]]が担当した。演出は樋口雅一、文芸は沖島勲、美術は小関俊一、作画は高橋信也が担当した<ref name="dvd" />。
『信濃の民話』の編集委員の一人であった松谷みよ子は、「水との闘いの民話」の多くが陰惨な内容であるなか、小泉小太郎を明るく雄大な物語として捉えた<ref>『講談社現代新書 370 民話の世界』36 - 39ページ。</ref>。忘れられつつあった小泉小太郎を復活させ、[[秋田県]]の民話や自身の体験、また子供たちとの関わりなどをもとに、松谷が[[1959年]](昭和34年)度に創作したのが『[[龍の子太郎]]』である<ref>『松谷みよ子全集 9 龍の子太郎』170 - 171ページ。</ref><ref>『講談社現代新書 370 民話の世界』39 - 40、57 - 65ページ。</ref>。

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