管理人は個人的には、まず「'''饕餮とは首のみの怪物である'''」という『呂氏春秋』の定義の範囲内において、すべての「'''人獣面像は饕餮文と呼んで良い'''」と考える。しかし、そうすると、袁珂の説にあるように「饕餮は蚩尤である」という定義から逸脱してしまうのである。蚩尤は饕餮と同様に中国神話に登場する怪物である。蚩尤は黄帝との戦いで命を落とし、体を二つに分けて封印された、とされているが、少なくとも生きているときは五体満足であった。とすれば、文様としての「饕餮文」は首のみで表されるが、本来の饕餮の姿は五体満足だった、ということになってしまう。「人を食べたから首だけになってしまった」と文献にあるとしても、何故その姿を鼎に描かなければならなかったのだろうか。饕餮が元は「五体満足」なものであったとするならば「饕餮文」の饕餮は罰を受けたにしても、誰かに殺されたにしても、「'''首だけ'''」になってしまった、いわば'''死者'''といえる。これは中国で言うところの'''鬼'''ともいえるのではないだろうか。
そして、「'''首だけ'''」の饕餮文があるのであれば、「'''五体満足'''」な饕餮文が存在する可能性はどうなのであろうか、と思う。もしも、五体満足な「饕餮文」といえるものが存在すれば、『呂氏春秋』の饕餮の定義が間違っていることになってしまうのだが、それこそ時代や地域によって意匠や目的が少しずつ異なる「饕餮文」と「饕餮」の定義があっても、それらの全てを「'''狭義の饕餮文'''」に対して包括的な「'''広義の饕餮文'''」と定義できそうである。
== 私的考察・饕餮紋の変遷 ==