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969 バイト除去 、 2024年10月13日 (日)
== 私的解説 ==
=== 饕餮と饕餮文について 饕餮文の定義について ===
宋代からの慣例によれば、周代の鼎の人獣面像の装飾を「饕餮文」と呼んだとのことであるので、その前の時代の殷の鼎に施された同様の文様も「饕餮文」と呼んだのであろう。仮にこれを「狭義の饕餮文」と呼ぶことにする。伝統的には、殷周代に作られた青銅器の鼎の修飾をまず「饕餮文」と呼ぶことに異議はないと思われる。青銅器は王が主催し、主に王の祖先神を祀る祭祀に用いられたであろうし、その大きさや豪華さが王権の象徴ともされたであろう。
  饕餮が蚩尤と同一の存在であって、特に「首」だけが強調された人獣面紋を「饕餮」と呼ぶのであれば、饕餮とは管理人は個人的には、まず「'''黄帝に殺された蚩尤の首饕餮とは首のみの怪物である'''と解すべきである。そして、これが普通の人であれば、死して首のみになった場合、生きていることはあり得ない。饕餮とは、生前は神としても人や動物に類するものだったとしても「」という『呂氏春秋』の定義の範囲内において、すべての「'''死ぬもの人獣面像は饕餮文と呼んで良い'''」であったのであり、死した後に何か別のものに変化して、スイッチが切り替わるように「」と考える。しかし、そうすると、袁珂の説にあるように「饕餮は蚩尤である」という定義から逸脱してしまうのである。蚩尤は饕餮と同様に中国神話に登場する怪物である。蚩尤は黄帝との戦いで命を落とし、体を二つに分けて封印された、とされているが、少なくとも生きているときは五体満足であった。とすれば、文様としての「饕餮文」は首のみで表されるが、本来の饕餮の姿は五体満足だった、ということになってしまう。「人を食べたから首だけになってしまった」と文献にあるとしても、何故その姿を鼎に描かなければならなかったのだろうか。饕餮が元は「五体満足」なものであったとするならば「饕餮文」の饕餮は罰を受けたにしても、誰かに殺されたにしても、「'''不死性首だけ'''」のものに変わったとみなされたのであろう。中国の神話を見るに、どのようにして饕餮が「不死性」を獲得したのかには、主に3つの考え方があるように思うし、それぞれは交錯する点もある。 * 1型:一つは饕餮は死んだ者がなるという」になってしまった、いわば'''死者'''といえる。これは中国で言うところの'''鬼'''である、という考え方である。日本でいえば、幽霊や怨霊ということになるであろう。* 2型:二つめはいわゆる「[[不老不死の薬]]」を飲んでいて、最初から不死であった、という考え方である。* 3型:三つめは死後、動植物等に化生した、という考え方である。特に樹木は順当に育てば人間よりも遙かに長寿である。また、彼は植物の種に変化して永遠に増え続けることになるかもしれないと思う。** 3型亜型1:鳥への化生。3型の亜型として、死後鳥に化生したということがあるかもしれない。これはトーテムとしての鳥とは異なり、個人的に鳥に変化するものといえる。ただし、変化する前の人が鳥形のトーテムを元々有しており、その姿に「戻った」という意味合いが含まれる場合もあるかもしれない、と思う。死者が、死後、鳥に変じる、という話は各地にある。** 3型亜型2:天体への化生。3型の亜型として、鳥への化生の延長に、死後天体に化生したということがあるかもしれない。死者が、死後、天に上って星になる、という話は各地にある。星も空を飛ぶものである。ともいえるのではないだろうか。
== 私的考察・饕餮紋の変遷 ==

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