「ティアマト」の版間の差分
(→私的考察) |
|||
(同じ利用者による、間の4版が非表示) | |||
8行目: | 8行目: | ||
バビロニアの創造叙事詩『エヌマ・エリシュ』では、ティアマトが第一世代の神々を産む。夫のアプスーは、彼らが自分を殺して王位を奪おうと企んでいると正確に推測し、後に彼らに戦いを挑み、殺された。怒った彼女は、夫を殺した者たちにも戦いを挑み、多くのモンスターを産み落とした。その後、彼女はエンキの息子である嵐の神マルドゥクに殺されるが、その前にメソポタミアのパンテオンのモンスターたちを生み出し、その中には最初のドラゴンも含まれており、彼女の体は「血の代わりに毒で満たされた」のだった。そして、マルドゥークは彼女の身体の要素を天と地に統合した。 | バビロニアの創造叙事詩『エヌマ・エリシュ』では、ティアマトが第一世代の神々を産む。夫のアプスーは、彼らが自分を殺して王位を奪おうと企んでいると正確に推測し、後に彼らに戦いを挑み、殺された。怒った彼女は、夫を殺した者たちにも戦いを挑み、多くのモンスターを産み落とした。その後、彼女はエンキの息子である嵐の神マルドゥクに殺されるが、その前にメソポタミアのパンテオンのモンスターたちを生み出し、その中には最初のドラゴンも含まれており、彼女の体は「血の代わりに毒で満たされた」のだった。そして、マルドゥークは彼女の身体の要素を天と地に統合した。 | ||
+ | |||
+ | == 概要 == | ||
+ | ティアマトは神話の中に登場する女神で、特に神殿を設けたなどの歴史的信仰の事実は認められていない<ref name="shota" />。一方、彼女の原型となった女神は名前が知られており、それはシュメール神話に登場する原初の海を神格化した[[ナンム]]であったとされる<ref name="shota" />。 | ||
+ | |||
+ | ティアマトの神話体系には2つのパートの存在が示唆されている。最初のパートにおいては、ティアマトは塩と淡水の間で結ばれる「聖婚」により、平和裏に秩序を一連の世代を通じて生み出す創造の女神。『カオスとの戦い(Chaoskampf)』におけるティアマトは、原初の混沌の恐ろしさの具現化と考えられる<ref name="StephanieDalley">Stephanie, Dalley, Stephanie Dalley, Myths from Mesopotamia, Oxford University Press, 1987, pages329</ref>。 | ||
+ | |||
+ | === 呼称 === | ||
+ | 『エヌマ・エリシュ』中において、彼女は「Ummu-Hubur(<small>𒌝𒈠 𒄷𒁓</small>)」とも呼ばれる。「Ummu(<small>𒌝𒈠</small>)」はアッカド語で「母」を意味し、「Hubur(<small>𒄷𒁓</small>)」の意味は諸説有るが、シュメール語の「Hubur(河、あるいは冥府の河)」との関連が疑われている。 | ||
+ | |||
+ | ティアマトは後にヘレニズムにバビロニアの著述家ベロッソスの普遍史の第一巻に登場するタラッテー(Thalattē、ギリシャ語で「海」を意味するタラッサ(Thalassa)の変異形)として知られる。このティアマトの名は、東方セム語であるアッカド語で書かれた元の神話のテキストから二次翻訳されたものと考えられる。というのも、『[[エヌマ・エリシュ]]』を筆写した一部のアッカドの書者が、普通の単語である「海」をティアマトに用いたためで、以来ふたつの名前はその関連の結果として本質的に同じものになった<ref name="Jacobsen 1968:105">Jacobsen 1968:105.</ref>。 | ||
== 語源 == | == 語源 == | ||
15行目: | 25行目: | ||
ハリエット・クロフォードは、この「水の混合」を、アラビア帯水層からの淡水と海の塩水が混ざり合い、混じり合うペルシャ湾中部の自然の姿であると見なしている<ref>Crawford, Harriet E. W., Harriet Crawford, 1998 , Dilmun and Its Gulf Neighbours, Cambridge University Press, isbn:0-521-58348-9</ref>。特に、アラビア語で「2つの海」を意味するバーレーン地方は、シュメール人の天地創造信仰の原点であるディルムン遺跡があるとされ、海にこのような特徴がある<ref>Crawford Harriet, Killick Robert, Moon Jane, 1997, The Dilmun Temple at Saar: Bahrain and Its Archaeological Inheritance, Saar Excavation Reports / London-Bahrain Archaeological Expedition: Kegan Paul, isbn:0-7103-0487-0</ref>。海水と淡水の密度差により、分離が感じられる。 | ハリエット・クロフォードは、この「水の混合」を、アラビア帯水層からの淡水と海の塩水が混ざり合い、混じり合うペルシャ湾中部の自然の姿であると見なしている<ref>Crawford, Harriet E. W., Harriet Crawford, 1998 , Dilmun and Its Gulf Neighbours, Cambridge University Press, isbn:0-521-58348-9</ref>。特に、アラビア語で「2つの海」を意味するバーレーン地方は、シュメール人の天地創造信仰の原点であるディルムン遺跡があるとされ、海にこのような特徴がある<ref>Crawford Harriet, Killick Robert, Moon Jane, 1997, The Dilmun Temple at Saar: Bahrain and Its Archaeological Inheritance, Saar Excavation Reports / London-Bahrain Archaeological Expedition: Kegan Paul, isbn:0-7103-0487-0</ref>。海水と淡水の密度差により、分離が感じられる。 | ||
+ | |||
+ | トーキル・ヤコブセン(Thorkild Jacobsen)<ref name="Jacobsen 1968:105"/> とヴァルター・ブルケルトはいずれもアッカド語で海を指す単語のtâmtu<small>𒀀𒀊𒁀</small>(より古い形はti'amtum)と関連すると議論している<ref>Burkert, Walter. ''The Orientalizing Revolution: Near Eastern Influences on Greek Culture in the Early Archaic Age'' 1993, p 92f.</ref>。 | ||
+ | |||
+ | またブルケルトは[[テーテュース]]と言語接触をなしていると続ける。彼はより新しい形である''thalatth''がギリシャ語で海を意味する''Θάλαττα'' (thalatta)もしくは''Θάλασσα'' (thalassa)と明らかに関連していることを発見した。バビロニアの叙事詩『エヌマ・エリシュ』のインキピットでは、「天も地も存在せず、アプスーすなわち淡水の大洋「第一の者、父」と、ティアマト、塩水の海、「全てを運んだもの」があった。そして彼らは「自分たちの水を混ぜ合った」とされている。メソポタミアでは女神たちの方が男神より年上であると考えられている。ティアマトの始まりは、水の創造力を持つ女性原理であり、地下世界の力とも等しく繋がりを持つ[[ナンム]]への信仰を一端としていたのかもしれない。ナンムはエアあるいはエンキの登場に先んじている<ref>Steinkeller, Piotr. "On Rulers, Priests and Sacred Marriage: tracing the evolution of early Sumerian kingship" in Wanatabe, K. (ed.), ''Priests and Officials in the Ancient Near East'' (Heidelberg 1999) pp.103–38</ref>。 | ||
+ | |||
+ | ハリエット・クラウフォードはこの「混ざり合う水」がペルシャ湾中部の地勢的な特色であることに気付いた。そこはアラビア帯水層に由来する淡水と、海の塩水が混ざる場所である<ref>Crawford, Harriet E. W. (1998), ''Dilmun and its Gulf Neighbours'' (Cambridge University Press).</ref>。この特徴はアラビア語でふたつの海を意味し、シュメールの創世神話が起こったとされる[[ディルムン]]の遺跡のあるバーレーンではとりわけ顕著で<ref>Crawford, Harriet; Killick, Robert and Moon, Jane, eds.. (1997). ''The Dilmun Temple at Saar: Bahrain and Its Archaeological Inheritance'' (Saar Excavation Reports / London-Bahrain Archaeological Expedition: Kegan Paul)</ref>、塩水と淡水の密度の違いによって水が分かれて流れているのが分かるほどである。 | ||
+ | |||
+ | また''Tiamat''は『創世記』第1章第2節に北西セム語の ''tehom'' (תהום) (深み、奈落の底)と同根語であるとも言われる<ref>Yahuda, A., ''The Language of the Pentateuch in its Relation to Egyptian'' (Oxford, 1933)</ref>。 | ||
== 外観 == | == 外観 == | ||
+ | 女神といっても、神話におけるティアマトは後に誕生する神々と違って人の姿を模しておらず、異形の姿を取った。その体躰は現在の世界を創る材料にされるほど巨大で、「大洪水を起こす[[竜]]」と形容された<ref name="shota" />。ほかにもいくつかの典拠は彼女を[[ウミヘビ]]、あるいは竜と同一視し<ref>Such as Thorkild, Jacobsen, The Battle between Marduk and Tiamat, Journal of the American Oriental Society, volume88, issue1, 1968 , pages104–108, jstor:597902, doi:10.2307/597902</ref> 、以前にもその姿は[[ドラゴン]]であると考えられていたが、神話や関連文献の中にそれを指し示す記述は存在しないことから現在では否定され、(明確ではないが)神話の中では水の姿と動物(おそらく[[ラクダ]]か[[ヤギ]])の姿との間で揺れ動いている<ref>Lambert, W. G., Babylonian Creation Myths, 2013, pages234</ref>。 | ||
+ | |||
『エヌマ・エリシュ』には、尾、太もも、(一緒に揺れる)「下の部分」、腹、乳房、肋骨、首、頭、頭蓋骨、目、鼻孔、口、唇などの身体描写がある。ティアマトは内臓(おそらく「内臓」)、心臓、動脈、血液を持っている。 | 『エヌマ・エリシュ』には、尾、太もも、(一緒に揺れる)「下の部分」、腹、乳房、肋骨、首、頭、頭蓋骨、目、鼻孔、口、唇などの身体描写がある。ティアマトは内臓(おそらく「内臓」)、心臓、動脈、血液を持っている。 | ||
45行目: | 65行目: | ||
ロバート・グレイヴス[24]は、ティアマトがマルドゥクによって殺されたことを、母系社会から家父長制への権力移行という古代の仮説の証拠とみなした<ref>Graves, ''The Greek Myths'', rev. ed. 1960:§4.5.</ref>。ティアマトをはじめとする古代の怪物は、かつて平和で女性を中心とした宗教の最高神であったものが、凶暴化したときに怪物に変身した姿を描いたものだという説だ<ref group="私注">「意図的に凶暴であると悪意でみなされた」とすべきであろう。</ref>。男性の英雄の手による彼らの敗北は、これらの母系宗教・社会が男性優位のものへと転覆することに対応する。この説は、ロッテ・モッツやシンシア・エラーなどの学術的な著者によって否定されている<ref>''The Faces of the Goddess'', Lotte Motz, Oxford University Press (1997), ISBN:978-0-19-508967-7</ref><ref>''The Myth of Matriarchal Prehistory: Why An Invented Past Will Not Give Women a Future'', Cynthia Eller, Beacon Press (2000), ISBN:978-0-8070-6792-5.</ref>。 | ロバート・グレイヴス[24]は、ティアマトがマルドゥクによって殺されたことを、母系社会から家父長制への権力移行という古代の仮説の証拠とみなした<ref>Graves, ''The Greek Myths'', rev. ed. 1960:§4.5.</ref>。ティアマトをはじめとする古代の怪物は、かつて平和で女性を中心とした宗教の最高神であったものが、凶暴化したときに怪物に変身した姿を描いたものだという説だ<ref group="私注">「意図的に凶暴であると悪意でみなされた」とすべきであろう。</ref>。男性の英雄の手による彼らの敗北は、これらの母系宗教・社会が男性優位のものへと転覆することに対応する。この説は、ロッテ・モッツやシンシア・エラーなどの学術的な著者によって否定されている<ref>''The Faces of the Goddess'', Lotte Motz, Oxford University Press (1997), ISBN:978-0-19-508967-7</ref><ref>''The Myth of Matriarchal Prehistory: Why An Invented Past Will Not Give Women a Future'', Cynthia Eller, Beacon Press (2000), ISBN:978-0-8070-6792-5.</ref>。 | ||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
== エヌマ・エリシュ == | == エヌマ・エリシュ == | ||
113行目: | 111行目: | ||
; クサリク(Kusarikku, <small>𒆪𒊓𒋆𒄣、KU.SA.RIK.KUM</small>) | ; クサリク(Kusarikku, <small>𒆪𒊓𒋆𒄣、KU.SA.RIK.KUM</small>) | ||
: 有翼の牡牛。『ギルガメシュ叙事詩』に登場する天の雄牛([[グガランナ]])と同一視される聖牛<ref name="ikegami" />。 | : 有翼の牡牛。『ギルガメシュ叙事詩』に登場する天の雄牛([[グガランナ]])と同一視される聖牛<ref name="ikegami" />。 | ||
+ | |||
+ | == 私的考察 == | ||
+ | いわゆる西欧的な「龍退治」の神話を一括して「類話」とし、その中のティアマト神話を加える分類方法には、個人的には賛成ではない。一つには、あらゆる神話の起源として水性の「悪神」的存在として男性の[[共工]]と女性の[[相柳]]がおり、この2つは密接に関連しているが「別のもの」だからである。西方の神話も倒されるのが女神なのか男神なのかについてもっと注意を払うべきと考える。また、各地の神話には日本神話の[[火之迦具土神]]、インド神話のアグニのように「親を焼き殺す神」が存在し、彼らは「火」に関する神である。マルドゥクも太陽神が発展したものと思われ、「親を焼き殺す神」の一つに入ると考える。 | ||
+ | |||
+ | 子音から見るとティアマトはエジプト神話のタニト、テフヌトと類似した神と思われる。最初の子音の「t」音が外れたものにエジプト神話のネイト、ヒッタイト神話の[[マリヤ]]、ギリシア神話のメーティス、[[メーデイア]]がおり、本来は「建築の女神」「庭園の女神」「水神」という性質を併せもった女神で、ヨーロッパの河川神としての性質を持つ、いわゆる「異教の女神」群と共通した女神だったと思われ、語源的には[[メリュジーヌ]]とも関連するのではないだろうか。[[メリュジーヌ]]はヨーロッパでは「女神」の地位を離れ、伝承的な「名家の始祖」とされることが多いが、蛇の姿で現される点、一家の始祖でありながらその姿が最終的には「禁忌を破られた末の逃走」ということで失われてしまう点、逃走の際に子供を連れて行く(騒動に子供を巻き込んでいる)ことがある点が共通している。またティアマトは「人身御供(幼児供犠)を求める女神」であった痕跡がある。すなわち、ヨーロッパの民間伝承で、特に異界の住人である「妻」が「夫に禁忌を破られて逃走する」という物語のモチーフは「家族間の決裂と闘争と母女神の殺戮」という神話の内、「母女神の殺戮」という点が変化したものでることが分かる。 | ||
+ | |||
+ | メソポタミア神話のティアマトは海水の女神だが、、エジプト神話の[[テフヌト]]は「水を生み出す女神」としての性質がある。ネイトも水神としての性質を有す。ヨーロッパの多くの女神が水神としての性質が強いことを併せて考えれば、ヨーロッパの女神達はエジプト神話の女神の影響が強いように感じる。女神が「悪しき龍」として倒される場合はメソポタミア神話のティアマトの影響が強いと考えるが、メリュジーヌのように失踪する場合はエジプト神話の影響が強いと思われる。いずれにしても'''ヨーロッパの女神の神話は、ティアマト型の神話とテフヌト型の神話が交錯しており'''、この2者の起源が元は一つであってそれぞれに神話が分化していったことを伺わせるのではないだろうか。 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
128行目: | 133行目: | ||
* [[マリヤ]]:ヒッタイトの庭園の女神。 | * [[マリヤ]]:ヒッタイトの庭園の女神。 | ||
* [[メリジューヌ]]:フランス等の伝承に登場する蛇の女王。 | * [[メリジューヌ]]:フランス等の伝承に登場する蛇の女王。 | ||
+ | * [[テフヌト]]:エジプト神話でティアマトに相当する女神か。 | ||
== 私的注釈 == | == 私的注釈 == |
2023年3月12日 (日) 19:03時点における最新版
ティアマト(tiamat, 𒀭𒋾𒊩𒆳、dingirDTI.AMAT𒀭𒌓𒌈、DTAM.TUM)は、メソポタミア神話(シュメール、アッシリア、アッカド、バビロニア)における原初の海の女神。淡水の神アプスーと交わり、より若い神々を生み出した。例として、ティアマトは恵みをもたらす巻き毛の男神ラフムと対をなす女神ラハムを生み出し、この兄妹は次世代の神々の始祖と呼ばれるアンシャルとキシャルを、更にアンシャルとキシャルは後に天空神となるアヌを始めとする新しい神、次世代の神々を生み出した[1]。
メソポタミアの宗教では、ティアマト(アッカド語:𒀭𒋾𒊩𒆳 DTAM.TUM, 古代ギリシャ語: Θαλάτη, ローマ字表記:Thaláttē[2]は原初の海の女神で、地下水の神アブズーと交わって若い神々を産んだ。ティアマトは婦人と呼ばれ[3]、「輝くもの」と表現された[4]。
彼女は原初の創造における混沌の象徴であり、女性として描写され[5]、女性の象徴であり、きらきら輝くものとして描写される[6]。
ティアマトの神話には2つの部分があることが示唆されている。一つは、異なる水同士の神聖な結婚によって、歴代を通じて平和的に宇宙を創造する創造主の女神である。二つ目に、混沌戦争では、ティアマトは原初の混沌を具現化した怪物とされた[7]。海蛇や龍のイメージと同化する資料もある[8]。
バビロニアの創造叙事詩『エヌマ・エリシュ』では、ティアマトが第一世代の神々を産む。夫のアプスーは、彼らが自分を殺して王位を奪おうと企んでいると正確に推測し、後に彼らに戦いを挑み、殺された。怒った彼女は、夫を殺した者たちにも戦いを挑み、多くのモンスターを産み落とした。その後、彼女はエンキの息子である嵐の神マルドゥクに殺されるが、その前にメソポタミアのパンテオンのモンスターたちを生み出し、その中には最初のドラゴンも含まれており、彼女の体は「血の代わりに毒で満たされた」のだった。そして、マルドゥークは彼女の身体の要素を天と地に統合した。
目次
概要[編集]
ティアマトは神話の中に登場する女神で、特に神殿を設けたなどの歴史的信仰の事実は認められていない[1]。一方、彼女の原型となった女神は名前が知られており、それはシュメール神話に登場する原初の海を神格化したナンムであったとされる[1]。
ティアマトの神話体系には2つのパートの存在が示唆されている。最初のパートにおいては、ティアマトは塩と淡水の間で結ばれる「聖婚」により、平和裏に秩序を一連の世代を通じて生み出す創造の女神。『カオスとの戦い(Chaoskampf)』におけるティアマトは、原初の混沌の恐ろしさの具現化と考えられる[9]。
呼称[編集]
『エヌマ・エリシュ』中において、彼女は「Ummu-Hubur(𒌝𒈠 𒄷𒁓)」とも呼ばれる。「Ummu(𒌝𒈠)」はアッカド語で「母」を意味し、「Hubur(𒄷𒁓)」の意味は諸説有るが、シュメール語の「Hubur(河、あるいは冥府の河)」との関連が疑われている。
ティアマトは後にヘレニズムにバビロニアの著述家ベロッソスの普遍史の第一巻に登場するタラッテー(Thalattē、ギリシャ語で「海」を意味するタラッサ(Thalassa)の変異形)として知られる。このティアマトの名は、東方セム語であるアッカド語で書かれた元の神話のテキストから二次翻訳されたものと考えられる。というのも、『エヌマ・エリシュ』を筆写した一部のアッカドの書者が、普通の単語である「海」をティアマトに用いたためで、以来ふたつの名前はその関連の結果として本質的に同じものになった[10]。
語源[編集]
トーキルド・ヤコブセンとウォルター・ブルケルトは、アッカド語の海を意味する単語tâmtu(𒀀𒀊𒁀)と関係があり、初期の形tiamtumに続いていると主張している[11][12]。ブルケルトはさらに、テティスと言語的な関連性を指摘する。ヘレニズム時代のバビロニアの作家ベロッサスの『万国史』第一巻に登場する「Θαλάτη、thaláttē」は、ギリシャ語の「Θάλατα、thálatta」と明らかに関係があり、「Θάλασα、thalassa」の東方変化形「海」である。アッカド語の『エヌマ・エリシュ』写本では、ティアマトの代わりに普通の言葉であるタームトゥ(「海」)が使われ、この2つの名前は連想されて本質的に同じになってしまったため、原典の二次翻訳では、ボキャティブ(構築形)であるティアマトという固有名詞が削除されたと考えられている[13]。また、『創世記』1:2にある北西セム語のtehom (תְּהוֹ)(「深淵、深淵」)と同義であると主張されている[14]。
バビロニアの叙事詩『エヌマ・エリシュ』は、その序文にその名がある。「天がまだ存在せず、地がまだ存在しないとき、地底の海アプスーは「最初の、生みの親」であり、地上の海ティアマトは「すべてを産んだ女」であり、彼らは「水を混ぜ合わせていた」のである。メソポタミアでは、女性の神々は男性の神々よりも古く、ティアマトは、Ea-Enkiの登場以前に、同じく地下世界と強いつながりを持つ、水の創造力の女性原理であるNammuの信仰の一部として始まった可能性があると考えられている[15]。
ハリエット・クロフォードは、この「水の混合」を、アラビア帯水層からの淡水と海の塩水が混ざり合い、混じり合うペルシャ湾中部の自然の姿であると見なしている[16]。特に、アラビア語で「2つの海」を意味するバーレーン地方は、シュメール人の天地創造信仰の原点であるディルムン遺跡があるとされ、海にこのような特徴がある[17]。海水と淡水の密度差により、分離が感じられる。
トーキル・ヤコブセン(Thorkild Jacobsen)[10] とヴァルター・ブルケルトはいずれもアッカド語で海を指す単語のtâmtu𒀀𒀊𒁀(より古い形はti'amtum)と関連すると議論している[18]。
またブルケルトはテーテュースと言語接触をなしていると続ける。彼はより新しい形であるthalatthがギリシャ語で海を意味するΘάλαττα (thalatta)もしくはΘάλασσα (thalassa)と明らかに関連していることを発見した。バビロニアの叙事詩『エヌマ・エリシュ』のインキピットでは、「天も地も存在せず、アプスーすなわち淡水の大洋「第一の者、父」と、ティアマト、塩水の海、「全てを運んだもの」があった。そして彼らは「自分たちの水を混ぜ合った」とされている。メソポタミアでは女神たちの方が男神より年上であると考えられている。ティアマトの始まりは、水の創造力を持つ女性原理であり、地下世界の力とも等しく繋がりを持つナンムへの信仰を一端としていたのかもしれない。ナンムはエアあるいはエンキの登場に先んじている[19]。
ハリエット・クラウフォードはこの「混ざり合う水」がペルシャ湾中部の地勢的な特色であることに気付いた。そこはアラビア帯水層に由来する淡水と、海の塩水が混ざる場所である[20]。この特徴はアラビア語でふたつの海を意味し、シュメールの創世神話が起こったとされるディルムンの遺跡のあるバーレーンではとりわけ顕著で[21]、塩水と淡水の密度の違いによって水が分かれて流れているのが分かるほどである。
またTiamatは『創世記』第1章第2節に北西セム語の tehom (תהום) (深み、奈落の底)と同根語であるとも言われる[22]。
外観[編集]
女神といっても、神話におけるティアマトは後に誕生する神々と違って人の姿を模しておらず、異形の姿を取った。その体躰は現在の世界を創る材料にされるほど巨大で、「大洪水を起こす竜」と形容された[1]。ほかにもいくつかの典拠は彼女をウミヘビ、あるいは竜と同一視し[23] 、以前にもその姿はドラゴンであると考えられていたが、神話や関連文献の中にそれを指し示す記述は存在しないことから現在では否定され、(明確ではないが)神話の中では水の姿と動物(おそらくラクダかヤギ)の姿との間で揺れ動いている[24]。
『エヌマ・エリシュ』には、尾、太もも、(一緒に揺れる)「下の部分」、腹、乳房、肋骨、首、頭、頭蓋骨、目、鼻孔、口、唇などの身体描写がある。ティアマトは内臓(おそらく「内臓」)、心臓、動脈、血液を持っている。
ティアマトは通常、海蛇またはドラゴンと表現されるが、アッシリア学者のアレクサンダー・ハイデルはこの同定に同意せず、「ドラゴンの形をティアマトに確実に帰属させることはできない」と主張した。他の学者たちはハイデルの議論を軽視している。特にジョセフ・フォンテンローズは「説得力がない」とし、「ティアマトは必ずしも常にではなく、時には龍女として考えられていたと信じるに足る理由がある。」と結論付けている[25]。『エヌマ・エリシュ』には、ティアマトがドラゴン、蛇、サソリ男、マーフォーク、その他のモンスターを産んだと書かれているが、その姿は特定されていない[26]。
神話[編集]
アブズ(またはアプスー)は、ティアマトの間に長老神ラームとラハム(男性:「毛むくじゃら」)を産んだ。アンシャールとキシャールは地平線で合流し、アヌ(天)とキ(地)の親になると考えられていた。
ティアマトは、原初の創造の混沌の中で咆哮し、打撃を与える海の「輝き」の擬人化である。彼女はアプスーと共に宇宙の深淵を原始の水で満たした。彼女は「万物を形成したウンム・フブール(Ummu-Hubur)」である。
楔形文字に記録された神話では、エンキ(後のエア)が、アプスーが若い神々を殺害しようと企て、その騒々しさに腹を立てていると正しく信じ、彼を捕らえて自分の神殿E-Abzu(「アブスの神殿」)の下に閉じ込めたとされる。これを怒った息子のキングはティアマトに報告し、ティアマトはアプスの仇を討つために11体の怪物を作り、神々と戦わせた。 以下は、ティアマト自身の子孫である。バスム(Bašmu、毒蛇)、ウシュムガル(Ušumgallu、大龍)、ムシュマッヘ(Mušmaḫ、高貴な蛇)、ムシュフシュ(Mušḫuššu、猛烈な蛇)、ラフム(Laḫmu、毛深い者)、ウガル(Ugallu、大天候の獣)、ウリディンム(Uridimmu、狂気のライオン)、ギルタブルル(Girtablullû、サソリ男)、ウム・ダブルツ(Umū dabrūtu、「激しい嵐」)、クルル(Kululû、「魚男」)、クサリック(Kusarikku、「牛男」)。
ティアマトは「運命の石版」を持っており、原初の戦いで、自分の恋人であり、軍団のリーダーとして選んだ神であり、自分の子供の一人でもあるキングにそれを与えたのである。怯える神々を救ったのはアヌであり、アヌは自分を「神々の王」として崇めることを約束させた。彼は風の矢、網、棍棒、無敵の槍を駆使してティアマトと戦った。アヌは後にエンリルに、バビロン第一王朝以降に残された後期バージョンでは、エアの子マルドゥクに取って代わられた。
そして主はティアマトの腰の上に立った。
そして、無慈悲な棍棒で彼女の頭蓋骨を叩き割った。
彼は彼女の血の通路を切り開いた。
そして、北風にそれを秘密の場所に運び去らせた。
ティアマトを真っ二つに切り裂き、その肋骨から天と地のアーチを作り上げた。彼女の泣いた目はチグリス川とユーフラテス川の源となり、彼女の尾は天の川となった[27]。そして、年長者の神々の承認を得て、キングーから「運命の石版」を奪い、自らをバビロニアのパンテオンの長に据えたのだった。その赤い血と大地の赤い土が混ざって人類の体となり、若いイギギの神々の下僕として働くようになったのである。
この叙事詩の主要テーマは、マルドゥークがすべての神々を支配する正当な地位に就くことである。「マルドゥーク叙事詩は、その地方色とバビロニアの神学者による推敲の結果、実質的に古いシュメールの資料を反映していることが長い間認識されてきた」とアメリカのアッシリー学者E・A・スピーサーは1942年に発言し[28]、「しかしながら、シュメールの原型は今のところ見つかっていない」と付け加えている。バビロニア版の物語は、マルドゥクではなくエンリルがティアマトを殺害した神である古い叙事詩の修正版に基づくという推測は、最近では「明らかにあり得ない」として退けられている.[29]。
インタープリテーション[編集]
ティアマト神話は、文化的英雄と神話的または水棲の怪物、蛇や竜との戦いである「カオスカンフ」の最も古い記録版の一つである[30]。ティアマト神話と直接的、間接的に関連する他の神話のカオスカンプのモチーフとしては、ヒッタイトのイルルヤンカ神話や、ギリシャ神話のアポローンがデルフォイの神託を引き継ぐために必要な行動としてピュートーンを殺害したことなどが挙げられる[31]。
二次「カオスカンプ」において、ティアマトは原初の混沌を具現化した怪物とされる[9]。ティアマトをはじめとする古代の怪物は、かつて平和で女性を中心とした宗教の最高神であったものが、凶暴化すると怪物に変身する姿を描いたものだという説である[私注 1]。
ロバート・グレイヴス[24]は、ティアマトがマルドゥクによって殺されたことを、母系社会から家父長制への権力移行という古代の仮説の証拠とみなした[32]。ティアマトをはじめとする古代の怪物は、かつて平和で女性を中心とした宗教の最高神であったものが、凶暴化したときに怪物に変身した姿を描いたものだという説だ[私注 2]。男性の英雄の手による彼らの敗北は、これらの母系宗教・社会が男性優位のものへと転覆することに対応する。この説は、ロッテ・モッツやシンシア・エラーなどの学術的な著者によって否定されている[33][34]。
エヌマ・エリシュ[編集]
バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』において、ティアマトは自らの産んだ神々に対して戦いを起こす。ティアマトは神々の英雄マルドゥクに敗れ、その体から天地が創られた。
あらすじ[編集]
神々のうちで最初のものであったアプスーとティアマトは交わって他の神々を誕生させたが、数を増した新しい世代の神々の騒々しさに苦しむようになった。ティアマトはアプスーに、温情を持ってあたるべきだと説くが、アプスーはついにそれらの神々を滅ぼそうと企てる。ところが、知恵の神エアの計略によって逆にアプスーが殺されてしまう。それでもティアマトは事態を静観していたが、アプスーの上に住居を設けたエアがダムキナと結婚し授かった息子マルドゥクが、アヌによって贈られた4つの風で遊び騒ぎ立てたため、神々の一部はティアマトに不満を述べ、夫の復讐を果たせとティアマトに詰め寄った。
ティアマトはついに決意し、それらの神々と、自ら産み出した11種の怪物たちを率いて、他の神々との戦いに乗り出す。ティアマトは数多の武器を配下に与え、そして彼らの指揮官として息子にして第二の夫のキングーを指名し、「天命の書版」なる権威の象徴を託した。しかし、神々により選ばれティアマト討伐に来たマルドゥクと対峙するとキングーは戦意喪失してしまう。ティアマトは呪文を唱えつつ、自らマルドゥクとの戦いに挑むが、マルドゥクは4つの風を配した網でティアマトを絡め取る。さらにマルドゥクが暴風をティアマトの顔に放つと、ティアマトはそれを飲み込むが、そのために口を閉じられなくなり、激しい風が腹の中に溢れてティアマトを苦しめた。その隙を突いたマルドゥクはティアマトの腹を弓で射抜いて倒した[私注 3]。
戦いの後、マルドゥクはティアマトの死体に立ち、その頭蓋を棍棒で砕いた。さらに動脈を切り裂くと、北風にティアマットの血を運ばせて自らの勝利を神々に知らせた。そしてマルドゥクはティアマトの亡骸を二つに引き裂いて、それぞれを天と地とした。ティアマトの乳房は山になり(そのそばに泉が作られ)、その眼からはチグリス川とユーフラテス川の二大河川が生じた。こうして母なる神ティアマトは、世界の基となった。
また、マルドゥクは「天命の書版」を捕らえたキングーから奪って父祖のアヌに手渡し、キングーを殺してその血から神々の労働を肩代わりさせるための「人間」を創造した。
その後も世界の様々な物事や秩序の創造がなされ、『エヌマ・エリシュ』は、“ティアマトを倒した者マルドゥク”を称えて終わる。
天命の書版[編集]
「天命の粘土版」とも呼ばれる「天命の書版(Tablet of Destinies, 𒁾𒉆𒋻𒊏、DUB.NAM.TAR.RA)」は、全ての神々の役割や個々人の寿命が書き記された、最高神が所持する代物であり、最高神の権威(Anuship / heavenly power, 𒀭𒀀𒉡𒋾、DA.NU.TI)の象徴である。所持神が「天命の印」を押すことで、記述された内容が有効になると信じられていた[35]。
優しさが招いた悲劇[編集]
異形かつ新しい神々の敵対者として描かれたティアマトだが、彼女の性格は優しく寛大であったとされる[1]。若い神々がうるさく騒いでも咎めもせず耐え、夫のアプスーが騒々しさに耐えかね神々を殺そうとした際にはそれをやめさせ、アプスーが単独で起こした神々一掃計画の件で騙し討ちに遭い殺害された時でさえ、ティアマトは新しい神々の味方だった。最終的には戦うことになるも敗北し、夫の復讐を果たせず自身も死に至るという、彼女にとっては無念の結末であったかもしれないが、「世界」となってその行く末を見守る役についたことは、神々を生み出した大いなる母神としてふさわしい最期であったとも言える[1]。
ティアマトが生み出した11の怪物[編集]
神々と戦うべくティアマトが生み出した「11の怪物(魔物)」などと呼ばれる存在は、討伐に際し神々を大いに脅かしたが、ティアマトがマルドゥクによって討たれ敗北すると、ある者は処刑され、ある者は神々の配下となり、ある者は野へ下りたという[36]。
- ムシュマッヘ(Mušmaḫḫū, 𒈲𒈤、MUŠ.MAḪ)
- 七岐の大蛇。ティアマト自身とする説のある、7つ頭の大蛇、あるいは7匹の大蛇[36]。
- ウシュムガル(Ušumgallu, 𒁔 𒃲、UŠUM.GAL)
- 龍。ムシュマッヘと同一視されるが、別存在であるとも言われている凶暴な竜[36]。
- バシュム / ウシュム(Bašmu, 𒁀𒀸𒈬、BA.AŠ.MU)
- 毒蛇。マムシか角の生えた蛇の一種(アッカドのバシュム / シュメールのウシュム)と考えられている[36]。
- ムシュフシュ(Mušḫuššu, 𒈲𒄭𒄊、MUŠ.ḪUŠ)
- 蠍尾竜。「バビロンの竜」として名高い神々の聖獣[36]。
- ラフム(Lahmu, 𒀭𒈛𒈬、dLAḪ.MU)
- 毛深い者。顔の両側に3対6つの巻き毛を持った男の姿をしており、メソポタミアでは魔除けとして好まれた。ティアマトの最初の子にしてエアの曽祖父が同じ名前であり、記述に混乱が見られる。
- ウガルルム(Ugallu, 𒌓𒃲𒆷、U4.GAL.LA)
- 巨大な獅子。ティアマトの権力と軍勢の強さを示す怪物(古代メソポタミアにおいて、ライオンは王権を示す動物だったため)[36]。
- ウリディンム / ウルマフルッルー(Uridimmu, 𒌨𒅂𒈨、UR.IDIM.ME)
- 狂犬。一般には獰猛な犬だが、獅子人間と解釈される場合もある。古代メソポタミアでは比較的メジャーな存在[36]。
- ギルタブリル / ギルタブルウル(Girtablullû, 𒄈𒋰𒇽𒍇𒇻、GIR.TAB.LU.U18.LU)
- 蠍人間。太陽神シャマシュと深い関係にある、マシュ山(双子山)の理性的な守護者[36]。
- ウム・ダブルチュ(Umū dabrūtu, 𒌓𒈪 𒁕𒀊𒊒𒋾、U4.MI DA.AB.RU.TI)
- 嵐の魔物。ライオンの身体に鷲の頭と翼を持った姿で描かれた、神が使役する風の魔物の一種[36]。
- クルール(Kulullû, 𒄩𒇽𒍇𒇻、KU6.LÚ.U18.LU)
- 魚人間。今日の占星術における山羊座と結び付く。魚人間も古代メソポタミアでは普遍的な精霊で、エアの側近もアプスーとして名高い魚人間だった[36]。
- クサリク(Kusarikku, 𒆪𒊓𒋆𒄣、KU.SA.RIK.KUM)
- 有翼の牡牛。『ギルガメシュ叙事詩』に登場する天の雄牛(グガランナ)と同一視される聖牛[36]。
私的考察[編集]
いわゆる西欧的な「龍退治」の神話を一括して「類話」とし、その中のティアマト神話を加える分類方法には、個人的には賛成ではない。一つには、あらゆる神話の起源として水性の「悪神」的存在として男性の共工と女性の相柳がおり、この2つは密接に関連しているが「別のもの」だからである。西方の神話も倒されるのが女神なのか男神なのかについてもっと注意を払うべきと考える。また、各地の神話には日本神話の火之迦具土神、インド神話のアグニのように「親を焼き殺す神」が存在し、彼らは「火」に関する神である。マルドゥクも太陽神が発展したものと思われ、「親を焼き殺す神」の一つに入ると考える。
子音から見るとティアマトはエジプト神話のタニト、テフヌトと類似した神と思われる。最初の子音の「t」音が外れたものにエジプト神話のネイト、ヒッタイト神話のマリヤ、ギリシア神話のメーティス、メーデイアがおり、本来は「建築の女神」「庭園の女神」「水神」という性質を併せもった女神で、ヨーロッパの河川神としての性質を持つ、いわゆる「異教の女神」群と共通した女神だったと思われ、語源的にはメリュジーヌとも関連するのではないだろうか。メリュジーヌはヨーロッパでは「女神」の地位を離れ、伝承的な「名家の始祖」とされることが多いが、蛇の姿で現される点、一家の始祖でありながらその姿が最終的には「禁忌を破られた末の逃走」ということで失われてしまう点、逃走の際に子供を連れて行く(騒動に子供を巻き込んでいる)ことがある点が共通している。またティアマトは「人身御供(幼児供犠)を求める女神」であった痕跡がある。すなわち、ヨーロッパの民間伝承で、特に異界の住人である「妻」が「夫に禁忌を破られて逃走する」という物語のモチーフは「家族間の決裂と闘争と母女神の殺戮」という神話の内、「母女神の殺戮」という点が変化したものでることが分かる。
メソポタミア神話のティアマトは海水の女神だが、、エジプト神話のテフヌトは「水を生み出す女神」としての性質がある。ネイトも水神としての性質を有す。ヨーロッパの多くの女神が水神としての性質が強いことを併せて考えれば、ヨーロッパの女神達はエジプト神話の女神の影響が強いように感じる。女神が「悪しき龍」として倒される場合はメソポタミア神話のティアマトの影響が強いと考えるが、メリュジーヌのように失踪する場合はエジプト神話の影響が強いと思われる。いずれにしてもヨーロッパの女神の神話は、ティアマト型の神話とテフヌト型の神話が交錯しており、この2者の起源が元は一つであってそれぞれに神話が分化していったことを伺わせるのではないだろうか。
参考文献[編集]
- Wikipedia:ティアマト(最終閲覧日:23-02-16)
- Wikipedia:Tiamat(最終閲覧日:23-02-16)
- King, Leonard William, Leonard William King, The Seven Tablets of Creation, volumeI: English Translations etc., 1902a, http://www.etana.org/sites/default/files/coretexts/14907.pdf
- King, Leonard William, The Seven Tablets of Creation, volumeII: Supplementary Texts, 1902b, http://www.etana.org/sites/default/files/coretexts/14503.pdf
- Thorkild, Jacobsen, The Battle between Marduk and Tiamat, Journal of the American Oriental Society, volume88, issue1, 1968, pages104–108, jstor:597902, doi:10.2307/597902
外部リンク[編集]
関連項目[編集]
私的注釈[編集]
参照[編集]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 池上正太, 2006, Truth In Fantasy 74オリエントの神々, 新紀元社, pp.83-84
- ↑ Ancient Mesopotamian Gods and Goddesses – Tiamat (goddess)
- ↑ King, 1902a, page150, line 122
- ↑ King, 1902a, page124, line 36
- ↑ Luzacs Semitic Text and Translation Series, page150-line 122, Vol XII, http://www.etana.org/sites/default/files/coretexts/14907.pdf
- ↑ Luzacs Semitic Text and Translation Series, page124-line 36, Vol XII, http://www.etana.org/sites/default/files/coretexts/14907.pdf
- ↑ Dalley, Stephanie (1987). Myths from Mesopotamia. Oxford University Press. p. 329.
- ↑ Jacobsen, 1968, pp104-108
- ↑ 9.0 9.1 Stephanie, Dalley, Stephanie Dalley, Myths from Mesopotamia, Oxford University Press, 1987, pages329
- ↑ 10.0 10.1 Jacobsen 1968:105.
- ↑ Jacobsen, 1968, p105
- ↑ Burkert, Walter, The Orientalizing Revolution: Near Eastern Influences on Greek Culture in the Early Archaic Age, Cambridge, Harvard University Press, 1992, pages92f, isbn:0-674-64363-1
- ↑ Jacobsen, 1968, p105
- ↑ Yahuda, A., The Language of the Pentateuch in its Relation to Egyptian, Oxford, 1933
- ↑ Steinkeller, Piotr, On Rulers, Priests and Sacred Marriage: Tracing the Evolution of Early Sumerian Kingship, Wanatabe K., Priests and Officials in the Ancient Near East , Heidelberg, Winter, 1999, pages103–38, isbn:3-8253-0533-3
- ↑ Crawford, Harriet E. W., Harriet Crawford, 1998 , Dilmun and Its Gulf Neighbours, Cambridge University Press, isbn:0-521-58348-9
- ↑ Crawford Harriet, Killick Robert, Moon Jane, 1997, The Dilmun Temple at Saar: Bahrain and Its Archaeological Inheritance, Saar Excavation Reports / London-Bahrain Archaeological Expedition: Kegan Paul, isbn:0-7103-0487-0
- ↑ Burkert, Walter. The Orientalizing Revolution: Near Eastern Influences on Greek Culture in the Early Archaic Age 1993, p 92f.
- ↑ Steinkeller, Piotr. "On Rulers, Priests and Sacred Marriage: tracing the evolution of early Sumerian kingship" in Wanatabe, K. (ed.), Priests and Officials in the Ancient Near East (Heidelberg 1999) pp.103–38
- ↑ Crawford, Harriet E. W. (1998), Dilmun and its Gulf Neighbours (Cambridge University Press).
- ↑ Crawford, Harriet; Killick, Robert and Moon, Jane, eds.. (1997). The Dilmun Temple at Saar: Bahrain and Its Archaeological Inheritance (Saar Excavation Reports / London-Bahrain Archaeological Expedition: Kegan Paul)
- ↑ Yahuda, A., The Language of the Pentateuch in its Relation to Egyptian (Oxford, 1933)
- ↑ Such as Thorkild, Jacobsen, The Battle between Marduk and Tiamat, Journal of the American Oriental Society, volume88, issue1, 1968 , pages104–108, jstor:597902, doi:10.2307/597902
- ↑ Lambert, W. G., Babylonian Creation Myths, 2013, pages234
- ↑ Fontenrose Joseph , Python: a study of Delphic myth and its origins, 1980, University of California Press, isbn:0-520-04091-0, pages153–154
- ↑ King, 1902b
- ↑ Barentine, John C., The Lost Constellations: A History of Obsolete, Extinct, or Forgotten Star Lore, https://link.springer.com/chapter/10.1007/978-3-319-22795-5_27, Tigris, 2016, The Lost Constellations, Springer Praxis Books, Springer Praxis Books, isbn:978-3-319-22795-5, Springer, Cham, pages425–438, doi:10.1007/978-3-319-22795-5_27
- ↑ Speiser, "An Intrusive Hurro-Hittite Myth", Journal of the American Oriental Society 62.2 (June 1942:98–102) p. 100.
- ↑ As by W. G. Lambert, reviewing James 1963 in Bulletin of the School of Oriental and African Studies, University of London, 27.1 (1964), pp. 157–158.
- ↑ Jacobsen, 1968, pp104-108
- ↑ MArtkheel
- ↑ Graves, The Greek Myths, rev. ed. 1960:§4.5.
- ↑ The Faces of the Goddess, Lotte Motz, Oxford University Press (1997), ISBN:978-0-19-508967-7
- ↑ The Myth of Matriarchal Prehistory: Why An Invented Past Will Not Give Women a Future, Cynthia Eller, Beacon Press (2000), ISBN:978-0-8070-6792-5.
- ↑ 和書, 岡田明子・小林登志子, 2008, シュメル神話の世界 粘土版に刻また最古のロマン, 中央公論新社, p.45
- ↑ 36.00 36.01 36.02 36.03 36.04 36.05 36.06 36.07 36.08 36.09 36.10 池上正太, 2006, Truth In Fantasy 74オリエントの神々, 新紀元社, pp.155-157,p.160