謝肉祭
謝肉祭(しゃにくさい)またはカーニバル(carnival)は、カトリック国、すなわちカトリックを主たる宗教とする国で四旬節の直前の期間に行われる祭である。
カトリックではかつて、四旬節の期間中は肉食を控えて良くない振る舞いも控える習慣・規則があったので、四旬節の直前に肉食を思い切り楽しみ羽目を外すようになったことが、この祭(お祭り騒ぎ、乱痴気騒ぎ)の直接の起源だと考えられている。ただしそれ以前の古い習慣も影響していると指摘する研究もある。
なお「カトリック国」というのは、その国の主要な宗教・教派がカトリックである国で、ヨーロッパではイタリア、スペイン、ポルトガル、フランス、かつてはドイツ(ドイツは現在はカトリックとプロテスタントがほぼ同率)、モナコ、サンマリノ、アンドラなどであり、南米ではブラジル、アルゼンチン、ペルー、パラグアイなどで、中米諸国も多くがカトリック国であり、これらの国の多くでカーニバルの習慣が根付いた。
現在ではカトリック国でも四旬節の期間中に肉食を控えたり良くない振る舞いを控えることは行われなくなり、この祭の直接の動機は失われたが、この時期に仮面をつけて仮装行列を行ったり菓子や花を投げるなどして羽目を外し大騒ぎを楽しむ習慣は祭として残っている。南米ブラジルではサンバのパレードを行い乱痴気騒ぎをする祭となった。現代ではそれにあやかってサンバのパレードを含む祭をカーニバルと呼ぶことがある。
語源と起源[編集]
起源[編集]
元々は四旬節が始まる「灰の水曜日」の前夜に開かれた、肉に別れを告げる宴のことを指した[1]。
ドイツ語の「ファストナハト」などもここに由来し、「断食の前夜」の意で、四旬節の断食(大斎)の前に行われる祭りであることを意味する[2]。
ただし、謝肉祭は古いゲルマン人の春の到来を喜ぶ祭りに由来するという説もある。七日の間、教会の内外で羽目を外した騒ぎを繰り返し、最後に自分たちの狼藉ぶりの責任を転嫁した大きな藁人形を火あぶりにする、というのがその原初的なかたちであったという[3]。
カーニバルの語源は、この農耕祭で船を仮装した山車 carrus navalis(車・船の意)を由来とする説もあるが、断食の前という意味の方が古いという研究者もいる。
期間[編集]
期間は地域により異なるが、多くは1週間である。
最終日はほとんどの場合火曜日(灰の水曜日の前日)であり、一部の地域では、この火曜日をマルディグラ(肥沃な火曜日)、シュロブ・チューズデー(告解火曜日)、パンケーキ・デイなどといい、パンケーキを食べる習慣がある。これは、四旬節に入る前に卵を使い切るために生じた習慣でもある。
シュロブ・チューズデーの名は、かつて謝肉祭最終日、すなわち灰の水曜日前日に、皆が告解を行う習慣があったことに由来する。
歴史[編集]
イタリア、ヴェネツィアのカーニバルは1094年より行われている。
現在[編集]
カトリック国でも四旬節に肉食や良くない行いを控えるという規則・習慣は無くなったが、お祭り騒ぎは年中行事として残った。 また近年、カーニバルの仮装や乱痴気騒ぎは他国からの観光客まで引き寄せる力があるので、観光資源として活用している地域も多い。
ブラジルのカーニバル時期に行われるサンバ・パレードにあやかって、ロンドンのノッティング・ヒル・カーニバルや、東京の浅草サンバカーニバルのように、サンバ・パレードを含むお祭ならば、たとえ四旬節前とは全く異なる時期に開催されていようが、カーニバルと称するようになった。
ドイツのカーニバル[編集]
ドイツでは、主にラインラントからバイエルン、アウガウなどカトリックの多い地域で行われ、「アラーフ!」(ケルン)、「ヘラウ!」(デュッセルドルフ)等独特の挨拶を交わし、仮装して祝う。地方により、謝肉祭は、ファシング、ファスナハトなど呼び方が異なる。薔薇の月曜日(Rosenmontag)には、ケルン・デュッセルドルフ・マインツ・アーヘン・ボンで薔薇の月曜日の行列(Rosenmontagsumzug)が繰り出し、「カメレ」という叫び声をあげる人々に向けて菓子を投げる。
謝肉祭に関する考察[編集]
謝肉祭に関して、各界の研究者から以下の様な論が表された。
- ジェームズ・フレイザーは『金枝篇』の中で、懺悔の火曜日や灰の水曜日に謝肉祭人形が焚殺される理由について、古代イタリアで行われた樹木の精霊の受肉者であるネーミの司祭殺害の儀式と同じく、春の始まりに謝肉祭の擬似人格である人形を殺し、復活・再生後の豊穣を約束してもらう儀礼的意味があると考えた[4]。
- エドマンド・リーチはエミール・デュルケームの『聖俗論』を下敷きに、都市部の謝肉祭における仮面舞踏会のような乱痴気騒ぎは、正常な社会生活に対する社会的役割を転倒させたパフォーマンスであるとし、俗から聖への移行を象徴的に表現したものと考えた[4]。
- ヴィクター・ターナーはリーチの論を承け、謝肉祭を「地位転倒の儀礼」と呼んだ。謝肉祭は集団や社会が自らを見つめなおす時であり、社会全体で反省する作用を持っていたが、その効力は資本主義の発達とともに薄れていったと説いた[4]。
参考文献[編集]
関連項目[編集]
- ディアブラーダ
- スティールパン
- ジェームズ・アンソール - 謝肉祭の仮面をモチーフとして描いた画家
- マースレニツァ
- テンプレート:Ill2 ‐ 謝肉祭の期間中、町村名が別の名前に変更される。
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- ↑ Manlio Cortelazzo e Paolo Zolli : "Dizionario etimologico della lingua italiana 1/A-C", Zanichelli, 1998, p.208
- ↑ Oswald A.Erich & Richard Beitl : "Woerterbuch der Deutschen Volkskunde" 43.Aufl. Stuttgart 1974. "Fasnacht"の記事、p.201
- ↑ Wilhelm Kutter : "Schwaebisch alemannische Fasnacht" Salzburg 1976, p.8-19
- ↑ 以下の位置に戻る: 4.0 4.1 4.2 黒田悦子, スペインの民俗文化, 平凡社, 平凡社選書, 1992, 第2刷, ISBN:4582841406, p203-204