== 嫦娥の怒りと罰 ==
「羿(英雄)の妻」として見た場合、本来、嫦娥は最初から羿の妻として存在したのではなかったのではないか、と述べた。その理由の一つは、ギリシア神話のペルセウスとアンドロメダーに代表されるように、多くの「怪物退治」の民間伝承では結婚は怪物を退治した後、その結果起きるイベントだからである。また、もう一つの理由としては、「怪物退治」の神話的起源は、エジプト神話の太陽神ラーと混沌の蛇アペプとの戦いが少なくともその一形と思われるが、そこには「怪物退治の結果としての太陽神の結婚」というエピソードは出てこないということがある。ラーは日々の営みとして怪物退治を繰り返すに過ぎない。つまり、「怪物退治」の物語と「英雄や英雄神の結婚」という物語は本来別々の神話であり、時代が下るにつれて、一つに纏められ、世界中に伝播したのではないか、と思われるということである。本来の神話の上では、羿と嫦娥は何のつながりもない存在だったのではないか、とすら思える。「羿(英雄)の妻」として見た場合、本来、嫦娥は最初から羿の妻として存在していたのではなかったのではないか、と述べた。その理由の一つは、ギリシア神話のペルセウスとアンドロメダーに代表されるように、多くの「怪物退治」の民間伝承では結婚は怪物を退治した後、その結果起きるイベントだからである。また、もう一つの理由としては、「怪物退治」の神話的起源は、エジプト神話の太陽神ラーと混沌の蛇アペプとの戦いが少なくともその一形と思われるが、そこには「怪物退治の結果としての太陽神の結婚」というエピソードは出てこないということがある。ラーは日々の営みとして怪物退治を繰り返すに過ぎない。つまり、「怪物退治」の物語と「英雄や英雄神の結婚」という物語は本来別々の神話であり、時代が下るにつれて、一つに纏められ、世界中に伝播したのではないか、と思われるということである。本来の神話の上では、羿と嫦娥は何のつながりもない存在だったのではないか、とすら思える。 ともかく、羿神話では、嫦娥は夫と共に地上に降り立った。彼女が西王母に仕える女仙であり、織女であったとすれば、その姿は西王母に仕える「鳥」だったかもしれないと思う。多くの「天人女房」の民間伝承でも女性は鳥の姿で地上に降り立つ。時にその姿が植物と重ねられて、天女が世界樹の一部のようにみえることもある。 その後、嫦娥は何らかの不満を覚えて失踪する。 また、何らかの原因で罰を受ける。嫦娥の月への昇天は、「罰」とすれば死を暗喩しているようにも見えるが、彼女が鳥女神であったとすれば、空を飛ぶことは当たり前の姿であるともいえる。よって、「昇天」の意味は神話からははっきりしないが、何らかの「罰」を受けていることは明確とされている。 よって、神話的な嫦娥とは * 地上に降り立つ女神* (潜在的には、英雄に救われる女神)* 怒りや不満で失踪する女神* 罰を受ける女神 の3つあるいは4つから成り立っている複合的な女神といえる。それぞれについて、本来の姿を探っていくことが、本来の西王母信仰の姿を探ることにもつながるのではないだろうか。
== 扶桑と養蚕 ==