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1,276 バイト追加 、 2022年2月25日 (金) 14:21
しかし、神話の羿に相当する人物が実在していたのだとすれば、彼の生きた時代には、河伯に人身御供を捧げることが当たり前過ぎる時代であったので、羿の行為は天帝に対する不遜と考えられ、逆に高慢である、と非難されることになったのかもしれないと思う。
 
== 嫦娥の怒りと罰 ==
「羿(英雄)の妻」として見た場合、本来、嫦娥は最初から羿の妻として存在したのではなかったのではないか、と述べた。その理由の一つは、ギリシア神話のペルセウスとアンドロメダーに代表されるように、多くの「怪物退治」の民間伝承では結婚は怪物を退治した後、その結果起きるイベントだからである。また、もう一つの理由としては、「怪物退治」の神話的起源は、エジプト神話の太陽神ラーと混沌の蛇アペプとの戦いが少なくともその一形と思われるが、そこには「怪物退治の結果としての太陽神の結婚」というエピソードは出てこないということがある。ラーは日々の営みとして怪物退治を繰り返すに過ぎない。つまり、「怪物退治」の物語と「英雄や英雄神の結婚」という物語は本来別々の神話であり、時代が下るにつれて、一つに纏められ、世界中に伝播したのではないか、と思われるということである。本来の神話の上では、羿と嫦娥は何のつながりもない存在だったのではないか、とすら思える。
== 扶桑と養蚕 ==

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