ホルス及びギリシアのフェニックスのモデルとも言われる。
== 羿と太陽 ==
'''羿'''(げい、イ)は、中国神話に登場する人物。'''后羿'''(こうげい、ホウイー)、'''夷羿'''(いげい)とも呼ばれる。弓の名手として活躍したが、妻の嫦娥(姮娥とも書かれる)に裏切られ、最後は弟子の逢蒙によって殺される、悲劇的な英雄である。
羿の伝説は、『楚辞<ref>2世紀に完成</ref>』天問篇の注などに説かれている太陽を射落とした話(射日神話、大羿射日)が知られるほか、その後の時代の活躍を伝える話(夏の時代の羿の項)も存在している。名称が同じであるため、前者を「大羿」、後者を「夷羿」や「有窮の后羿」と称し分けることもある。その大羿は中国神話最大の英雄の一人である。
=== 太陽を射る羿 ===
天帝である帝夋(嚳ないし舜と同じとされる)には羲和という妻がおり、その間に太陽となる10人の息子(火烏)を産んだ。この10の太陽は交代で1日に1人ずつ地上を照らす役目を負っていた<ref>袁珂著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 289-296頁</ref>。ところが帝堯の時代に、10の太陽がいっぺんに現れるようになった。地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。このことに困惑した帝堯に対して、天帝である帝夋はその解決の助けとなるよう天から神の一人である羿をその妻の嫦娥と共に、地上につかわした。帝夋は羿に紅色の弓(彤弓)と白羽の矢を与えた<ref>『山海経(前4世紀 - 3世紀頃)』広注 巻十八「帝夋賜羿彤弓素矰」郭璞云:「彤弓、朱弓。矰、矢名、以白羽羽之。外伝:『白羽之矰、望之如荼』也」</ref>。羿は、帝堯を助け、初めは威嚇によって太陽たちを元のように交代で出てくるようにしようとしたが効果がなかった。そこで仕方なく、1つを残して9の太陽を射落とした。これにより地上は再び元の平穏を取り戻したとされる<ref>松村武雄 編 『中国神話伝説集』 社会思想社<現代教養文庫> 1976年 15頁</ref>。
=== 羿の冒険 ===
その後も羿は、各地で人々の生活をおびやかしていた数多くの悪獣(窫窳・鑿歯・九嬰・大風・修蛇・封豨)を退治し、人々にその偉業を称えられた<ref>袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 298-302頁</ref>。
* 窫窳(あつゆ):中原:竜頭、虎爪、牛身、馬脚の猛獣
* 鑿歯(きくし):寿華の野(南方の沼沢地):獣頭人身の怪物か。口にはノミのような形をした長さ五,六尺の牙が一本生えている。
* 九嬰:凶水<ref>中国北方にあるとされた川</ref>:おそらく頭が九つある水火の怪で、水を吹き出すことも、火を吐き出すこともできた。
::→帰路、北方の寒禄山が崩壊し、土砂の中から精美な玉の弓懸(ゆがけ)を見付けた。
* 大風(たいふう):青丘の沢:大鳳。大きな孔雀。性格が凶暴かつ慓悍で、人畜を傷つけた。その羽根を羽ばたかせるとかならず強風が生じたので、風の象徴とされた。
* 修蛇:洞庭湖<ref>湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。</ref>:巴蛇、体が黒く、頭が青く、大きな象をまるごと呑み込み、三年かかって消化してからその骨を吐き出す。人がその骨を食べると心痛や腹痛が治るとされた。
* 封豨(ほうき):桑林:大きな猪。長い鋭い爪を持ち、牛より力のある怪獣。家畜や人をも食べた。
=== 不老不死の薬 ===
自らの子(太陽たち)を殺された帝夋は羿を疎ましく思うようになり、羿と妻の嫦娥(じょうが)を神籍から外したため、彼らは不老不死ではなくなってしまった。羿は崑崙山の西に住む西王母を訪ね、不老不死の薬を2人分もらって帰るが、嫦娥は薬を独り占めにして飲んでしまう。嫦娥は羿を置いて逃げるが、天に行くことを躊躇して月(広寒宮)へしばらく身をひそめることにする。しかし、羿を裏切ったむくいで体はヒキガエルになってしまい、そのまま月で過ごすことになった<ref>袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 314-320頁</ref><ref>松村武雄 編 『中国神話伝説集』 社会思想社<現代教養文庫> 1976年 17頁</ref>。
なお、羿があまりに哀れだと思ったのか、「満月の晩に月に団子を捧げて嫦娥の名を三度呼んだ。そうすると嫦娥が戻ってきて再び夫婦として暮らすようになった」という話が付け加えられることもある。
=== 逢蒙殺羿 ===
その後、羿は狩りなどをして過ごしていたが、家僕の逢蒙(ほうもう)という者に自らの弓の技を教えた。逢蒙は羿の弓の技を全て吸収した後、「羿を殺してしまえば私が天下一の名人だ」と思うようになり、ついに羿を撲殺してしまった。このことから、身内に裏切られることを「羿を殺すものは逢蒙」(逢蒙殺羿<ref>『孟子』に「逢蒙殺羿、羿也有過」という文がある。</ref>)と言うようになった<ref>袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 322-325頁</ref>。
== 夷羿(夏の羿) ==