:『[[山海経]]』の「大荒西経」には共行国という地域が登場しており、[[禹]](う)の時代に共工国を攻めたとする記述がある<ref>袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 233頁</ref>。
神話学者の[[袁珂]]は、数ある共工の伝説のうちでは顓頊の時代とする文献が古いかたちのものであろうと考察しており、その存在は黄帝に属する系統と対立する者(炎帝に属する系統)の代表と目された為に四罪の代表格・悪神のような扱われ方をされているものであると見ている神話学者の袁珂は、数ある共工の伝説のうちでは'''顓頊の時代とする文献が古いかたちのもの'''であろうと考察しており、その存在は黄帝に属する系統と対立する者(炎帝に属する系統)の代表と目された為に四罪の代表格・悪神のような扱われ方をされているものであると見ている<ref name="enka" />。女媧の時代から神話上に時を越えて千年近くに渡り執拗に登場し続けては敗北をする悪神として描かれているのは、[[中原]](ちゅうげん)を本拠とした政権と長期にわたって敵対した[。女媧の時代から神話上に時を越えて千年近くに渡り執拗に登場し続けては敗北をする悪神として描かれているのは、中原(ちゅうげん)を本拠とした政権と長期にわたって敵対し[羌]](きょう)族が共工を信奉していたためではないかとも考えられている。羌(きょう)族が共工を信奉していたためではないかとも考えられている。
== 共工の子 ==
『[[風俗通義]]』などに「共工之子」とされる記述が見られる。『風俗通義』などに「共工之子」とされる記述が見られる。
* '''脩''':天下の各地へ車や舟をつかって移動するのを好んだとされる。徂神(旅の神)としてまつられた<ref name="enka" /><ref>『風俗通義』祀典「謹按『禮傳』≪共工之子曰脩,好遠遊,舟車所至,足跡所達,靡不窮覽,故祀以為祖神。≫祖者、徂也」</ref>。