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常陸国小栗城城主、小栗満重<ref>史実上は小栗判官(小栗助重)の父の名であるが、この伝承においては判官自身を指す。史実での満重は実際に謀反を起こすが失敗し、応永30年(1423年)、小栗城にて自刃したとされる。小栗満重の乱も参照。</ref>は、讒言により謀反の疑いをかけられ、鎌倉方<ref>史実通りであれば足利持氏の配下。</ref>に攻め落とされた。子の小次郎'''助重'''ともども三河<ref>史実上の小栗家も脱出して三河小栗家を興したとされる。</ref>へ脱出を図った親子は離ればなれとなり、助重は甲斐方面から脱出した。
10人の[[家来]]とともに[[東海道]]を下る10人の家来とともに東海道を下る'''満重'''が[[相模国|相模]]の藤沢に差し掛かったところで日が暮れてしまった。そこにが相模の藤沢に差し掛かったところで日が暮れてしまった。そこに'''横山太郎'''と名乗る者{{efn|<ref>相模横山家、横山'''大膳'''という人物の記録が[[横浜市]][[戸塚区]]俣野に残るが、長生院の伝承において両名の相関は認められない。}}が一行を呼び止め、宿を提供しようと申し出た。横山は、旅人を殺し金品を奪う[[盗賊]]であった。という人物の記録が横浜市戸塚区俣野に残るが、長生院の伝承において両名の相関は認められない。</ref>が一行を呼び止め、宿を提供しようと申し出た。横山は、旅人を殺し金品を奪う盗賊であった。
この屋敷には'''照手'''という[[遊女]]が居た。本来[[太上天皇|上皇]]や[[太上法皇|法皇]]の[[御所]]をまもる[[武士]]である[[北面武士]]の子であったが、早くに父母に死に別れ、横山に拾われたという{{efn|という遊女が居た。本来上皇や法皇の御所をまもる武士である北面武士の子であったが、早くに父母に死に別れ、横山に拾われたという<ref>説教節など他の伝承と異なり、横山の屋敷にて小栗と照手姫が恋に落ちる描写は存在しない。}}</ref>
横山は宴の場で、桜に一頭の馬を繋ぎ留め、『これは人を噛み殺すほどの暴れ馬で、鬼鹿毛(おにかげ)と呼ばれている。近寄ってはならぬ』と伝えたところ、満重はこれを巧みに操ってみせた。たちまち満重の力量を察した横山は、到底敵わないとみて[[酒]]に[[毒]]を盛る作戦を案じた。横山の企てを密かに照手に告げられていた満重は気分が悪いと酒を拒んだが、無理やり横山に押し付けられて臭気を吸い卒倒する。家臣も泥のような血を吐きながら息絶えた。横山は満重一行の所持品一切合財を剥ぎ取り、手下に命じ11人の屍を横山は宴の場で、桜に一頭の馬を繋ぎ留め、『これは人を噛み殺すほどの暴れ馬で、鬼鹿毛(おにかげ)と呼ばれている。近寄ってはならぬ』と伝えたところ、満重はこれを巧みに操ってみせた。たちまち満重の力量を察した横山は、到底敵わないとみて酒に毒を盛る作戦を案じた。横山の企てを密かに照手に告げられていた満重は気分が悪いと酒を拒んだが、無理やり横山に押し付けられて臭気を吸い卒倒する。家臣も泥のような血を吐きながら息絶えた。横山は満重一行の所持品一切合財を剥ぎ取り、手下に命じ11人の屍を'''上野ヶ原'''{{efn|[[俣野村]]の街道寄り(現・横浜市[[戸塚区]]原宿付近)と伝わる。付近にはかつて鬼鹿毛山と呼ばれた小山があり、今も馬頭観音が祀られている。}}<ref>俣野村の街道寄り(現・横浜市戸塚区原宿付近)と伝わる。付近にはかつて鬼鹿毛山と呼ばれた小山があり、今も馬頭観音が祀られている。</ref>に捨てさせた。
同じ頃、[[清浄光寺|遊行寺]](清浄光寺)の遊行十四代'''太空上人'''は、[[閻魔|閻魔大王]]の使者と名乗る者が差し出す書状を読む夢を見た。広げてみると、『常陸国の小栗満重と家臣達が上野ヶ原に倒れている。満重の命だけは救うので急いで向かい、熊野で[[湯治]]させるように』と書かれていた。目覚めた上人がお告げに従って弟子と共に向かってみると、野犬や鳥に喰い荒らされる亡骸の中で僅かに手足が動く者を見つけた。満重とみた上人は車に乗せ連れ帰り、『この者は熊野の湯に向かう病人である。わずかでも車を引いて助けた者には千の僧への供養にも勝る功徳が与えられよう』と記した札を車に据え付けた。街道沿いの人々に助けられ熊野に辿り着いた満重は、温泉の効用と[[熊野権現]]の霊験により快方に向かった。

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