* [[宝賀寿男]]は、「檀君朝鮮という国の[[実在|実在性]]が直ちに認めがたいのは、その歴代の王名が[[朝鮮半島]]の[[資料]]に全く伝わらない事情にあるからである。檀君の異例な[[長寿]]は別としても、檀君以外の王名が、滅亡(隠退)時の王でさえ知られない。檀君には[[夫婁]]という子があったともいうが、せいぜいがその限りであり、[[神話|神話的]]な始祖だけの国は存在が信じられない」と指摘している<ref>{{Cite news|author=[[宝賀寿男]]|date=|title=「扶桑」概念の伝播-扶桑と箕子朝鮮を結ぶもの-|publisher=|newspaper=|url=http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/fusou-g/fusosiso1.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220122021304/http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/fusou-g/fusosiso1.htm|archivedate=2022-01-22}}</ref>。* [[石平 (評論家)|石平]]は、「[[朝鮮半島]]最初の王朝・[[衛氏朝鮮]]は[[中国人]]が建国したという史実や、朝鮮の歴代王朝が[[中原王朝|中華帝国]]の[[従属国|属国]]となり続けたことの劣等意識から、[[朝鮮民族|韓民族]]は建国物語『[[檀君|檀君神話]]』を生み出した」と指摘している<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/life/news/170708/lif1707080017-n1.html|title=朝鮮半島が高句麗の時代から繰り返されてきた騒動の原因を検証|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=|date=2017-07-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171208135959/http://www.sankei.com/life/news/170708/lif1707080017-n1.html|archivedate=2017-12-08}}</ref>。* [[倉山満]]は、「韓国史は、檀君伝説から始まります。内容を簡単に説明すると、『[[神様]]が[[熊]]と[[虎]]に求婚されたので熊を選び、人間に姿を変えて[[結婚]]し、生まれた子供が檀君という[[古朝鮮]]建国の祖である』という話です。[[紀元前2333年]]檀君朝鮮を建国したことになっており、[[箕子朝鮮]]・[[衛氏朝鮮]]と合わせて[[古朝鮮]]と呼びます。もちろん、神話なのでまともに批判しても仕方ないのですが、『[[中国]]の[[堯]]・[[舜]]時代と同じく長い伝統を持っている。(申瀅植『[[梨花女子大学校]]コリア文化叢書 韓国史入門』p19)』と考えるのが韓国人です<ref>{{Cite book|和書|author=倉山満|authorlink=倉山満|date=2013-11-30|title=嘘だらけの日韓近現代史|series=[[扶桑社新書]]|publisher=[[扶桑社]]|ISBN=978-4594069520|page=19}}</ref>」「中国は、日本の『[[皇紀]]2600年』やエジプトの『3000年の文明』に対抗するかのごとく、『3000年』『4000年』と歴史を増やしています。最近では5000年を超え、ついに『6000年』と言い出しました。これは北朝鮮や韓国が『檀君5000年』を主張しているからです。『[[儒教|儒教文化]]』の[[中国の歴代王朝一覧|中華帝国]]を[[父]]と敬う姿勢は、『2000年の遺伝子』として受け継がれていますが、ただ、そうした"中華様"への従属姿勢の反面、韓国人の意識のなかに反発というもう一面があることを見逃しては、理解が不十分になってしまうでしょう」と評する<ref>{{Cite book|和書|author=倉山満|authorlink=倉山満|date=2013-11-30|title=嘘だらけの日韓近現代史|series=[[扶桑社新書]]|publisher=[[扶桑社]]|ISBN=978-4594069520|pages=21-22}}</ref>。
* [[宮脇淳子]]は、一然が檀君神話を創った意図を「『三国遺事』が書かれた13世紀後半というのは、ちょうど朝鮮半島がモンゴル人の支配下に入った時期だったからです。それまで30年の間に6回もモンゴル軍に高麗全土を荒らされていた間、高麗王と政府は[[江華島]]に逃げこんでいました。しかし、実権を握っていた武人がとうとう[[クーデター]]で倒されて、高麗王は太子をモンゴルに派遣しました。高麗の太子(後の[[元宗 (高麗王)|元宗]])の息子は、[[フビライ]]の皇女と結婚し、これ以後、代々の高麗王の息子はモンゴルの皇女と結婚して元朝皇帝の側近となり、妻方でモンゴル風の生活をしました。そして、父王が亡くなった後に高麗に戻って即位したのです。高麗王室は残されたものの、朝鮮半島の統治のために[[征東行省]]が置かれ、高麗は実質的には元の一地方に成り下がりました。こうした中、食料や毛皮、あるいは人間まで様々なものが収奪されても、文句ひとつ言えなかった。そうした惨めな状況から、朝鮮の民族主義を鼓舞する意図があった」と述べている<ref>{{Cite book|和書|author=宮脇淳子|authorlink=宮脇淳子|date=2013-08-08|title=韓流時代劇と朝鮮史の真実|series=|publisher=[[扶桑社]]|isbn= 978-4594068745|page=26}}</ref>。
* [[浦野起央]]は、「[[高句麗]]は、[[朝鮮半島]]とも[[漢民族]]の歴史とも関係のない[[民族|異民族]]が建国した国家である。それを中国は、高句麗史を中国の地方政権の歴史として、韓国の歴史認識を封じ込めんとした」として、「高句麗が領土としていた朝鮮半島北部地域が[[中国人]]が建国した[[箕子朝鮮]]・[[衛氏朝鮮|衛満朝鮮]]の故地であり、[[漢四郡]]([[楽浪郡]]・[[臨屯郡]]・[[真番郡]]・[[玄菟郡]])が所在した地域であることから、韓国・北朝鮮が歴史事実による檀君神話をもって建国ナショナリズムの発揚と接合して歴史認識を確認」し、「韓国は、建国神話と歴史事実を混同させつつも、現在の政治[[イデオロギー]]を抑え込もうとすることへの対決と走った」と述べている<ref>{{Cite journal|和書|author=[[浦野起央]]|title=朝鮮半島の領土論争|journal=[https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/political/political_50_1.html 政経研究]|ISSN=0287-4903|publisher=日本大学|date=2013-06|volume=50|issue=1|pages=69-70|naid=110009581336|url=https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/political/political_50_1/each/05.pdf|format=PDF}}</ref>。